牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

財布が空っぽでも平安で幸せ

2013-09-19 05:51:26 | Weblog
聖書の一言=出エジプト記12:15 あなたがたは七日間種を入れないパンを食べなければならない。

出エジプト脱出(エクソダス)のとき、種をいれないパンを食べました。エジプト中に災害が襲った緊急のとき、ゆっくりパンを焼いている時間もなく、お急ぎでの出発でした。

聖書でパン種は、純粋でない異なる教えを意味します。純粋でない福音や異端が氾濫する現代こそ、種を入れないパン=純粋で聖書そのままの教え=が必要です。

イエス・キリストの十字架と復活をアーメンと信じ、神の子となり、罪や病、呪いや貧困や死=地獄=から救われます。精神的、霊的、肉体的にも、に正しく健やかに祝福され、天国に行くまで豊かに、平安と幸せに生きる恵みです。

この世の基準ではなく、聖書の教え=規範=を純粋に真っすぐアーメンと信じ、告白し、実行するとき、今日もまた天国の一日です。感謝します。

この世の基準は、相対的です。幸せでも物があれば。幸せと思い、なけれな得るまで頑張り、手に入れたらその瞬間に次の物を求めます。

イエス・キリストを信じると、あるがままで平安、幸せです。健康であればいいですが、たとえ余命一年の末期がんでも平安で幸せです。末期がん余命一年の家内の生きざまを見ていると、三年目の秋を迎え、その平安と幸せな顔を毎日見ている私も、息子・娘家族も幸せです。

たとえ財布が空っぽでも、幸せです。感謝する時、不思議に必要は満たされ、笑顔が輝きます。お金に困っている新婚があり、すべてに感謝だよというと、すごく不満顔で牧師はいいですよ。お金に困っていないんでしょうと言うので、財布を出して開いて見せました。千円札もない貧しい牧師時代のことです。財布は空っぽでした。

彼は驚いて、牧師を見ているといつもにこにこして、何不自由のない金持ちに見えるけれど、それで平気に感謝しているんですね。ありがとうございます。感謝して生きていきます。そんな体験がいっぱいある牧師です。

いつでも、どこでもあるがままで平安で幸せ。死んでも天国、生きていても今日もまた天国の一日です。

十字架のいのちを捨ててまで愛してくださり、三日目に復活されたイエス様が、アーメン信じますと言った日から、いつも共におられる平安、幸せです。

種を入れないパンを食べるように、聖書の教えを真っ直ぐ純粋に受け止め、平安で幸せな天国の日々を体験なさってください。

コリント人への第一の手紙

5:6 あなたがたの高慢は、よくないことです。あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか。

5:7 新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。

5:8 ですから、私たちは、古いパン種を用いたり、悪意と不正のパン種を用いたりしないで、パン種のはいらない、純粋で真実なパンで、祭りをしようではありませんか。

5:9 私は前にあなたがたに送った手紙で、不品行な者たちと交際しないようにと書きました。

5:10 それは、世の中の不品行な者、貪欲な者、略奪する者、偶像を礼拝する者と全然交際しないようにという意味ではありません。もしそうだとしたら、この世界から出て行かなければならないでしょう。

5:11 私が書いたことのほんとうの意味は、もし、兄弟と呼ばれる者で、しかも不品行な者、貪欲な者、偶像を礼拝する者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪する者がいたなら、そのような者とはつきあってはいけない、いっしょに食事をしてもいけない、ということです。