枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

レトロな生活

2008年12月02日 | Weblog
 子どもの頃に、囲炉裏こそなかったが、七輪は当たり前で炬燵は炭火。風呂は五右衛門であったよ。暑さ寒さに、文句を言い、凍傷やひび割れに、泣くに泣けない思いをしていた。

 季節の食べ物以外は、干した物か保存の利く物で、直ぐに手に入る、というのではなかったよ。山鳩や、雉も、猫がハンターで狩ってくれば、ご馳走である。うるさいほどいる雀も、なかなか捕まらない。

 冬の時期には野鳥がうまいが、いつも手に入るとは限らないのだ。鶏は、卵を産まして、売っていたから家では割れた時のみ。いつもお腹を空かしていたなぁ。

 ああ、思いだすよ。ダリアの球根を、サツマイモと勘違いで、かじりついたっけな。祖母の大事にしている花だったので、見つかった。

 一体何を食べていたのか?麦や、米の粉を挽いて、少しばかりの砂糖で、お湯をかけて練って食べたり、蒸し饅頭にしてたような気がします。

 砂糖自体が貴重品で、勝手に嘗められず、親の眼を掠めるのがわくわくしたっけな。春から夏、秋はそこら中の物が、くちくなる食べ物だった。

 冬には、それらの保存品が食料であった。干し柿、干し魚、乾燥芋、米粉、干し栗、漬物がその類です。他所の友達が、おやつを買ってもらえるのがとても羨ましかった。

 今、節約倹約をしていけるのも、あの頃があったからかな?贅沢をすれば早死にか、うまくいっても、病気になるって。粗食なら生き延びられる自信があるよ。

 昨晩に続いて、今晩も月(三日月、眉月)と金星がきれいです。おまけに木星も観えています。木星への想いは、小松左京の『さよならジュピター』。確か、三浦友和が主役だったような記憶。金星は、手塚治虫の『〇マン』。

 緊急の用事で街まで出た帰り、偶然同席になった娘時代の編み物の先生が、枇杷のことを、御茶花では、陰花といい嫌う、と話す。これだけ近代化されてきた現代に、証拠も何もわからない迷信に、枇杷はいけないから切った。には絶句。

 田舎に住んでいても、知識を自分で広げたり学ぼうとする姿勢があれば、事実も真実もわかるのに。お茶に通じる立派な方を存じ上げている者としては、本人を前に笑うことはしなかったけども、淋しい思いがしました。他人の噂は好きらしく、あれやこれやと言っている。まあ、人生いろいろですからね。

 以前、短期で行っていた所に、設置されていた薪ストーブです。赤々と薪が燃えてとても暖かです。但し、この状態は、1時間ほどで追加しないと、消えてしまいます。

 火傷と、ナイロン系統は充分ご注意ください。この上で、焼き芋や、鯵の干物が焼けて、おいしいのです。お餅もうまいです。

 おでんや、水炊きができまして、冬の風物詩です。
 
 
コメント
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