枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

不可解な夢

2008年12月15日 | Weblog
 明け方、妙な胸騒ぎがして、はっと目覚めた。枕元の携帯を見れば、AM4時前。毎晩、枇杷酒を呑んで就寝しているから、こんな時間。何かに急かれたように、眼が開いたことがなかったのに。

 昨夜の実家での兄夫婦との、やりきれないやり取りに父のことが気にかかる。あれほど、二人をいっしょに、離れ離れにはしないで、と懇願していたのに、施設に入れた父はまったく歩かなくなったらしい。

 しかも生きていることへの気力がなくなったのか、肺炎を起こして入院だというのだ。この話を、兄たちから聴いたのならまだしも、まったくの他人から聞き及んだ。

 人間として当然の権利を奪うことが、任されて居る者のすることだろうか?あまりなことに連れて還る、と訴えた。残された命を、本人の思うようにして、逝かせてあげたい。

 それの何処がいけないというのだろう?何がなんでも、ありがとう、と言わせて死なせたいの?ちがうよ!看させてもらう者が、この世に生を受けたことを、死んで逝こうとする者に、感謝するんだよ。

 兄夫婦や、妹夫婦には、体面だけで気持ちが少しも伝わってこない。認知症の進んだ親を見せたくない。って、なんて都合のいい言い方なのでしょう。

 人間は、長く生きれば生きるほど、自然にそうなってしまうことを、認めたくないのは、兄たちだと思えた。親を選んで生まれたのか、そうでなかったのかは定かではないけれども。

 決まり文句を言わなかったからといって、親を責めることでもないでしょう。兄嫁のいう、それではダメ!、と言う言葉には、存在を否定する意味があるよ。

 この世に、ダメな人間が居るはずがない。みんな各々必要だから、この世に存在してるんだ。長年、兄嫁として、親はむろん、親類、縁者から、尊敬に値する人間だと、聴かされてきていましたが、この一言で、絶句しましたね。

 できれば兄らと争いたくないと、避けてきていましたが、もう話すことさえありません。父が実家から居なくなって直ぐ、生命反応が消えました。

 はっきりと感じましたね。頻繁に夢に出てくるようになって、もしや?と悪い方に考えていたからかしら。何もわからない父でもいいから、傍にいてあげたい、それが当たり前のことではないの?

 そんなことを考えていたものだから、よけいに不可解な内容になってしまったのかな・・・。精神がピリピリしているから、6時までずっと眠れなくて、起きて小説を読んでいました。

 相手の気持ちを先に考えることばかりが、いいこととばかりも言えません。なんとも言えない哀しみが広がっていくばかりでした。

 雲の間から差す光りのカーテン。天空の虹を観たり、白龍や、鳳凰が視えたことも。決して見ようと思っても観えません。偶然なのです。この写真も、偶々、待避所があったので撮れました。

 枇杷茶作りが、めんどくさいAさん。仕方がないので持って帰って、お茶にするよう約束しました。おまけは、枇杷水も要るの・・・。

 水を無理を言って分けていただいておりまする。容器と寒水までセットでは作ってあげないと。剪定して、かなり日数が経っているようですが、咲いているのは花瓶に挿しておきました。
 

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