聖書の一言=出エジプト記3:11 モーセは神に申し上げた。「私はいったい何者なのでしょう。パロのもとに行ってイスラエル人をエジプトから連れ出さなければならないとは。」
このことばは信仰告白ではない。不信仰の告白です。自己不信のことばです。自分を信用しないのはその思いが、イエス・キリストを信じ信頼するほうへ、アーメン信じますと告白する限りはよい。
そうでなければ、自己不信は無気力となり、精神的に行き詰まり、どのような行動も、生きる気力まで無くしてしまいます。
私たちが何者であれ、十字架にいのちを捨ててまで愛され、世の終わりいつも変わりなく、ともにおられる約束をくださる、イエス・キリストを信じるとき、聖霊と聖書のことばに導かれて生きる人格へと変えられます。
アイデンティティ=自分は何者であり、何をなすべきかという個人の心の中に保持される概念=は確立し、使命感に燃える人生を生きることができるのです。十字架と復活の素晴らしさを、アーメンと言えば救われますと、伝え続けましょう。今日もまた天国の一日です。
静かな朝明け 楽しい祈り
平安喜び 恵みの歩み
主イエスの十字架 主イエスは復活
助けと守りを 常に与えて
悩みや苦しみ すべて喜び
へいあん希望で 乗り越え進み
聖書の約束 真実なれば
信じて告白 みことば実行
アーメン信じて バプテスマ受け
神の子となり 自由に生きる
走り疲れず 歩みて倦まず
新たな力は わしのつばさで
アーメン