枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

サンタさんが怖いよぉ

2008年12月21日 | Weblog
 今日は、あわてんぼうのサンタさんが、プレゼントを持って、訪れてくれましたが、1年生の姉の方は、父親にしがみついている。

 4歳の妹は、声がおじちゃんだねぇ。おじちゃんがサンタさんなの?とじっと見つめる。どちらもプレゼントだけはほしいのでもらう。お目当ての物だったり、思いもかけない物だったりで、一気に盛り上がる。

 其々にプレゼントが行き渡って、娘の婿が、トイレから何気なく出てくる。あれ?おじちゃん。トイレに居たの。そうだよ、出るものが出なくて困ったよ。ふう~ん・・・。あれれ、何か変ですぅ。じゃあさっきのサンタさんは本物なのかぁ!!そこで、大きな声で、サンタさんありがとう!!、と叫ぶ孫達でした。

 絵本に、サンタクロースってほんとうにいるのでしょうか?というのがありますが、信仰心はなくても、この世に生を受けたことをみんなで祝ってもらい、他人の傷みも、自分のこととして祈れる、人として、当たり前の想いがあればいいのではないのでしょうか?

 子が親を、親を子が、そして様々な形で、愛する人に何かの思いが伝わっていってくれるといいですね。また、伝わらなかった、としても返りみることが目的でもない。信じることに、揺らぎない自信があればいい、と想えますよ。

 親や兄弟の(兄妹)血のつながりだけでは、生きていけない世の中です。イブの宵には、イエスの言葉を紐解いてみるのもいいかもしれない。

 枇杷の花芽が、部屋中に香っています。玄関と、台所と、PCの部屋。ダイニングには、箱で一杯に匂っています。枇杷酒も漬け込みましたよ。

 千葉の友人にも送ってあげよう。調子が悪かった父上さまも、お元気になられている様子。何がご縁でつながっていくか、わからないものですね。

 今夏、拙宅を訪ねてくださった、Mさんは、現在イタリアに行かれ、本格的にあちらにお住まいを移されるようです。おもてなしが思うようにできなかったけど、とても感じのよい方でした。

 頭脳明晰な方で、圧倒されました。他人をもてなす心を、わかっているようで知らなかった。一生の不覚です。言葉で言う、心に添ってあげるというのも簡単にはできないことです。

 学ぶ事の多かった今年。1年の感想です。枇杷の香しい匂いに、どんなにか助けてもらったことかしら。人間は弱く、儚い生き物です。

 自然の力を借りて共存していけるよう、努力をしなくてはなりません。まだまだ学んでいく事が多い今日の自分です。

 23日と土日は最後の休みです。洗車と、網戸、窓拭きをしますね。お墓参りも行って来ます。年末年始は仕事です。年が明ければ、介護の研修が始まります。従って、時間や曜日が不規則になります。命がある限り、生きることを選んだ、それが使命なのですね。

 12月中旬の、茂木の赤枇杷の木です。実が生り始めて、4年目です。枇杷との相性があったこともよかったのです。遅ればせながらも、漢方や心理学のことを学んでいけるよう努力中です。

 未知なる能力のきっかけは些細なことからかもしれません。それが、何かの、誰かの役に立つように、神は与えてくれたのでしょう。

 信じる者よ、訪れよ。されば、一体となりて、歩み進まん。
 
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枇杷のエネルギー

2008年12月20日 | Weblog
 今日は久しぶりにゆっくりする。布団も干しました。冬至ですね。柚子をたくさんもらったので、種を取り出して焼酎に漬けました。手の荒れに効くようです。皮と実の袋は敷地内にばら撒きました。猫避けです。

 銀河は、排泄はきちんとトイレでしますが、他所のは勝手に何処かしこにやらかすので困り者です、柚子や蜜柑類が嫌いな猫避け。

 土が軟らかく、トイレにはいいのでしょうね。臭いがなければいいのですが、銀河と違って強烈です。猫はなんでも飲まないのですが、枇杷茶以外は皿に入れていません。

 水は水道で飲んでますが、糞尿の臭いがあまりしなくなりました。これに珈琲の飲んだ後を、乾燥させて入れてやります。あんなにしていた臭いがてき面しなくなり、花芽茶には、ほのかな香りまでしておりますよ。毛艶はつやつや、しなやかな体に、自分の尻尾を追いかけて、元気一杯で走り周っています。
 
