平野啓一郎さんの「自由のこれから」を読み始めています。
おととしに友達から「マチネの終わりに」をすすめられて読み、著者を知りました。
何しろ、人間と自由のこれからを論じているので、さ~っとは読めません。
しかし、たまにこんなハードルの高い論説っぽいものを読みたくなるチャレンジャーの私です。
読み始めたばかりですが
この一節
~消費者は極力、「消費しない」というリスクを発現しないように日常生活を包囲され、物欲の火を絶やさぬように薪をくべられ続けている~
~問題は、一人の人間にとっての今日の世界の過剰さであり、その複雑さは、何らかの形で縮減されなければならない~
・・・なるほどな~と思います。
テレビのCM、ネットの広告にたえずさらされ続けて、街には商品があふれ、知らず知らずに消費システムにからめとられている不自由。
物だけではなく、過剰な情報や他人の価値観も「知らなくてもいい自由」「しなくてもいい自由」を奪ってしまっている気がします。
それにしても、「物欲の火を絶やさぬように薪をくべられ続けている」という言葉には耳が痛いです。
薪をくべる資本側だけでなく、自分にも物欲の火種があるから燃えるのですから。
火のないところに煙は立たぬ。
生きていくのに足りる以上のものを欲しがり、なかなかコントロールできないわけです。
そんな人の弱みがこの過剰な世界を作り上げたのでしょうか。
自分にとって何が大切か、何がしたいのか。
そこがブレてはならないのでしょうね。
でも、たまにブレるから面白いってこともありますよね😅