牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

健やかになる言葉で、ゆとりの一万歩を

2010-06-08 09:08:50 | Weblog
99年11月19日に左脳内出血になり東京で入院治療・リハビリ訓練を一カ月余り、イエス様の恵みにより癒され元気になりました。

 中学生のころは片道9キロを通学し、歩け歩けで元気そのままでした。自動車に乗るようになり、ドアからドアへの多忙な日々になり、毎日の歩行は3000歩くらい。どこかへ出かけるときも生駒駅まで送迎があり、歩くこともほとんどなくなりました。

 2003年10月13日に、ゆとりの一万歩として毎日歩こうと決心し、一日に一時間のゆとりを持てればと思いました。

 聖書学院内を歩く時も、少しだけ回り道をして一日3000~4000歩になるようにすると、一時間の散歩で一万歩が可能になりました。

 車を使わないで出かけるときは、生駒駅駅まで3000歩を歩き、東京へ行くときは新幹線の中を歩いたり、ときには飛行機の中を歩くこともあります。

 今年もアフリカへ行きますが、ケアで朝の散歩をしたとき強盗にナイフを突き付けられて以来、アフリカでは早朝の散歩を止めました。

 ホテルの中を朝早く最上階から階下まで歩いたりしながら、どこへ行ってもゆとりの一万歩ですが、必死の一万歩だとも思い笑ってしまうこともあります。

 特に外国の場合は時差があり、万歩計は時差の切り替えが面倒なのでそのまま歩きます。ケニアでは6時間なので、午後6時までには一万歩が必要で・・・・。

 脳内出血で倒れて元気になった体験を、「ハレルヤと歌いつつ」と題して小冊子を出版しました。その中にの半分は聖書の健康への約束のことばを書いています。

 日曜日も病院から礼拝に出席した方は、もうボロボロになりかけた「ハレルヤと歌いつつ」を開き、聖書のことばに赤線がたくさん引き、毎日読んでいるんですよと見せてくれました。

出エジプト記23:25 あなたがたの神、主に仕えなさい。主はあなたのパンと水を祝福してくださる。わたしはあなたの間から病気を除き去ろう。

申命記7:15 主は、すべての病気をあなたから取り除き、あなたの知っているあのエジプトの悪疫は、これを一つもあなたにもたらさず、あなたを憎むすべての者にこれを下す。

詩篇23:4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。

詩篇41:1 幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は。主はわざわいの日にその人を助け出される。
41:2 主は彼を見守り、彼を生きながらえさせ、地上でしあわせな者とされる。どうか彼を敵の意のままにさせないでください。
41:3 主は病の床で彼をささえられる。病むときにどうか彼を全くいやしてくださるように。

詩篇107:18 彼らのたましいは、あらゆる食物を忌みきらい、彼らは死の門にまで着いていた。
107:19 この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から救われた。
107:20 主はみことばを送って彼らをいやし、その滅びの穴から彼らを助け出された。

イザヤ書38:16 主よ。これらによって、人は生きるのです。私の息のいのちも、すべてこれらに従っています。どうか、私を健やかにし、私を生かしてください。
38:17 ああ、私の苦しんだ苦しみは平安のためでした。あなたは、滅びの穴から、私のたましいを引き戻されました。あなたは私のすべての罪を、あなたのうしろに投げやられました。

イザヤ書53:4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
53:5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

エレミヤ書30:12 まことに主はこう仰せられる。「あなたの傷はいやしにくく、あなたの打ち傷は痛んでいる。
30:13 あなたの訴えを弁護する者もなく、はれものに薬をつけて、あなたをいやす者もいない。
30:17 わたしがあなたの傷を直し、あなたの打ち傷をいやすからだ。――主の御告げ

出エジプト記 15:26 そして、仰せられた。「もし、あなたがあなたの神、主の声に確かに聞き従い、主が正しいと見られることを行ない、またその命令に耳を傾け、そのおきてをことごとく守るなら、わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたをいやす者である。」

第一ペテロ2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

マタイの福音書 8:17 これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。「彼(イエス・キリスト)が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。」

マルコの福音書16:17 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、
16:18 蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」

使徒の働き3:16 そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。

テサロニケ人への第一の手紙5:23 平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。
5:24 あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。

ヨハネの第三の手紙1:2 愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。

ピリピ人への手紙1:20 それは、私がどういうばあいにも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが現わされることを求める私の切なる願いと望みにかなっているのです。
1:21 私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。
1:22 しかし、もしこの肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいのか、私にはわかりません。
1:23 私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。
1:24 しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためには、もっと必要です。
1:25 私はこのことを確信していますから、あなたがたの信仰の進歩と喜びとのために、私が生きながらえて、あなたがたすべてといっしょにいるようになることを知っています。

 生きていても死んでも、今日もまた天国の一日です!と、神の絶対的な祝福の中で、幸せに感謝しつつ栄光を神に帰す、救われた人生に感謝します。