枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

普通の常識

2008年12月14日 | Weblog
 人として産まれて、育ててもらって大きくなって、就職して、結婚して、子どもを産んで、今度は育てる。その究極の選択を、最近はあまり見かけないようになった。

 でもなあ・・、結婚の自由というか、結婚の時期も、何時したっていいではないか。また、結婚しても、子どもは要らない生活だったり、できない体質もあるというもの。

 普通に、といったところで、その判断は当事者のみのことだと思う。普通の生活をすることって、普通の人生を送ることって、一体どういうのだろう?離婚などはもっての外、シングルマザーなど除外のことなのでしょうか?

 就職できなかったり、働きたくとも入社を断られたりするのはあってはならないことなのでしょうか?普通に生きる、生きてきたと言う人は、当たり前のようで一種怖いです。

 人の気持ちは、関係なく、莫迦は相手にしないという設定は、どこかしら違うと思えて仕方がないのです。高齢になって、認知症の度合いが進み、アルツハイマーもあるとして、それを人でない言い方のできる方が、恐ろしいのではないのか?

 孫はおろか、娘にも会わせないって、そんな理不尽な接し方があるのだろうか。温かで賑やかで、金銭の不自由さはあっても、大きくしてもらったよ。

 実の親に対して、品物扱いをし、祖先を冒涜する者に、介護をされている親が不憫でならない。看るに見兼ねて連れて帰る、といえばわざと無理難題を押し付けてくる。

 これなら一生を、結婚もせずに、親と居てあげたのがよかったかと激しい後悔に苛まれてしまったよ。お金を貯め込んでいるのは、ケチですな。

 もう幾許も生きれる可能性のない親に出し惜しみをする。それが利口な人のすることなんだ。やり方や、考え方の違いがあっても、心に添ってあげれたら、と思っているのとは程遠い。

 このやり方、という介護はないんだよ。とも。認知症は、生きていれば必ず起きてくることでしょう。絢爛豪華な演出でなくともいい、ささやかで温かみのある、看取りがしてあげたい。他人に思うなら、実の親には、それこそ普通にしてあげたいですね。

 枇杷の匂いが何処からともなく、してくるようになりました。あちこちで咲き誇っていて、風の流れで漂ってきます。

 運転中、寒いけど窓を開けて走ろう。という気にさせます。今晩は、流星群は無理かな?曇っているよ。期待をかけ過ぎたかな?まあ、諦めないでおきましょう。

 夏が恋しいです。庭を悠々と泳ぐ金魚の群れです。
 魚のポニョ、でしょう?種が甘いので、蟻の大好物です。
 運よくこぼれ種で咲きました。
コメント
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