枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

思い違い・・・

2008年12月13日 | Weblog
 朝は、青空市に行き野菜を購入。芋茎を頼んでいたので買う。銀杏も、茶碗蒸しにと購入しました。枇杷葉を持参して、ファイルも持って行って、生葉の売り方を講義し、次回から売れるように話す。

 で、午後からは、職場の栄養の講義と言うので参加したのですが、つい枇杷の話に熱が籠もってしまい、注意をうけました。

 確かにね。内容が違うといえばそうなんですが、食事そのものを楽しむためには健康な体が必要な訳で、その為には、素材を生かした料理が一番だと思いますよ。

 季節感のある当に旬の食材が大切なのでは?と疑問を持ちました。食べれない人への工夫も、とろみを付けたりする前に、固形でも食べれる料理方があってもいいのでは、と感じました。

 部屋の中に閉じ込めていて、歩くことや、楽しみもない生活で、食欲がわくかしらん?あまりにも外気を気にしすぎて、散歩すらさせない。

 毎日テレビに釘付けでは、と思いますが、人材や経費の関係で、譲歩せざるを得ないのでしょうね。でも。と考えます。そんなにして長生きさせて、生きているだけなんてつまらなくないの?と。

 あたしゃ、嫌だね。食べることだけが生きがいなんてのは耐えられません。しかしです。認知症が進めば、それさえわからないのですから、これは困る。

 こうなった場合の対処方を、遺言ででも書いておかなければならないようです。若い時にしてきた事ができなくなったら、無理にさせてもらわなくてもいい。

 自然に任せて死んで逝きたい。なにせお金の要ることですから、ほどほどにしておきたい。山に籠もることも考えています。自然と接して、宇宙に還りたいものです。

 福岡正信さんの提唱されるような生活ができたらいいかな、と思います。こんなことを考えていたものですから、主催側と、なんだか食い違いが生じて、しっかりと浮いてしまいました。

 ああ、大学に行って、心理学の勉強をしたいよぉ。この年になっても、知らない事や、わからない事だらけです。終生学んでいくことが自分への課題なのでしょう。

 今年の、我が家の枇杷の実です。大きさは、3cm程度のチャボの卵大。甘酸っぱくて果汁たっぷりの、おいしい枇杷でしたよ。こんなのが250個生りました。

 両親に3度に分けて食べさせましたら、うれし泣きをされました。親孝行がこんな形で出来たことは、感無量です。

 死ぬ前に食べさせれてよかったな、と思いました。まだ生きてはいますが、高齢の両親には、来年があるかどうかは未定ですからね。

 子どもの頃の記憶に、子守唄で聴いた、ゆりかごの歌が、ひどく懐かしく甦りました。
 祖母でも、母でもなく、伯母だったようですが、夏生まれの自分にとっては、暑い盛りの日々を想い出させました。
コメント
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