今年も「世界報道写真展2011」を見に“写美”東京都写真美術館へ・・・・・・。
そしてまたまた、あの“まなざし”にカラダが立ち止まってしまった。
それは決して見物観光目的の日常のカメラ目線ではなく、
「何かを訴える目線」であり「心の底からの目線」であり「声にならない何かを訴える目線」である。
真剣に「生」と正対している姿をカメラは捕らえ、写真という1枚の絵として事実を刻み、多くの人にそれを訴えかける。
ニュースの中の人々・現代社会問題・日常生活・ポートレート・自然・スポーツ・・・・・とカテゴリーは多岐におよんでいるが、毎年この写真展に行くと、この声にならない「まなざし」に足を止めざるをえない。
これが世界であり、これが人間が営む姿であり、運命・宿命の瞬間でもあるのだ。
いまの自分の姿はそれらをどう受け止めるのか・・・・・。
写真はなにをものがたり、なにを訴えかけているのか・・・・・・。
そしてまたまた、あの“まなざし”にカラダが立ち止まってしまった。
それは決して見物観光目的の日常のカメラ目線ではなく、
「何かを訴える目線」であり「心の底からの目線」であり「声にならない何かを訴える目線」である。
真剣に「生」と正対している姿をカメラは捕らえ、写真という1枚の絵として事実を刻み、多くの人にそれを訴えかける。
ニュースの中の人々・現代社会問題・日常生活・ポートレート・自然・スポーツ・・・・・とカテゴリーは多岐におよんでいるが、毎年この写真展に行くと、この声にならない「まなざし」に足を止めざるをえない。
これが世界であり、これが人間が営む姿であり、運命・宿命の瞬間でもあるのだ。
いまの自分の姿はそれらをどう受け止めるのか・・・・・。
写真はなにをものがたり、なにを訴えかけているのか・・・・・・。
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