枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

見返り美人

2008年12月17日 | Weblog
 切手になっている図柄に、見返り美人というのがある。職場でのプライバシー的な会話を聴きながら、内心で思った。ブスは些細な事でもぐちるが、美人は見返りほしさに振り返るのか・・・。

 そうだよな。きれいってことを強調している姿だよなあぁ。誰もが自分を見るとわかって振り向く自信。すごいよね!

 秘密のトップシークレットで言えば、あたしゃ、写真を撮られるのが嫌い。そこで撮影者に、カメラが壊れるから止めよう。

 または、写す瞬間を下に向くか、誰かの影に隠れる。本音で言えば撮ってあげる、という方の腕を信じていません。自分での撮影には自然の被写体を選び、アングルを決めて写しています。

 記念になるって、ならなくていいのよ。心に刻み込んでいますから、いらないのよ。え~!!みんな写すのに~、なんでぇ。と叫ぶ方。

 みんなって、5人ほどがみんなかよぉ。勤務中に私語は謹んで、くちゃべっていないで、仕事しろよ!やれやれ、管理者がいねえと、時間ばっかりかけて、無駄話しするんじゃねぇ。

 勤務先に、枇杷の花を持って行ったら、花自体は知っておられますが、薬効などはご存知ではなかったです。枇杷酒の作り方を伝授しました。

 あちこちに枇杷の花が見えて、そこら中が佳い匂いに包まれています。結構あるものです。また、学校などにあるのは、給食で出た枇杷の種を、誰かがちょっと投げたのでしょうか?

 山のは、鳥が種を落としたのですが、畑のや、家の敷地のは植えられています。我が家には、実の生る木が2本、2年物が7本。白枇杷が2本と、枯れて芽が出たのが1本あります。

 今年の苗は30本ありました。昨年はあちこちに葉子(ようし)に出しましたが、今年はできるだけ我が家で育てます。これらが大きくなったら、どんなにうれしいことでしょう。

 でも、近辺からの苦情があるやも・・・。庭に蜜蜂がたむろして、羽音も軽やかに飛びまわっております。癒しのメロディを聴いているように、心の奥深くにまで染み渡っていきます。

 傷ついた体や心の中に、幾重にも膜を葉っていくように感じます。枇杷の花芽は傷を塞ぎ、襞を埋めてゆっくりとではあるけれど、回復させてくれるのです。

 未知能力は誰もが持っているもので、何かのきっかけさえあれば、開花していくんだね。そしてまた、それらが最終的に、宇宙を感じることに連結していくのだ。実体がなくとも、心そのものに存在している。

 最終回の『七瀬ふたたび』には、20年の時を超えてやってきた七瀬がいて、感無量でした。作者の手腕に乾杯!!

 今年、東側の枇杷の木。山瀬水が流れる所のです。道路に面してもいます。この枇杷の木は丈ばかり伸びて、一向に花がつかなかった。

 昨年やっと一枝つきまして、実が1つだけ生りました。今年は5枝花がつきましたが、実は幾つできるのでしょう?

 現農には、この時期の枯葉や落葉を敷き詰めておこう、とありました。微生物がうようよいます。肥料が要らないやり方です。

 木そのものをしっかり育てないと、生ってはくれずです。糠もほどほどがいいようです。
 
コメント
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