 今年の分の、枇杷茶がどのくらいあるかと、数えてみたら、なんとかありそうでした。宅配の小父さんが言っていましたが、我が家のは、甘くておいしい、のだそうです。弱火でとろとろ煎じ、熱いのを飲んでいるらしい。

 枇杷も活用してもらえてよかったよ。枇杷の持つパワーと、本人の治癒能力が一致して、免疫や抗体を創り始める、というのは人類の希望でもあるんだね。

 枇杷だけでなく、山や原っぱにある身近な自然の中には、薬には含まれていない新発見があるようです。誰も見向きもしないような植物に限って、アレルギーに効いたり、花粉症に効果があったりとするようですね。

 痔にも効果がありますが、葉を火で少し焙って、患部に当ててじっとしていると治るようです。蒟蒻の熱いのを、葉の上に乗せて患部に当ててもよいようですよ。

 医者は必要ですが、痛い思いをするようだったり、切らないで治るのがいいでしょう?枇杷茶を飲むようになって、切れ痔が治ったようです。お産でひどいことになっていても、きれいに治りますよ。

 枇杷は、体の内部から治していきますから、薬に頼り過ぎないで健康になれるのです。鰯の頭も信心から、と申しますが、この時期から、枇杷茶を作って、飲んではみられませんか?

 花芽のついている12月が、一番適しているのですよ。我が家のは、生葉はいつでも採れますが花芽だけは、必ず12月に調達します。用途はいろいろです。一つだけ注意点としては、横着がらずにされることと、三日坊主を返上して!体にいいことだけをしましょう。自分なりの工夫をしてみられてはいかが?

 秋口から、次第に色づいてきた。実は食べれると思いますが、何だったか忘れました。冬の時期には、きれいな赤い色になっています。
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花芽を使って

2008年12月19日 | Weblog
 昨年からの約束で、枇杷の花芽を分けてもらうよう頼んでいた、実家の1歳上の幼馴染。月曜日に剪定していたらしいが、枝についているので、しゃんとしているのに安心した。

 ナイロン袋に3つを後部座席に積む。とても佳い香りです。母がたった独りでいるのが心配なので、様子を尋ねると、会って帰れや、と同伴してくれた。

 事情を知っているのもあるが、責任をもって説明してやる、とも言ってくれたので、家まで行くと、在宅していた母は、顔を見せただけで帰る娘を追いかけて来た。

 淋しくてたまらないのだろう、上着も着ないで出てきている。「風邪をひいたらどうするん?」「ええ。そんなら死ねるがな」と声がうわずっている。

 思わずコートを着せ掛けて、「狭い家で、何にもないけども、みんなが居るから、家に行こう」と言うと、「おまえのとこには行かん。今日が今生の別れじゃ」と芝居かかる母。

 「親じゃもの、我が子に会いたいのは当たり前じゃ」には、胸が張り裂けそうになり、体中が引き裂かれていくようだった。兄と、妹にこの言葉を聞かせてやりたい。嘘吐きめ。両親が、会いたくないなどと言うはずがない、という確信は信じていてよかったんだ。

 風もなく穏やかな日ではあったが、午後3時の故郷は、太陽は山に沈み、深と冷えてくるのがわかる。送って行くから、というと一人で大丈夫だと言い張る。

 見かねて幼馴染が、「そんなら小母さん、そこまでいっしょに行こう」と言ってくれ、母の姿が見えなくなるまで、立って見送った。

 親とはありがたいものです。我が子が幾つになっても、自分のことより、大きくなった娘を案じている。幼い頃には、気づこうともしなかった親の愛情が今にしてわかったことが、切ないほどに心の中を波だたせていく。

 利口な勝ち組の人間にはわからないであろう心根が、自分に与えてもらえていることが誇らしかった。莫迦は馬鹿なりでいいから、この先は努力を忘れない人になろう、と母の後ろ姿に祈った。

 家に帰って、もらってきた枇杷葉を葉だけのと、花芽つきのと分ける。幾つかを花瓶に挿し、部屋中を香らせる。花芽酒を造る分はこっちに、花芽茶を作るのは、あちらに、と箱に入れる。

 ああそうだ。千葉のRさんに、花芽を贈ってあげようかしら。ほんの少しで造れるものね。今晩電話かメールをしてみよう。

 今年は呑む分はあるのだけれど、毎年造っておかなければ、毎日呑めないからね。転ばぬ先の杖。後は海沿いの方に、頼んでいるのを、年の瀬に取りに伺う。

 いずれにしても充分なお礼はできないけど、心を込めた気持ちで頂いてこよう。いろんな人に様々な形で、お世話になって枇杷茶はできているのです。自分勝手を反省して、あげた人が一人でも、病気がよくなると信じています。

