牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

恵みと愛との

2013-09-26 18:07:08 | Weblog
恵みと愛との 十字架のもとで
平安よろこび 幸せにみち
希望は輝き  天国の日々
ハレルヤアーメン 栄光の道

信ずる祝福 復活の主と
日々ともに生きて 感謝にあふれ 
全ては益となり 天国の日々
ありがとう感謝で 栄光の道

御霊に満たされ  福音伝え
アーメン信じる 救いは豊か
新たな人生   天国の日々
御国に着くまで 栄光の道
アーメン


ローマ人への手紙3:23 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、

3:24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。

3:25 神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。

3:26 それは、今の時にご自身の義を現わすためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。

3:27 それでは、私たちの誇りはどこにあるのでしょうか。それはすでに取り除かれました。どういう原理によってでしょうか。行ないの原理によってでしょうか。そうではなく、信仰の原理によってです。

3:28 人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。

水は彼らのために右と左で壁となる

2013-09-26 04:08:00 | Weblog
聖書の一言=出エジプト記14:22 そこで、イスラエル人は海の真中のかわいた地を、進んで行った。水は彼らのために右と左で壁となった。
どんな時にも、全能の神を信頼し前進出来る幸い。「できる」遺伝子が目ざめる生き方・考え方は、聖書のことばを信じ告白することによって、努力や頑張りでなく、恵みにより奇跡があなたの中に起こります。
海の真中のかわいた道を進み、偉大なエクソダスのクライマックス、前代未聞の奇跡がなされました。水は彼らのために右と左で壁となりました。
同じことが今も起こっています。家内は末期がん余命一年を宣告されていますが、3年目の秋を迎え、髪もずっと黒々、新婚当時のように若返っているようにさえ見えます。治療も自分で通院しています。最近は息子や娘の車ですが。
私は小脳内梗塞10月で2年目迎えます。すべてのことに感謝しつつ、私達の試練がまるで壁のように守ってくれています。死んでも天国、生きても天国です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。


昨日は、八尾市の徳洲会病院に見舞いに行きました。肺気腫で点滴を受けるために入院中です。点滴を変えに来た青年看護師とであり、握手をし幸せを祈るとアーメン。アーメンといえば救われるので、イエス様を信じますと、病人のために祈るよりも先に祈ってくれました。

駅まで送ってもらい、美味しいコーヒーを飲みましょうと奥様に誘われ、喫茶店で詳しく病状を聞くこともでき幸いでした生駒駅前の近鉄デパートで少し夕食と、家内のために桃と柿を買って帰りました。

八尾駅から病院、生駒駅から聖書学院とタクシーを利用。幸い短い時間ですが、福音をお伝えする幸いなとき。ラジオ放送が42年になるので、聞いたかもとも応じてくれたり、速すぎるから寝てますと言われたり、話のチャンスになるので遠慮しないで、牧師ですと自己紹介して話します。

沈黙は金と昨日書きましたが。黙るときはだまり、同時に有言実行で、福音を伝えよと神学生に教えているので、自分も実行し机上の空論にならない生き方をしているつもりです。

タクシーでも握手をする機会があれば、料金支払いが終わり、アーメンと信じてくれた方が結構あります。イエス様の救いは、いつでもどこでもだれでもが経験できる、すばらしい恵みの福音です。

今日は午前中講義。ボツボツゆっくりと、聖書のことばを信じ告白しつつ過ごしています。

ローマ人への手紙

10:8 では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。

10:9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。

10:10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。

10:11 聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」

10:12 ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。

10:13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。

10:14 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。

10:15 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」

10:16 しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。「主よ。だれが私たちの知らせを信じましたか。」とイザヤは言っています。

10:17 そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。

10:18 でも、こう尋ねましょう。「はたして彼らは聞こえなかったのでしょうか。」むろん、そうではありません。「その声は全地に響き渡り、そのことばは地の果てまで届いた。」