らいふ

日々の想いと暮らしの足跡。

悪質な訪問買取に注意

2018-05-31 20:43:18 | 日記
先日、リサイクル本舗と名乗る業者から電話があった。
壊れた電気釜とか古い電話機でもなんでもいいので売ってくださいと。
瀬戸物も良いか聞いたらよいというので、来てもらった。

来てもらったら話が違う。
貴金属や古いお酒、バッグなどが欲しいんですという。

大体、乗ってきた車が違う。
リサイクル業者だから軽トラで来るのかと思ったら、普通の乗用車に会社員風のいでたちの男性二人組。

売れるような貴金属はないと何度も断っても食い下がる。
かなり、しつこい。
査定だけでもさせてほしいとか。

これはおかしいと思い、断固として断り、お引き取りいただいた。

最近はやりの「押し買い」詐欺らしい。
高齢者などから貴金属をたたき買いしているというのをネットや友達から後で聞いた。
危ないところだった。
春や秋の片付けの季節に多くなるらしい。

あ~私も隙だらけ。
こうやって詐欺に引っかかるのね。

もし、このブログを見てくださった方がいらっしゃれば、気を付けてくださいね。
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朝ドラとリアル

2018-05-30 11:19:04 | 観たもの聴いたもの読んだもの
脚本家の方というのはほんとにすごい。
どうしてあんなに「そうそう」「そういう感じ」と、ドラマと脳内キャッチボールをしてしまうようなセリフを考え付くんだろう。

今朝の「半分、青い」の秋風羽織のすずめへのレクチャー。
「リアルの前には空想は負ける。リアルが大事だ」
「どのくらい苦しみや愛や喜びに対峙し、感じてきたかが大事で空想では心は動かせない…」
というような内容だったと思うが、それを視聴者の心にグッと届くように話し言葉にする脚本家。

その心を掴むセリフをこれまた絶妙な演技で表現する俳優さん。
素晴らしいお仕事だと思う。

しかし、今でも心に残っている励みになる言葉は、それはドラマや本の言葉ではない。
身近な人が掛けてくれた、ごく普通の言葉だった。
不安に襲われたときに上司から
「大丈夫、がんばれば皆わかってくれるわよ」と言われ、肩の荷が10センチ落ちるくらいほっとして涙が出た。
期待通りにいかなくてイライラしていた時に、ふと言われた言葉
「そんなもんですよ~」
これは、私にとって魔法の言葉となっている。

出会った人から直接タイムリーに心に投げ込まれる言葉、それこそリアルなのだと気づいた今朝の朝ドラだった。
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片付けまずは終了

2018-05-30 09:59:59 | 片付け
4月から取り組んだ我が家の片付け。
最後に残っていた最難関の食器の片付け。
この度、またとないチャンスが到来し、取り掛かることができた。
チャンスと言っては失礼だが、義母がめまい症で入院したのである。
これまで、めまいで20回は入院した。ま、とにかく回復するのは間違いないので心配ない。

平たく言えば、鬼のいぬまの片付け(小声)

食器が…食器が…とにかく大量にあるのである。あちらこちらに。
50人の会食はゆうにこなせる数。料亭が開けそう。
湯飲み茶わんは200個以上、大皿、中皿、小皿は数知れず。
あ、灰皿も20まいくらいあったかな。
お盆も20枚。
おちょこは大小300個くらい。

もう…食器の佃煮ができるんじゃないかしら。

要するに冠婚葬祭を家で行ってきた時代の備品なのだ。
時代は急激に変わった。家で冠婚葬祭はほとんどやらなくなった。これからもどんどん変わる。
義母もそれは自覚しているが膨大な食器たちはがんばってきた時代の証のようなもの。

そこで、義母を傷つけず、かつ私の片付け欲求を満たす方法を考えた。

①まずは、目的別に数を決める(3人家族用、4~5人の来客用、大勢の会食用)
②それらの置き場所をゾーニングする。
③そして、ラベルなどで見える化する。

台所の食器棚には家族用。小さい食器棚には4~5人の来客用。
義母の言う、もしも何かがあったときの冠婚葬祭用は段ボールに入れて車庫の棚に。
箱に種類と数をラベリングして見える化した。
これなら、だれがお手伝いに来ても分かる。

その三つの目的には不要なものや多すぎるものを処分した。
段ボール6個分あった。
リサイクルセンターに直接搬入し10キロで140円として1500円ほど支払い処分できた。

もしも何かがあったとき困るからと心配して備蓄する。
しかし今や、もしも何かあったときは、物がなくて困るのではなく物があって困るのだ。
津波の時はがれきが凶器になった。がけ崩れの時は物の下敷きになり人命救助が遅れる。
地震の時は散乱した物の片付けに追われる。
物がなくて困るような目にあうのは避難しなければならないような時である。
家にいくらあっても意味がない。

江戸時代は火事が多かったからいつ焼けてもいいように身軽な生活をしていたという。
そうなのだ。いつ何が起こってもいいように物を少なくするべきなのだ。

しかし、家族と折り合いをつけて片付けるには歩み寄らねばならない。
大事なことは物の場所と優先度を把握できるようにしておくことだ。

あ~プチ達成感。
自分へのご褒美に豆大福を食べてしまった…。
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ひどすぎる!

2018-05-24 08:59:18 | 観たもの聴いたもの読んだもの
日大アメフトの悪質タックルの問題はひどすぎる❗
最近こんなに腹のたつことはない。
選手の真摯な謝罪に引きかえ、指導者のなんと情けないこと。
政治家も同じ。往生際が悪いことこの上ない❗
保身のためにごまかす大人の姿を毎日みさせられている。
森友、加計、セクハラも同じ。
あ~こうして誤魔化して時間稼ぎをしてうやむやにしてしまえるんだな、権力者は。
と、若い人達に刷り込まれるのではないかと心配になる。
謝罪した選手は事実を述べ自分だけを責めていた。
彼がいばらの人生を歩むことは間違いない。
これからも真摯な生き方をすることで自分を赦す日が来ますように願うのみ。
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日記を処分

2018-05-21 20:49:15 | 片付け
今日の片付けは“日記”
高校時代から30代前半くらいの日記、大学ノート6冊。
さっと読み返したけど、なんじゃこりゃ??の内容。

あの頃は自意識過剰で、あーでもない、こーでもないと逡巡し無限ループをまわっていた。
今となってはさすがに恥ずかしい。
あっさり捨てることができた。

いつどうなるかわからない年代にはいった。
あんな日記が他人の目に触れると思ったら死んでも死にきれない。
少しづつ終活しなくては。

なにも顧みないで思い出をとっておくより、きちんと対峙してみて手放したほうがよい。
手放すことで思い出はより深く刻まれる。そんな気がする。
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