 現代農業。ためになり、活用できる内容が盛りだくさんです。『軌跡のりんご』の木村さんの記事もあって、興味深く読みました。

 自然の肥料に、果物や野菜の皮を使って醗酵させる方法は、昔からあったやり方ですが、見直されてきているんですね。工夫のすばらしいのは、現代に合うようにしていることです。CM料はもらっていませんが、楽しみながら図書館から借りています。

 庭の、茂木枇杷です。花芽がびっしりついて、とても佳い匂いをさせます。今年の夏、実はばらつくものの、たくさん生りましたが、次回はどうでしょう?

 枇杷は暖かいことと、太陽を好みます。亜熱帯や、温暖な地方が適しているようですね。
 海辺の潮風も大切な要因らしいです。
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冬の夜

2008年12月18日 | Weblog
 ♪とぉもぉしぃびいちぃかぁくぅきぬぬう母は・・・

 冬至までの陽の暮れはめっぽう早い。子どもの頃には、学校から帰る間もなく、手伝いが待っていて、祖母や母が水汲みをしていた風呂を焚きつけて沸かす。

 宿題は、風呂場の火の明かりでした。風呂の側は、暖かいようで囲いがないため結構寒いのだ。それでも、電気をつければ叱られるのよりいい。

 祖母に栗や芋を焼いてもらうのも楽しみだった。母は夕餉の仕度に忙しい。父が仕事を終えて帰宅すると、風呂かご飯かで腹の虫が騒ぎ出すので、祖母はそこのところを心得ていて、ご飯に障りないほどを内緒でくれる。

 といっても、暗黙の了解でわかっていたのだが。夏や秋に蓄えていたり、保存していたりの物は、畑で丹精込めて作っていた。ひもじい思いではあったようなのに、満ち足りた思いに浸れる。

 母は、自分の生まれ、育った家にたった一人で暮らしている。それが不憫でならないが高齢の母には、何処にも行きたくない気持ちでいっぱいなんだろう、と思える。

 宅配の親切な小父さんが、腰が痛いというので、枇杷葉を教えてあげた。それから1年経って、今度は血管の調子が、と言われるので、枇杷茶を幾つか差し上げ、根気良く飲んでみられたら、と話した。

 2、3日して来られて、おいしいです。とうれしそうに話し、これなら続けられそうです。と満面の笑顔である。よかったねぇ。誰かのお役に立てていることが、なんだかやさしい気持ちになれる。

 枇杷で広がっていくのが心の深いところで、春風のようだった。

 ねじ花です。3本ほどが、庭中に広がって咲いています。
 初夏の庭に、やさしい色合いを添えています。
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見返り美人

2008年12月17日 | Weblog
 切手になっている図柄に、見返り美人というのがある。職場でのプライバシー的な会話を聴きながら、内心で思った。ブスは些細な事でもぐちるが、美人は見返りほしさに振り返るのか・・・。

 そうだよな。きれいってことを強調している姿だよなあぁ。誰もが自分を見るとわかって振り向く自信。すごいよね!

 秘密のトップシークレットで言えば、あたしゃ、写真を撮られるのが嫌い。そこで撮影者に、カメラが壊れるから止めよう。

 または、写す瞬間を下に向くか、誰かの影に隠れる。本音で言えば撮ってあげる、という方の腕を信じていません。自分での撮影には自然の被写体を選び、アングルを決めて写しています。

 記念になるって、ならなくていいのよ。心に刻み込んでいますから、いらないのよ。え~!!みんな写すのに~、なんでぇ。と叫ぶ方。

 みんなって、5人ほどがみんなかよぉ。勤務中に私語は謹んで、くちゃべっていないで、仕事しろよ!やれやれ、管理者がいねえと、時間ばっかりかけて、無駄話しするんじゃねぇ。

 勤務先に、枇杷の花を持って行ったら、花自体は知っておられますが、薬効などはご存知ではなかったです。枇杷酒の作り方を伝授しました。

 あちこちに枇杷の花が見えて、そこら中が佳い匂いに包まれています。結構あるものです。また、学校などにあるのは、給食で出た枇杷の種を、誰かがちょっと投げたのでしょうか?

