牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

価値ある宝物、それは微笑み

2010-06-05 06:09:59 | Weblog
昨日は、孫の満一歳とパパとの誕生祝いでした。35歳のときに生まれた息子は、もう四人の子どものパパで34歳になりました。

 写真館から近くのレストランへ。一部屋を開けてもらいましたがにぎやかなこと。それぞれが食べたい物を注文するまで一騒動。主役の一歳は動き回り、三歳はそれをあやそうとし、五歳はそのふたりを相手にする。やっと料理が来るとお腹が空いていたのかよく食べている。

 寝る子は育つと言うが、食べる子も育つと思いつつ、お姉ちゃんが五歳の妹に食べるマナーを教えながら、仲良く食べている姿に感謝しつつの夕食でした。

 チャペルタイム(打田キリスト教会)の中に、微笑みの価値という19世紀イタリアの詩がありました。

微笑みはお金を必要とせず、多くのものを生む。

それを受ける者を豊かにするが、与える者をまずしくはしない。

微笑みは生み出された瞬間に消えてゆくが、その記憶はときに永遠である。

どんなに裕福でも、微笑みなしにはいられない。

しかし、どんなに貧しい者でも、微笑みを与えることはできる。

微笑みは、家庭において幸せを創造し、仕事の支えとなり、友情の確かな証となる。

微笑みは、疲れに安らぎをもたらし、失意を勇気に変容させ、悲嘆に慰めを与え、あらゆる苦悩に対する有効な解決方法となる。

微笑みは、どんなにお金を積んでも買うことはできず、貸すことも、盗むこともできない。

なぜなら微笑みは、分かち合う者同士にとってのみ、価値ある宝物なのだから。

そしてもし、あなたに微笑みを与えぬ人に出会ったら、あなたのほうから微笑みかけなさい。

微笑みは、それを与えることを知らない人にこそ、一番必要なものなのだから!


ペテロの第一の手紙

3:8 最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。

3:9 悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。

3:10 「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押えて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、

3:11 悪から遠ざかって善を行ない、平和を求めてこれを追い求めよ。

3:12 主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。しかし主の顔は、悪を行なう者に立ち向かう。」

3:13 もし、あなたがたが善に熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。