平成18年10月11日(水) 於 千葉市民会館
鶴岡千葉市長式辞より抜粋
先の大戦で尊い一命を国難に殉じられた戦没者・戦災死没者4200柱の御霊前に進展止まない市政の現況をご報告申し上げるとともに、
平和で明るい社会の建設と郷土繁栄への決意をお誓い申し上げ、ひたすら御霊のご冥福をお祈りいたして参りました。
鶴岡千葉市長式辞
来賓の皆様の 「追悼のことば」 をいただき 「思い出のことば」 は、お兄様お二方が次々に戦死された妹様の楠本八重子様が述べられました。
大学を繰り上げ卒業され、赤紙一枚で次々に出征され、22歳・23歳の若さで遠く異国の地で散華され、届いた白木の箱にはお骨ではなくお位牌が収められておりました事。
お母様が抱かれた白木の箱のお位牌がかすかに「コトコト」となっていた物寂しい音は生涯忘れられない悲しみと述べられました。 合掌
会の終わりは千葉市役所吟詠会の皆様の献詠を有り難く拝聴いたしました。
献 詠
弔 慰 式 (寺岡弥三郎)
庵然夢の如く 幽明を隔つ
定めなき人生 限りなきの情
骨肉親朋 皆席に列し
拈香三拝して 泣いて声を呑む
亡き人を
終いの別れと弔えど
心は消えず
ありし面影
金州城外作 (谷口廻瀾)
父は明君に奉じ 子は親に奉ず
我来って憑弔し 涙痕新なり
金州城外 秋深き処
坐に憶う 斜陽馬を立つるの人を
遺族の皆様も高齢化が進み会場の空席が目立ち、一抹の寂しさを感じました。
12日に届いた我が家の読売・千葉日報の二紙にはこのことについて一言も触れられておりませんでしたが、過去の悲しみを記憶し、尊い犠牲を風化させることのないよう、
恒久平和の確立を心から願うものです。
最新の画像[もっと見る]
- 日本遺族通信 令和6年 9 月15日号 遺書・九段短歌・2025(令和7年)年度「洋上慰霊 参加者募集の件」 3日前
- 日本遺族通信 令和6年 9 月15日号 遺書・九段短歌・2025(令和7年)年度「洋上慰霊 参加者募集の件」 3日前
- 日本遺族通信 令和6年 9 月15日号 遺書・九段短歌・2025(令和7年)年度「洋上慰霊 参加者募集の件」 3日前
- 令和6年度 町内会主催敬老会に出席いたしました 6日前
- 令和6年度 町内会主催敬老会に出席いたしました 6日前
- 令和6年度 町内会主催敬老会に出席いたしました 6日前
- 令和6年度 町内会主催敬老会に出席いたしました 6日前
- 令和6年度 町内会主催敬老会に出席いたしました 6日前
- 令和6年度 町内会主催敬老会に出席いたしました 6日前
- 令和6年度 町内会主催敬老会に出席いたしました 6日前
「遺族会(各追悼式・戦争証言などを含む)」カテゴリの最新記事
- NHK 戦禍の中絶 埋もれてきた当事者たちの“声”
- 2024年度 (令和6年)千葉県忠霊塔拝礼式
- 2024年(令和6年)戦後79年全国戦没者追悼式に参列致しました (NHK放映...
- 令和6年度(2024年)長崎平和祈念式典
- 令和6年(2024年)平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)
- 2024年度(令和6年)6月23日 沖縄戦没者追悼式にて(NHK放映よりより)
- 2024年度(令和6年)6月23日 沖縄戦没者追悼式(NHK放映より)
- 令和6年度「千葉県遺族会第一ブロック研修会議」開催
- 沖縄戦から79年 旧海軍司令部壕で慰霊祭 遺族ら150人が参列
- 令和6年度 「千鳥ヶ淵戦没者墓苑拝礼式」
戦没者慰霊式典を拝見しました。
戦争体験者が年々高齢化していく中で風化させないためには若物達に戦争の悲惨さを言い伝えて行かなければいけませんね。しかし北朝鮮の地下核実験のニュースは本当に恐ろしい事です。「戦争」と言う言葉が頭をよぎります。平和の幸せが続きますようにいのります。
お天気に恵まれた一日でしたが、高齢化の
妻の立場のお方のお姿に心が痛みました。
このような式典に癒されますともおっしゃって居られました。
11月1日には千葉県戦没者追悼式が行われます。
北朝鮮の核実験の報道にとても悲しく思います。
安心して過ごせる真の平和を祈りたく存じます。
父を失った悲しみは経験した者でなければわかりませんね。
そのような経験が幸せを大きく感ずるのかもしれません。
今、TVなどの報道の残酷な悲惨な家庭の様子を見聞きするたびに
とても残念に思います。
私も今までは父を想う気持ちの余裕もありませんでしたが
今後は遺族会のお役のお手伝いをさせていただきたく思っております。
私の伯父さん二人とも戦死の遺骨は白木の箱で中には何も入っていなかったと聞きました。
北朝鮮の核実験には呆れてしまいます。
何とか平穏に収まってほしいですね。
伯父様のご冥福をお祈りいたします。
追悼式は有り難く参列させていただきました。
私もお骨の中を見せてもらったのかもしれませんが、
小さかったので記憶がありません。
石と何かを書かれた紙が入っていたように聞いております。
2000年レイテ島に慰霊巡拝に参りましたおりに父が眠っているレイテ湾の石と砂を持ち帰りお墓に収めました。
北朝鮮の行為には腹立たしく言葉がありません。
世界の平和を祈らずにはいられません。