牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

末期がんホスピス転院

2015-07-01 18:14:19 | Weblog
詩篇23:6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみ=愛と恵みとが、私を追って来るでしょう。私はいつまでも、主の家に住まいましょう。
詩篇23篇は、真珠のように耀く詩。私は二人も美しく有能な秘書があります。起きるときも寝る時も、何をし、どこへ行く時もいつも伴い、いつもいっしょです。
名前は、愛と恵みです。だれでもアーメンと信じるなら、いのちの日の限り、病の床でも、死の陰の谷間を行くときも、天国へも伴います。
明日は、ラジオ放送を聞いて、大阪で最初の礼拝から参加している75歳の女性i教会員が、入院先の病院から救急車で、湯川胃腸病院ホスピスに転院します。家内も同じホスピスで昨年召され、教会員も安心してホスピスへ入院。明日は見舞いに駆けつけ平安と守りを祈ります。私はいつまでも、主の家=天国に住まいましょう。
イエス様を信じ信頼する人生は、恵みや祝福が追いかけて来る日々。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

詩篇23:1-6 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいまし


狭い門

2015-07-01 08:32:04 | Weblog
聖書の一言;マタイの福音書7:13-14 狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。
アンドレ・ジッドの狭き門で知られている聖書のことばです。人生には劇的な要素があり、人の一生は分岐点で決定されます。だれにも道が開かれている。あの道、この道と多くの道がある。多くの人は、広い道、安易な道を進むが、その終局は滅びの地獄への道です。イエス・キリストに従う道は、狭い道です。その狭さは新幹線の線路と同じです。鉄路の上を走るときのみ安全です。目的地に確実に着きます。
高潔な魂は、高尚な道を歩み、低俗な魂は、欲望の道だけを歩みます。
困難な道と安易な道、どちらを選べば良いのか。困難な道を選べば偉大な人生で、いのちへの道。安易な道ばかり選べば、困難に出会い滅びへの道。
急がば回れというが、近道だけをして成功した人はいない。軌道の上を進み続け、規定に従って走り抜こう。放縦で好き勝手な人生では、滅びに向かう寂しい結末が待っている。
道が広いから安易で魅力的に思え、狭いから困難で恐ろしく思える。永遠を見る目で、物事を判断する力を、イエス・キリストは与えてくれる。わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。アーメンと信じて、真理の道をまっすぐに進む平安と恵みを体験しましょう。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。