枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

今を生きるということ

2008年12月11日 | Weblog
 世の中、いろんな人間が居ます。また、居て当たり前です。たまたま自分と相性が悪いからといえども、仕事がらみだと病気になる場合だってある。心身の喪失であって、外から見えにくいから困難を極める。

 まして、たった一人で味方がない、などというのには、誰にも相談できないからだ。こうなると仕事を辞めざるを得ない状況になっていく。

 パワーハラスメント、というのも機関に話をしに行っても、実情がわかりにくいのと、聴いてくれる担当にもよる。本気で相談にのってくれる人間は皆無に等しい。

 まあ、お役所とはそういうものですが・・・。どっちみち他人のことで、担当者は書面上だけで、痛くも痒くもなく、振りをしてればいい。親身になろうとすれば、時間的にも精神的にも拘束されますわ。

 いいかげんなものですよ。それなのに、資格があります、なんてどう威張っていうのかしら?形式的に済ませているだけじゃない。

 自分では誰を信じるよりも、自分を信じて、枇杷のおかげで、気力を取り戻せてきましたが、普通はそうではないのです。螺旋階段を上がったり、下りたり、下手すりゃ、遠心力にぶっ飛ばせれて往くんです。

 重力も引力も、まったくなくなって、漂ってしまいます。行く先は宇宙の墓場です。ブラックホールがひっとらまえてくれますわな。表現しようにも、声を出そうにもなす術がなくて、心が押し潰れていくんですね。

 そこから脱出は不可能で、生まれ変わらなければならない。でも、出てきた時点で、自分はなく、肉体は同じでも、精神が違っていたり、また肉体が変わっていたりするんです。

 ジキル博士とハイド氏ならまだしも、多重人格を併せ持つ人間になっていたりします。最近の犯罪の特徴はこういった人格の変形が見られ、あり得ない事件に発展します。

 怖いなあ・・。書いてる自分がです。小説にもわけわかんない内容があるでしょ?きっと作者はそういう世界に紛れ込んでしまったのかもなあ。

 普通の人間が、未知能力を持った新人類を操って世界征服を企むとすれば、どういうことから始めるのかな?今晩の『七瀬ふたたび』の最終回が待たれます。

 淡路枇杷の種を植えて、2年目の木です。なんだか成長が早い気がします。
 塩が効いたのか、糠もよかったのか、とても大きくなっています。
 
コメント
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