 山のは、鳥が種を落としたのですが、畑のや、家の敷地のは植えられています。我が家には、実の生る木が2本、2年物が7本。白枇杷が2本と、枯れて芽が出たのが1本あります。

 今年の苗は30本ありました。昨年はあちこちに葉子(ようし)に出しましたが、今年はできるだけ我が家で育てます。これらが大きくなったら、どんなにうれしいことでしょう。

 でも、近辺からの苦情があるやも・・・。庭に蜜蜂がたむろして、羽音も軽やかに飛びまわっております。癒しのメロディを聴いているように、心の奥深くにまで染み渡っていきます。

 傷ついた体や心の中に、幾重にも膜を葉っていくように感じます。枇杷の花芽は傷を塞ぎ、襞を埋めてゆっくりとではあるけれど、回復させてくれるのです。

 未知能力は誰もが持っているもので、何かのきっかけさえあれば、開花していくんだね。そしてまた、それらが最終的に、宇宙を感じることに連結していくのだ。実体がなくとも、心そのものに存在している。

 最終回の『七瀬ふたたび』には、20年の時を超えてやってきた七瀬がいて、感無量でした。作者の手腕に乾杯!!

 今年、東側の枇杷の木。山瀬水が流れる所のです。道路に面してもいます。この枇杷の木は丈ばかり伸びて、一向に花がつかなかった。

 昨年やっと一枝つきまして、実が1つだけ生りました。今年は5枝花がつきましたが、実は幾つできるのでしょう?

 現農には、この時期の枯葉や落葉を敷き詰めておこう、とありました。微生物がうようよいます。肥料が要らないやり方です。

 木そのものをしっかり育てないと、生ってはくれずです。糠もほどほどがいいようです。
 
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風邪の予防に

2008年12月16日 | Weblog
 枇杷葉は、別名『医者いらず』とも言われますが、民間療法や漢方でしていると、奇怪な眼を向けられることが多い。

 医者が必要ないのではなく、自分の体、人体を知っておきたい。そうでないと病院で聞く説明などはさっぱりです。

 人間はむろん、生物には、抗体や免疫があり、それらが相まって生活できるのだと思いますよ。雑草が強く生きるには、ちゃんとした理由があるのです。

 病院は苦手だが、医者の教えには納得することもある。風邪の予防に、注射も大切ですが、予防として、手洗い、うがいは必要です。

 これらを遂行していて運悪くなった時には、いたしかたありませんね。ま、いいっか。と三日坊主で止めて、風邪をひくのは感心しませんね。

 まず食事も大切な事は言うまでもなく、独りで食べるより、家族での団欒が最適です。けれども、食事を作るのは?となると。問題はそこですね。

 自分一人の好みなら手近なもので済ませられるのに、大勢だとそうはいきませんからね。でもさぁ、つまらないことでも、しゃべって食べることができたら、どんなにおいしいかしらと思います。

 子どもの頃、兄の魚が大きい!妹なのに卵がある!半分喧嘩腰での騒々しい食卓も、なんと懐かしく覚えていることだろう。いつも腹を空かせていたっけ。

 おやつは芋か、蒸かし万頭くらい。それもさつまいもや、コゴメの出来次第であった。今、溢れんばかりの(安全は別です)食材が、お金さえ出せば、自由に手に入るのとは比べようもない。

 何一つとして、貴重なもので、保存するのが当たり前だったから、庭先や、畑には、始終何かが植わっていた。無駄にするものはなく、最後は土に還っていた。

 人間も、最後は土に還り消滅する。祖母は、家畜と同じ屋根の下で、世話をしながら生活していた。花粉症にならないのは祖母のおかげです。

 アレルギーは、排気ガスや、化繊物でひき起こしてしまう。洗剤もです。だが、不思議なことには、枇杷茶を頂くようになって、症状が改善された。

 顔はお岩さん、体は因幡の白兎であったのが嘘のようです。枇杷だけでなく、鉈豆やどくだみ、きらん草などが症状にあって変化したものでしょうね。

 何れも無理やりでないのが効いた感があります。体質や、年齢等にも差がありますので、判断に迷う時には、お近くの漢方医をお尋ねください。

 あたしは、自分の治癒能力を信じてやりましたが、一般的ではできません。風邪の予防に、よく咬んで食べる、というのもありますね。好き嫌いをせず、旬の食材を用いましょう。

