枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

花芽を使って

2008年12月19日 | Weblog
 昨年からの約束で、枇杷の花芽を分けてもらうよう頼んでいた、実家の1歳上の幼馴染。月曜日に剪定していたらしいが、枝についているので、しゃんとしているのに安心した。

 ナイロン袋に3つを後部座席に積む。とても佳い香りです。母がたった独りでいるのが心配なので、様子を尋ねると、会って帰れや、と同伴してくれた。

 事情を知っているのもあるが、責任をもって説明してやる、とも言ってくれたので、家まで行くと、在宅していた母は、顔を見せただけで帰る娘を追いかけて来た。

 淋しくてたまらないのだろう、上着も着ないで出てきている。「風邪をひいたらどうするん?」「ええ。そんなら死ねるがな」と声がうわずっている。

 思わずコートを着せ掛けて、「狭い家で、何にもないけども、みんなが居るから、家に行こう」と言うと、「おまえのとこには行かん。今日が今生の別れじゃ」と芝居かかる母。

 「親じゃもの、我が子に会いたいのは当たり前じゃ」には、胸が張り裂けそうになり、体中が引き裂かれていくようだった。兄と、妹にこの言葉を聞かせてやりたい。嘘吐きめ。両親が、会いたくないなどと言うはずがない、という確信は信じていてよかったんだ。

 風もなく穏やかな日ではあったが、午後3時の故郷は、太陽は山に沈み、深と冷えてくるのがわかる。送って行くから、というと一人で大丈夫だと言い張る。

 見かねて幼馴染が、「そんなら小母さん、そこまでいっしょに行こう」と言ってくれ、母の姿が見えなくなるまで、立って見送った。

 親とはありがたいものです。我が子が幾つになっても、自分のことより、大きくなった娘を案じている。幼い頃には、気づこうともしなかった親の愛情が今にしてわかったことが、切ないほどに心の中を波だたせていく。

 利口な勝ち組の人間にはわからないであろう心根が、自分に与えてもらえていることが誇らしかった。莫迦は馬鹿なりでいいから、この先は努力を忘れない人になろう、と母の後ろ姿に祈った。

 家に帰って、もらってきた枇杷葉を葉だけのと、花芽つきのと分ける。幾つかを花瓶に挿し、部屋中を香らせる。花芽酒を造る分はこっちに、花芽茶を作るのは、あちらに、と箱に入れる。

 ああそうだ。千葉のRさんに、花芽を贈ってあげようかしら。ほんの少しで造れるものね。今晩電話かメールをしてみよう。

 今年は呑む分はあるのだけれど、毎年造っておかなければ、毎日呑めないからね。転ばぬ先の杖。後は海沿いの方に、頼んでいるのを、年の瀬に取りに伺う。

 いずれにしても充分なお礼はできないけど、心を込めた気持ちで頂いてこよう。いろんな人に様々な形で、お世話になって枇杷茶はできているのです。自分勝手を反省して、あげた人が一人でも、病気がよくなると信じています。

 現代農業。ためになり、活用できる内容が盛りだくさんです。『軌跡のりんご』の木村さんの記事もあって、興味深く読みました。

 自然の肥料に、果物や野菜の皮を使って醗酵させる方法は、昔からあったやり方ですが、見直されてきているんですね。工夫のすばらしいのは、現代に合うようにしていることです。CM料はもらっていませんが、楽しみながら図書館から借りています。

 庭の、茂木枇杷です。花芽がびっしりついて、とても佳い匂いをさせます。今年の夏、実はばらつくものの、たくさん生りましたが、次回はどうでしょう?

 枇杷は暖かいことと、太陽を好みます。亜熱帯や、温暖な地方が適しているようですね。
 海辺の潮風も大切な要因らしいです。

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