牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

母の日になぜカーネーションを?

2011-05-08 07:16:06 | Weblog
なぜカーネーションが母の日のシンボルなのでしょうかか?

 母の日は1908年5月10日(日)アンナ・ジャービスが、フィラデルフィアのキリスト教会で、母(牧師の妻で社会活動家ミセス・ジャービス)が好きだった白いカーネーションを召天記念礼拝で配りました。

 やがて熱心なクリスチャンだった百貨店王ジョン・ワナメーカーが、その感謝に感動してデパートで母の日感謝会を開催し、全アメリカの注目を集めます。

 1914年、大統領ウイルソンが5月第二日曜日を母の日と制定し、国民の祝日になり今日まで続いています。

 日本では1913年(大正2年)ごろからキリスト教会(日曜学校)で母の日が始まり、1937年(昭和12年)森永製菓は母の日を宣伝し、全国的に広がり始めます。戦争に突入し鬼畜米英のまねごとはとの府に気でしたが、1947年(昭和22年)公式に五月第二日曜日が母の日となりました。祝日ではありませんが・・・・。

 ミセス・ジャービスは、牧師夫人として教会に仕えると同時に地域社会への活動家として、平和を求め続けていました。だから娘のアンナ・ジャービスが願った母の日は、たんにすばらしい母に感謝するだけでなく、心から平和への願いが込められていたのです。

 母の日にカーネーションを贈る習慣になっているのは、ミセス・ジャービスがカーネーションを好んだことからきています。

 もともと、カーネーションは“母と子”や“母性愛”の象徴とされている花です。

 カーネーションは、十字架にかけられたキリストを見送った聖母マリアが落とした涙から生じた花だと言われいます。

 白いカーネーションは十字架にかけられる前のキリストとマリアを、赤いカーネーションはキリストの体から散った血の色や復活したキリストを象徴しているのです。

 真実の愛は、イエス・キリストの十字架上に示されたアガペの愛、自らを犠牲にして全人類の罪を贖った尊い愛です。

 その愛にもっとも近いのが母の愛だと思います。8歳のときに母は死にましたが、産み育て愛してくれたので今の自分があります。カーネーションを贈る生母はいませんし、白いカーネーションを胸に飾ることのありません。けれども平和を創り出す人は幸いです。その人は神の子と呼ばれますと、平和を祈りつつ今日も十字架と復活の福音を語り続けています。

ローマ人への手紙

5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

5:6 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。

5:7 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。

5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

5:9 ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。

5:10 もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。

5:11 そればかりでなく、私たちのために今や和解を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を大いに喜んでいるのです。