 健康な体を維持しておいて、腹八分がいい。お酒も、薬も過ぎれば、毒です。枇杷茶を飲み、枇杷酒も呑み、間食をせず、水で潤して生命の保持をいたしましょう。

 手前味噌ですが、雇用の時の健康診断で、何処も異常が見つからなかった。枇杷茶に感謝!偏頭痛も、眼病も腎盂炎も消え、体力は衰えていますが、気力は回復しています。ほんとうに枇杷のおかげです。

 枇杷茶を飲みだして3年目ですが、肩凝りもなくなったよ。以前は胃腸が弱くて寝込んだり、胃薬が常備薬だったの。最近はとんとご無沙汰ですね。

 勤務が朝早くの出勤なので、しもやけになりかけましたが、亀の子束子で、こすったら治ったよぉ。風呂上りには、全身に枇杷水をつけて、しっとりです。べとつかないし安心(界面活性剤や防腐剤なし)の化粧水です。

 青空市では枇杷の生葉を売っています。枇杷水は、保存が効きませんから、ご自分で作られるのがよろしいでしょう。

 春のうららかな陽射しに、蕾が開いたよ。
 やさしい色合いのバラに、心の中に思いやりが宿ったようでしたね。
 
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不可解な夢

2008年12月15日 | Weblog
 明け方、妙な胸騒ぎがして、はっと目覚めた。枕元の携帯を見れば、AM4時前。毎晩、枇杷酒を呑んで就寝しているから、こんな時間。何かに急かれたように、眼が開いたことがなかったのに。

 昨夜の実家での兄夫婦との、やりきれないやり取りに父のことが気にかかる。あれほど、二人をいっしょに、離れ離れにはしないで、と懇願していたのに、施設に入れた父はまったく歩かなくなったらしい。

 しかも生きていることへの気力がなくなったのか、肺炎を起こして入院だというのだ。この話を、兄たちから聴いたのならまだしも、まったくの他人から聞き及んだ。

 人間として当然の権利を奪うことが、任されて居る者のすることだろうか?あまりなことに連れて還る、と訴えた。残された命を、本人の思うようにして、逝かせてあげたい。

 それの何処がいけないというのだろう?何がなんでも、ありがとう、と言わせて死なせたいの?ちがうよ!看させてもらう者が、この世に生を受けたことを、死んで逝こうとする者に、感謝するんだよ。

 兄夫婦や、妹夫婦には、体面だけで気持ちが少しも伝わってこない。認知症の進んだ親を見せたくない。って、なんて都合のいい言い方なのでしょう。

 人間は、長く生きれば生きるほど、自然にそうなってしまうことを、認めたくないのは、兄たちだと思えた。親を選んで生まれたのか、そうでなかったのかは定かではないけれども。

 決まり文句を言わなかったからといって、親を責めることでもないでしょう。兄嫁のいう、それではダメ!、と言う言葉には、存在を否定する意味があるよ。

 この世に、ダメな人間が居るはずがない。みんな各々必要だから、この世に存在してるんだ。長年、兄嫁として、親はむろん、親類、縁者から、尊敬に値する人間だと、聴かされてきていましたが、この一言で、絶句しましたね。

 できれば兄らと争いたくないと、避けてきていましたが、もう話すことさえありません。父が実家から居なくなって直ぐ、生命反応が消えました。

 はっきりと感じましたね。頻繁に夢に出てくるようになって、もしや?と悪い方に考えていたからかしら。何もわからない父でもいいから、傍にいてあげたい、それが当たり前のことではないの?

 そんなことを考えていたものだから、よけいに不可解な内容になってしまったのかな・・・。精神がピリピリしているから、6時までずっと眠れなくて、起きて小説を読んでいました。

 相手の気持ちを先に考えることばかりが、いいこととばかりも言えません。なんとも言えない哀しみが広がっていくばかりでした。

 雲の間から差す光りのカーテン。天空の虹を観たり、白龍や、鳳凰が視えたことも。決して見ようと思っても観えません。偶然なのです。この写真も、偶々、待避所があったので撮れました。

 枇杷茶作りが、めんどくさいAさん。仕方がないので持って帰って、お茶にするよう約束しました。おまけは、枇杷水も要るの・・・。

 水を無理を言って分けていただいておりまする。容器と寒水までセットでは作ってあげないと。剪定して、かなり日数が経っているようですが、咲いているのは花瓶に挿しておきました。
 
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普通の常識

2008年12月14日 | Weblog
 人として産まれて、育ててもらって大きくなって、就職して、結婚して、子どもを産んで、今度は育てる。その究極の選択を、最近はあまり見かけないようになった。

 でもなあ・・、結婚の自由というか、結婚の時期も、何時したっていいではないか。また、結婚しても、子どもは要らない生活だったり、できない体質もあるというもの。

 普通に、といったところで、その判断は当事者のみのことだと思う。普通の生活をすることって、普通の人生を送ることって、一体どういうのだろう?離婚などはもっての外、シングルマザーなど除外のことなのでしょうか?

