「晩冬の京都を歩く」の3日目。
右京区西京極の八つ橋庵かけはしさんで、
ねりきり細工を初体験。
餡子大好き、生菓子大好きなので、
生菓子って、こうやってできるんだと、感動!
食べるのは一瞬だけど、
一つひとつ手作りで、手間かかっているんだなぁ。
今度生菓子いただく時は、
しっかり味わっていただこう。
「晩冬の京都を歩く」の3日目。
右京区西京極の八つ橋庵かけはしさんで、
ねりきり細工を初体験。
餡子大好き、生菓子大好きなので、
生菓子って、こうやってできるんだと、感動!
食べるのは一瞬だけど、
一つひとつ手作りで、手間かかっているんだなぁ。
今度生菓子いただく時は、
しっかり味わっていただこう。
「晩冬の京都を歩く」の2日目の
最後の見学は京都国立博物館。
昨年、11月29日にミニ涅槃像に再会で、来たばかり。
4月19日からの特別展のパンフレットが置いてあって、
中を見たら、こんな仏像が。
初めて見たけど、
面を裂き観音の姿をあらわしているのだそう。
3人の絵師が宝誌和尚の肖像を描こうとしたとき、
「待った、本当の顔がある」と額を親指の爪で開き、
内から菩薩の顔が出現したのだとか。(@_@;)
京都の西往寺所蔵で、現在はこちらの博物館に寄託らしい。
日本では現存唯一だそう。
宝誌和尚(418-514)は中国の現存したお坊さんで、
人の心を言い当てたり、分身してみたりと、
不思議な能力を発揮したと。
日本にもエピソードが伝わり、
「宇治拾遺物語」に記載されているそう。
4月19日からの特別展『日本、美のるつぼ』
是非、見に行かなくっちゃ。
「晩冬の京都を歩く」の2日目、
南禅寺のあとは、バスで三十三間堂へ。
いつ来ても圧倒される。
十一面千手千眼観世音像を中心に、
左右に各500体、計1001体の観音立像。
観音像の前には28部衆像。
その両端には風神像と雷神像が。
すべて、国宝とはすごい。
この日は、以前から気になっていた、
「清浄歓喜団」を売店で1箱かった。
略して「お団」というらしい。
奈良時代遣唐使によって伝えられた唐菓子の一種で
千年の昔の姿そのままだそう。
唐菓子は、「からくだもの」と呼ばれ、
仏教と共に伝わり、天台宗や真言宗など密教のお供えもので、
当時は一般庶民は口にすることができず、
貴族のみに与えられたものだったそう。
「清め」の意味を持つ7種類のお香を練り込んだ「こし餡」。
清浄歓喜団は「食べるお香」などと呼ばれているそう。
ほのかに、薬草の匂い。
八つの結びは八葉の蓮華をあらわし、
「清浄歓喜団」、変わった名前だけど、
いわれは歓喜天のお供え物だったことからきているらしい。
形は単体多臂像の歓喜天(男天)が
巾着袋(砂金袋)を手にしているため、
その巾着袋を模したものだと。
上質の胡麻油で揚げてあり、
外側は硬くて、かりんとうのようだった。
伝来当時は栗、柿、杏等の木の実を、
かんぞう、あまづら等の薬草で
味付けしてあったらしく、
小豆餡を用いるようになったのは
徳川中期の後らしい。
日本で唯一、このお菓子を製造するのは
八坂神社近くに本店がある
京菓子処の「亀屋清永」さん。
美味しいお茶を淹れて、
夫と一緒に、いただいた。
明治維新後、東京遷都により衰退した京都を
当時の京都府知事の北垣国道が復興策として
琵琶湖から水を引き、その水の力で
産業振興を図ろうと建設を計画したのが始まりだそう。
1890年(明治23年)に第1疏水が完成し、
日本で最初の事業用水力発電所も建設され、
この電気を用いて開業したのが
日本初の市営電車だったよう。
今なお“現役”で活躍している人工の運河で
この上を、琵琶湖からの水が流れている。
岡崎・蹴上さんぽコース
疏水さんぽ [ 岡崎・蹴上さんぽ ]│琵琶湖疏水記念館
びわ湖疏水船【公式】
なかなか、よさげ。
是非、春、桜の時期に体験したいものだ。
銀閣寺から哲学の道を歩いて永観堂、
永観堂はツアー外だったので、
観終わって、急いで南禅寺の三門へ。
方丈拝観チケットを受け取って、
三門登って正面は法堂
南禅寺の三門好きの私、今回も一番に登った。
歌舞伎の『楼門五三桐』で石川五右衛門が
「絶景かな絶景かな。春の眺めは値千金とは、
小せえ、小せえ。この五右衛門の目からは、
値万両、万々両」と煙管を持ちながら
名台詞を吐いたのがこの三門だそう。
しかし、石川五右衛門が釜ゆでになったのが
1594年10月8日(文禄3年8月24日)なので、
死後34年経ってから建てられたもので、
実際には五右衛門がこの楼門に立ったことはない。
上層内部には金網越しに暗がりの中、
よく見えませんでしたが、
写真の聖観音像を中心としてパンフレットより拝借
左右に十六羅漢像および徳川家康・藤堂高虎
以心崇伝(中世の南禅寺を復興させるとともに、
徳川家康の側近として政治的な役割を果たした人物)
の像が安置されているそう。
方丈拝観前に、
手前の法堂を拝観した。
法堂天井の瑞龍図
金網越しに撮ったので、
パンフレットやホームページとは逆に。
この法堂、2度の消失にあって、
明治42年に現在のものが再建され、
その時、今尾景年画伯によって描かれた
蟠龍(天に昇る前のうずくまった龍)だそう。
方丈は国宝、庭は小堀遠州の作で、
名勝指定の「虎の児(子)渡し」の庭
石を親虎、小虎に見立てて、白砂で川水を、
虎の親子が川を渡っていく様子を表しているそう。
中国で素晴らしい皇帝が現れ善政がしかれると、
兎や鹿を襲って食べている虎にとっては、
悪い事をしている気になり、
大変居心地の悪い国になったものだと、
子供達を連れて国境の運河を渡って他国へ去っていきます。
「虎の子渡し」とは、善政がしかれた国を表し、
時の政権、徳川幕府をたたえていいると・・・・なるほど。