牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

口から良いものを出そう

2011-05-25 09:29:06 | Weblog
口から出るもの、それは言葉です。言葉は心の表現です。心は目で見ることはできませんが、耳で聞くことができるのです。
口から出まかせばかり言う人もありますが、一貫性がありませんから聞けば聞くほど、いい加減さに驚かされます。

心にもないことを言う人もあります。絵空ごとばかりしゃべる人もあります。人それぞれ口から出る言葉で自分を表現しているのです。
悪口や嘘いつわりは、人を傷つけ痛めます。

聖書は神の口から出た、生きていて力のあることばです。神のことばがどんなに勇気を与え力強いかを体験しながらのクリスチャン人生です。

詩篇1:2-3 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。

神(聖書の言葉)の教えを喜びとし、昼も夜も聖書のことばを口ずさむなら、すばらしい成功人生が約束されます。その人はどんな状況や環境にあっても大丈夫です。流れのほとりの木が青々と生い茂るように、グッドタイミングで何をしても栄える=繁栄する=成功人生を生きるとの約束です。

 心を神のことば=聖書のことばでいっぱいにしてみましょう。イヤな言葉や悪口、不平不満や中傷、皮肉が軽々しい噂話など、心の中から放り出して。イエス様の血潮でキリサッパリ洗い流していただき、人を生かすことばが聖霊の豊かさによって語りだされる天国の一日でありますようお祈りいたします。

詩篇
19:7 主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。
19:8 主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。
19:9 主への恐れはきよく、とこしえまでも変わらない。主のさばきはまことであり、ことごとく正しい。
19:10 それらは、金よりも、多くの純金よりも好ましい。蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘い。
19:11 また、それによって、あなたのしもべは戒めを受ける。それを守れば、報いは大きい。

19:12 だれが自分の数々のあやまちを悟ることができましょう。どうか、隠れている私の罪をお赦しください。
19:13 あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください。それらが私を支配しませんように。そうすれば、私は全き者となり、大きな罪を、免れて、きよくなるでしょう。
19:14 私の口のことばと、私の心の思いとが御前に、受け入れられますように。わが岩、わが贖い主、主よ。


語れないような時でも

2011-05-25 09:23:55 | Weblog
牧師は礼拝や集会ごとに説教をします。メッセージを語ると言った方が的確ですが。
語ることが苦手で牧師にはなれないと考えていました。聖書を読んでいた時、「ああ、麗しいかな。良いことを告げる足は」という言葉に出会いました。
 
良いこと(福音)を伝える、それだけで良いのだと信じて牧師になりました。嬉しい知らせを伝える情熱をもっと欲しいと願いながら、いつも聖書のことばをお伝えしています。

 ある神学校から説教学の教授依頼があり、親しい牧師に相談しました。そうすると説教学の教授は説教はうまくなくても良いとのアドバイスだったので引き受けました。
 
何事も、先を予測して準備していると良いのですが、突然頼まれたりすることもあります。礼拝の直前まで何を話すか決まっていないときもあります。あせればあせるほどうまくいかないこともあります。
 
長年の牧師生活ですが、ふり返って見ると何とかなってきました。そんな説教の時に限って、今日もメッセージで勇気をもらいました。必要なアイデアが与えられました。慰められて感謝しますなど、いろんなことばが帰ってきます。
 
そんなとき、ほんとうに確実に存在される聖霊の息吹によって語れたと感動します。見えないけれども確実に助けてくださる助け主がパワーを与えてくださったのです。
 
超自然的な聖霊のパワーは、初代教会時代だけでなく、今もなお存在しています。心を素直にして待ち望む時、聖霊に満たされて語る自由が与えられます。
 講壇に立つまであきらめないで、主を待ち望み、みことばを語り伝えたいと願いつつです。

ルカの福音書12:12 言うべきことは、そのときに聖霊が教えてくださるからです。

ヨハネの福音書3:34 神がお遣わしになった方は、神のことばを話される。神が御霊を無限に与えられるからである。
6:63 いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。