 就職できなかったり、働きたくとも入社を断られたりするのはあってはならないことなのでしょうか?普通に生きる、生きてきたと言う人は、当たり前のようで一種怖いです。

 人の気持ちは、関係なく、莫迦は相手にしないという設定は、どこかしら違うと思えて仕方がないのです。高齢になって、認知症の度合いが進み、アルツハイマーもあるとして、それを人でない言い方のできる方が、恐ろしいのではないのか?

 孫はおろか、娘にも会わせないって、そんな理不尽な接し方があるのだろうか。温かで賑やかで、金銭の不自由さはあっても、大きくしてもらったよ。

 実の親に対して、品物扱いをし、祖先を冒涜する者に、介護をされている親が不憫でならない。看るに見兼ねて連れて帰る、といえばわざと無理難題を押し付けてくる。

 これなら一生を、結婚もせずに、親と居てあげたのがよかったかと激しい後悔に苛まれてしまったよ。お金を貯め込んでいるのは、ケチですな。

 もう幾許も生きれる可能性のない親に出し惜しみをする。それが利口な人のすることなんだ。やり方や、考え方の違いがあっても、心に添ってあげれたら、と思っているのとは程遠い。

 このやり方、という介護はないんだよ。とも。認知症は、生きていれば必ず起きてくることでしょう。絢爛豪華な演出でなくともいい、ささやかで温かみのある、看取りがしてあげたい。他人に思うなら、実の親には、それこそ普通にしてあげたいですね。

 枇杷の匂いが何処からともなく、してくるようになりました。あちこちで咲き誇っていて、風の流れで漂ってきます。

 運転中、寒いけど窓を開けて走ろう。という気にさせます。今晩は、流星群は無理かな?曇っているよ。期待をかけ過ぎたかな?まあ、諦めないでおきましょう。

 夏が恋しいです。庭を悠々と泳ぐ金魚の群れです。
 魚のポニョ、でしょう?種が甘いので、蟻の大好物です。
 運よくこぼれ種で咲きました。
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思い違い・・・

2008年12月13日 | Weblog
 朝は、青空市に行き野菜を購入。芋茎を頼んでいたので買う。銀杏も、茶碗蒸しにと購入しました。枇杷葉を持参して、ファイルも持って行って、生葉の売り方を講義し、次回から売れるように話す。

 で、午後からは、職場の栄養の講義と言うので参加したのですが、つい枇杷の話に熱が籠もってしまい、注意をうけました。

 確かにね。内容が違うといえばそうなんですが、食事そのものを楽しむためには健康な体が必要な訳で、その為には、素材を生かした料理が一番だと思いますよ。

 季節感のある当に旬の食材が大切なのでは?と疑問を持ちました。食べれない人への工夫も、とろみを付けたりする前に、固形でも食べれる料理方があってもいいのでは、と感じました。

 部屋の中に閉じ込めていて、歩くことや、楽しみもない生活で、食欲がわくかしらん?あまりにも外気を気にしすぎて、散歩すらさせない。

 毎日テレビに釘付けでは、と思いますが、人材や経費の関係で、譲歩せざるを得ないのでしょうね。でも。と考えます。そんなにして長生きさせて、生きているだけなんてつまらなくないの?と。

 あたしゃ、嫌だね。食べることだけが生きがいなんてのは耐えられません。しかしです。認知症が進めば、それさえわからないのですから、これは困る。

 こうなった場合の対処方を、遺言ででも書いておかなければならないようです。若い時にしてきた事ができなくなったら、無理にさせてもらわなくてもいい。

 自然に任せて死んで逝きたい。なにせお金の要ることですから、ほどほどにしておきたい。山に籠もることも考えています。自然と接して、宇宙に還りたいものです。

 福岡正信さんの提唱されるような生活ができたらいいかな、と思います。こんなことを考えていたものですから、主催側と、なんだか食い違いが生じて、しっかりと浮いてしまいました。

