「反応しない練習」の感想です。
人は1日に何万回も何かに反応しているそうです。
家庭や職場のなかで日々起きることに。
親子や友人や地域などの様々な人間関係のなかで起きることに。
そしてテレビやネットで見聞きする膨大な情報に。
あれがあれば、こうであればという際限のない欲望に。
そして他人に対するジャッジ、好き嫌いに。
中でも自分の心から離れないあの事このこと、後悔やどうしようもないような悩みに。
人生には苦しいことや悩みがあるのが当たり前、「人生とはそういうもの」だと言います。
自分だけが免れるものではなく、義務教育をうけるが如く当たり前に人生にセットされているもの。(若い頃は自分だけ何故?と思ったものですが、バカでした)
ですが、これらの悩みやトラブルは「心の反応」によるもので、「反応しすぎること」や「無駄な判断をすること」で悩みを大きくしている。
このように、1日に何万回も反応したり判断したりしているわけですが、この本では役に立つこと以外には反応しなくていいと言っています。
(たしかに、夫のひとりごとに反応して疲れる時があります)
職場でもゴタゴタがありますが、自分から巻き込まれに行く必要もないことが多い気がします。
無関心であれと言うのではなく、現状を把握はするけど反応しすぎないこと。
「あ、また反応しているな」「あ、また判断しているな」と気づくことが大切。(やってみると本当に効きます)
これはこの本で言っていることの前段です。
とても全部をご紹介できる能力がないので、以下刺さったことを羅列します。
・人は苦しみ続けるより、苦しみから自由になることを人生の目標にすべきです。
・「納得」が人生のゴール。今に納得しているのならすでにゴールです。
・求める心から生じる執着から離れ人生の方向性を定める。
・慈、悲、喜、捨を土台に据えて、暮らしが成り立てば良し。
・すべてに反応したりすべてを判断する必要はなく、役に立つかどうかで反応すればよい。
・現実社会、競争社会を「違うモチベーション」で生きる。
・それに一体なんの意味がある?
・目をつむってみる(実際に)
・広い世界を見る。
・脳裏に浮かんだことは妄想。
・自分を肯定する。
読んで感じたのは、アドラーの「嫌われる勇気」にも通じるものがあるということです。
アドラーの言うところの「課題の分離」です。相手の課題と自分の課題とに分けること、それが反応しない練習なんだと思いました。
アドラーもトラウマは存在しないと言いますが、この本でも脳裏をよぎる過去は妄想に過ぎないと言っています。
大事な考え方は今も昔もそう変わらないのでしょうね。
思い当たる節が満載の本でした。
また読み直しているところです。
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