牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

ラジオ放送希望の声が37年目にはいります

2010-06-09 09:38:12 | Weblog
昨日は朝日放送スタジオへ、ラジオ放送7月分の録音で出かけました。7月7日(水)放送分から37年目に入ります。

 最初は日曜日の朝6時10分でした。ABCラジオの都合で朝5時50分になり、さらに水曜日朝5時5分が長く続き、数年前から朝4時35分になりました。

 ラジオ放送のゴールデンタイムだと受け止めています。その時間にラジオを聴いている方もたくさんあります。大阪の教会に来られている方は、早起き会の指導者でした。早起き会に行くたびにラジオ放送を聞いておられて、大阪エリムへ来てクリスチャンになりました。

 タクシーで車庫入れ前に聞いていて救われた方も数人あります。局の警備員の方も、朝早く運転していた時に聞いたことがあるとのこと。タクシーに乗り挨拶したら、ラジオ放送で聞いたことがある、同じ声ですねと言われることもあります。

 放送記念日が近づくと毎年同じ話になってしまします。

 37年前、ちょうど名神高速道路で木曽川の上を走っている時、ラジオ放送をやらないかと友人に声をかけられました。

 話し下手、赤面恐怖症だえでなく、中学生や高校生だけの小さな教会、アルバイトをしながらの富雄キリスト教会でした。電波料は5万円。教会の一ケ月分の献金と同じくらい。どう考えても無理です。できへんわ(できない)と言うことばが舌の上に乗っていました。

 できへんわ!と言う前に、一ケ月くらい祈って返事して良いとの声。できないということばをの見込みました。あの日できませんと断わらなかったので、36年間も希望の声は続いているのです。

 愛知県稲沢市のキリスト教会で祈りつつ、聖書を開きました。すると見よ!と言う文字が目に飛び込んできました。

 「見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた」とありました。思わずアーメンと告白し、ABCラジオでの放送を決断しました。

 聖書のことばは神のことばです。生きていて力があります。神はみみことばを実現しようと見張っておられます。

 その日以来、黙示録 3:7 また、フィラデルフィヤにある教会の御使いに書き送れ。『聖なる方、真実な方、ダビデのかぎを持っている方、彼が開くとだれも閉じる者がなく、彼が閉じるとだれも開く者がない、その方がこう言われる。

3:8 「わたしは、あなたの行ないを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。

 ライフワードとなり、ラジオ放送放送だけでなく、どのような状態に直面しても、誰も閉じることのできない門が開かており、神の栄光があらわされる確信を与えられています。

 7月から37年目に入ります。そのことを感謝して視聴者プレゼントは、ラジオメッセージ集「愛・輝きの向かって」(1200円)をお贈りします。

 今日もまた天国の一日です!

 ありがとうございます。誰も閉じることのできない門を開いてくださいました。感謝します。
 可能性の扉はいつも開かれています。救いの門に入り、次々と開かれてい祝福の門を天国ぬ向かって進み続けましょう。

エレミヤ書1:12 主はわたしに言われた、「あなたの見たとおりだ。わたしは自分の言葉を行おうとして見張っているのだ」(口語訳)

すると主は私に仰せられた。「よく見たものだ。わたしのことばを実現しようと、わたしは見張っているからだ。」(新改訳)


主はわたしに言われた。「あなたの見るとおりだ。わたしは、わたしの言葉を成し遂げようと/見張っている」(新共同訳) 

開かれた門の祝福

2010-06-09 07:58:33 | Weblog
先日、両手に荷物を持って歩いていると、自動ドアが開きません。あれっ?ドアが開かない?ダイエットがうまくいったかなと思い、ドアを見ると押すとあり肘で触れると開きました。

 ラジオ放送希望の声37年目の放送録音で、朝日放送スタジオへ行きました。37年前の7月7日(日)に第一回の放送で話し、日曜日が水曜に変更になり今年の7月7日を迎えました。