牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

地獄のような人生、死んでからも地獄はイヤダ!

2015-10-25 19:08:26 | Weblog
詩篇144:3 主よ。人とは何者なのでしょう。あなたがこれを知っておられるとは。人の子とは何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。人はただ息に似て、その日々は過ぎ去る影のようです。
朝は、花を咲かせているが、また移ろい、夕べにはしおれて枯れます。
紅顔の美少年、夕べには白骨と化す。
私たちの齢は70年。健やかであっても80年。しかも、その誇りとするところは、労苦と災いです。それは早く過ぎ去り飛び去るのです。
もし、天国がないなら、なんと辛く悲しい人生。食べて寝て起きて、働いても働いても、何を食べ、何を着ようかと、思い煩いがついて来る、寂しく死んで行く空しい人生。それは100歳時代になっても変わらない現実。
天国行きの切符を持っているなら、地獄行きではなく、間違いなく天国のホームに到着です。
多くの臨終に立ち会いました。イエス・キリストの十字架と復活の救いを、アーメンと信じるだけで、天国への旅立ちです。葬式は葬られるのは、地上の住まいである肉体だけです。その霊魂は、迷うことなく天の住まいへ移されます。
日本最大の組織の親分がガンになり、イエス・キリストの救いを受けるように、実弟の牧師から勧められ、生きている間は地獄だった。死んでからまで地獄には行きたくない。アーメン信じますと、69歳の生涯を閉じました。信じて、召天式は天国への勝利の凱旋。最高のセレモニーです。涙も悲しみもあるが、それを越えて天の平安と慰めがあふれる時です。新しい勇気を与えられて踏み出す時です。その式の写真を見せてもらいながら、イエス・キリストの十字架の救いを賛美しました。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日。感謝します。


両家のちがい=パパ、ママ。お父さん、おかあさん。

2015-10-25 06:40:48 | Weblog
聖書の一言;ルカの福音書10:6 もしそこに平安の子がいたら、あなたがたの祈った平安は、その人の上にとどまります。だが、もしいないなら、その平安はあなたがたに返って来ます。
平安=シャローム。すべてのお出会いにシャロームの挨拶と祈りを。受け入れてくれたら、その人の上に平安がとどまり、受け入れてくれないから、その平安は祈った方に返って来ます。
散歩の時、出会いの一言の挨拶から、すばらしい関係が始まったり、いつでもどこでも平安を祈る日々です。世界中が平安を祈りあう関係になるよう祈る朝です。
今朝は、神戸ポートアイランドからも礼拝に来てくれます。午前9時30分に平安を祈り、アーメンと信じてからの礼拝です。堺市からも用がり参加です。
午後は、大阪新世界=通天閣西入口前のエリムキリスト教会。梅田オアシスの売店もあります。礼拝が終ると、電車で先に帰宅。
8歳の孫の一週間早い誕生祝い。29日から種子島へ行くので、みんな=10名=4歳、6歳,8歳の男の子たち、10歳、18歳の姉二人。パパ&ママ。お父さん&お母さん。そして祖父。
ありがとうございます。今日もまた平安あふれる天国の一日です。感謝します。