 ああ、大学に行って、心理学の勉強をしたいよぉ。この年になっても、知らない事や、わからない事だらけです。終生学んでいくことが自分への課題なのでしょう。

 今年の、我が家の枇杷の実です。大きさは、3cm程度のチャボの卵大。甘酸っぱくて果汁たっぷりの、おいしい枇杷でしたよ。こんなのが250個生りました。

 両親に3度に分けて食べさせましたら、うれし泣きをされました。親孝行がこんな形で出来たことは、感無量です。

 死ぬ前に食べさせれてよかったな、と思いました。まだ生きてはいますが、高齢の両親には、来年があるかどうかは未定ですからね。

 子どもの頃の記憶に、子守唄で聴いた、ゆりかごの歌が、ひどく懐かしく甦りました。
 祖母でも、母でもなく、伯母だったようですが、夏生まれの自分にとっては、暑い盛りの日々を想い出させました。
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霧きり舞い

2008年12月12日 | Weblog
 昨夜は、職場の新人歓迎会兼忘年会。夕刻より、雷は鳴る、激しい雨は降る。よほど行くのを辞めようかと思った。近場なので味は我慢。でも遠くだからって不味いこともあるしね。

 ミスが3人、ミセスが3人、マダムが3人です。車なので無論アルコールなしですが、暖房ですっかり出来上がっているのに、ジュースで呑んだ気になっているのや、周りの雰囲気でからむのまでいる有様。

 およそ2時間後、外に出てみれば、なんちゅうこっちゃ!!1m先さえ見えない濃霧です。自分の車はおろか、何も見えない。一体何処に停めたんだ?あせりまくったよ。

 で、そこからがまた大変。エンジンをかけて、ライトを点けてはみたんですがあきません。さっぱりことで、のろのろ運転推奨もの。

 しかも、川が縦横にある場所なのでして、おまけに1級河川があるんです。ガードレールも見えないよ!ここで、対向車が突然出てきたり、横から車が現れたって、わかんないよぉ・・・。

 しくしく。何が悲しいって、『七瀬ふたたび』が観えなかったのが一番よ。来なけりゃよかった、と後悔しきり。会費分を欲張って食べようと思ったのが間違いであった。

 家に着くまでハンドルにしがみつき、前方に眼を凝らすが、霧は深くなる一方。これが夜霧の忍び逢い、ならロマンがあるというもの。

 未知の世界に紛れ込んでもおいそれとは、気づかないでしょうね。こ、怖い!冬の階段は、足腰が辛い、って違う!季節外れの怪談に、出るに出られぬ雪女。

 だって、今晩は雪が降ってないのよ。どうするんです、ワトソン君って、ホームズさんがおっしゃっています。

 毎年、流星群が確実に観えるのは、夏のペルセウス座流星群と、冬のふたご座流星群ですね。たいてい10個前後ははっきり観える。うまくいきゃ火球や、流星痕が観えることもあります。

 今年の夜空は、金星と木星が煌めいています。冬の大三角はもちろんのこと、エチオピア王家の面々や、大熊、小熊に、星は昴といったところですね。加えて銀の砂を撒き散らしたような、宇宙のさまは、西高東低なればこそ。寒い宇宙には、しゃっきとした美しさがありますね。

 千葉の友人が、気の早いクリスマスプレゼントを贈ってくれたよ。無農薬のインスタントコーヒーと、猫の小さなバック。おしゃれで可愛い。インスタントもおいしいよ。

 市販のは飲んだ後口に閉口していたので、びっくりしました。封を切ったものの、もったいなくて終いました。なんという贅沢かしら。Rさん、ほんとうにお気を使わせてごめんね。ありがとうですぅ♪

 枇杷の花の香りがなんとも言えません。だいたい、五分咲きの状態かな?日当たりの佳い場所のは花になって咲いていますが、葉影や陽の当たらない処のはまだ蕾です。ちゃんと実になってくれるのかしら?心配が尽きません。

 枇杷の苗も、ほとんどが10cm位になってきたので、鉢に移植しました。プランターにも植えています。寒中に塩と糠を与えようと思っているので、根がついている方がいいのです。

 夏場に咲いていた、ミニバラも今は葉だけになっています。
 土を塩で消毒するといいみたい。
 分量を間違えると枯れます。当たり前ですが・・・。
 
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