牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

タイ式マッサージ初体験

2015-07-27 18:41:32 | Weblog
恵みと愛との 光り輝き
愛のうち歩み 聖霊ともに
高らに賛美し 祈りをささげ
主イエスに従う 天国の日々

光の子として 賢く歩み
聖書にアーメン 確信の道
福音伝える ほほえみ豊か
主イエスに従う 天国の日々

御霊に満たされ 輝きの道
みこころ求めて ひたすら進む
十字架のイエスは いつもおられて
主イエスに従う 天国の日々
アーメン

生まれて初めてのタイ式マッサージ。最初はタイ人男性が、足首から腰、上腕までを力強くもみほぐし、思わず痛いと言いたいくらい。一通り済むと台湾女性院長が、さらに揉み解し痛みも強い、堅いですね。首の周りが大切です。頭もマッサージ。一通り終わると、血の巡りが良くなったから、ゆっくり休んでとベッドで30分ほど熟睡。目覚めて着替えると、マーボ豆腐と玄米の昼食まで用意してくれ、ご馳走になる。握手して幸せと、台湾のひとり娘と中学生孫、タイ式マッサージの祝福を祈る。初めての出会いだが、イエス・キリストを信じる祈りまでアーメン。
タイ人男性は日本語が十分でないようだが、祝福の祈りにアーメン。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。感謝します。

深い憐みの十字架

2015-07-27 07:01:25 | Weblog
聖書の一言;マタイの福音書14:14 イエスは舟から上がられると、多くの群衆を見られ、彼らを深くあわれんで、彼らの病気を直された。
当時のガリラヤ地方は、南北80キロ、東西40キロの間に、204の町村があり、それぞれ1万5千人以上だったそうです。イエス・キリストは、病を癒し奇跡をすることで良く知られ、領主ヘロデでさえ、その噂を知り、自分が虐殺したバプテスマのヨハネが、死人の中から生き返ったんだと恐れるほどでした。
そんな中でガリラヤ湖の対岸に、難を避け、群衆から離れて休むために、船で逃れました。しかし、人々は町々から歩いて、イエス・キリストの後を追いました。休む間もない中で、多くの群集を見られ、
彼らを深くあわれました。平和と静寂と孤独を求めたのに、もう群衆に取り囲まれたのです。
家得あう・キリストは、腹を立て、うるさいという気持ちを、声を荒げて追い返しませんでした。彼らを深くあわれみました。
あわれみは、単なる気休めの同情心ではなく、はらわたがよじれるほどの断腸の思いです。
英語=compassion=人の痛みを理解し、何かをしてあげたいという、断腸の人道的な性質の現れです。そこから生まれる辛さや悲しみを自分のものと感じ、助け癒し救う力です。
へブル書2:18 主=イエス・キリストは、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。
4:15 私たちの大祭司=イエス・キリストは、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
そして、彼らの病気を直されました。奇跡は見世物や人寄せの手段ではなく、神の愛の現れです。
愛=Love
L=Listen=聴くこと
O=overlook=大目に見ること
V=voice=声をかけること
E=effot=努力すること
愛は、それなりの努力や時間を割くことなど犠牲を伴います。その犠牲とは思わない生き方です。愛こそが最高の憐れみです。その愛を十字架に見ます。
ヨハネの福音書15:13 人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。あなたがたはわたしの友です。
ペテロの第一の手紙2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。
ありがとうございます。今日もまた憐れみ豊かな天国の一日です。感謝します。