2000万円の謎のお金に、バラの花束の男性…知ってしまった母の秘密
10/11(金) 12:00配信
婦人公論.jp
2000万円の謎のお金に、バラの花束の男性…知ってしまった母の秘密
婦人公論.jp
母親とはいえ、ひとりの「人間」。隠しごとのひとつやふたつはあるものです。けれど娘としては、なんだか複雑な気持ちになってしまうのも事実のようで……(構成=中岡ひろみ)
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◆そのお金はどこから来たの?
実家でひとり、年金暮らしをしていた母の口癖は「お金がない」。そのくせ、電気やガスは使い放題、「えっ」と思うほど高い家電を買ったり、5万、10万円単位で寄付をしたり。兄や私は母の暮らしを助けたい気持ちはありましたが、浪費されないようにお金よりモノで支援していました。
ところが、84歳で母が亡くなったときに通帳が30冊も出てきたのです。隣県の信用金庫や東京の銀行のものまであり、一切記帳なし。些少な金額だろうと調べてみたら、なんと合計2000万円!
早くに亡くなった父は自営業だったから退職金はないし、母が実家の財産を継いだとも聞いていません。株の才能があったわけでもなく、パトロンや恋人がいたとも思えず、どう考えてもお金の出所が謎。
母に一体どんな秘密があったのか、私があの世に行ったときに聞いてみたいです。(57歳・パート)
◆冷凍エビの天罰か
私が高校生の頃、母は近所の水産加工会社でエビの殻むきパートをしていました。母はよく仕事帰りにエビを持ち帰ってくるので、家の冷凍庫には、いつもブラックタイガーの一級品が板状になって何列もぎっしり詰まっていたのです。
母の作る料理も、エビたっぷりのチャーハン、エビと野菜の炒めもの、エビチリソースなどエビ料理のオンパレードで、カレーまでエビ入りでした……。友人の家に遊びに行くときに冷凍のエビの板を手土産に持って行くと、相手のお母さんにどれだけ喜ばれたことか。
今思い返すと、あの頻度と量からして母はエビを黙って持ってきていたのではないかと疑ってしまいます。でも、業務上横領だとしても、もう時効でしょうか。しかしその天罰か、エビばかり食べさせられた私はすっかりエビ嫌いに。精神的な飽和レベルというのがあるようです。(42歳・会社員)
◆入院先に見知らぬ男性が
美人で性格もよかった母ですが、50歳を過ぎたころ病気が見つかり、入退院を繰り返しました。余命いくばくもない頃、入院先に「かつて、母のことをずっと好きだったんだな」ということがありありとわかる男性が、バラを何十本も持って登場! タキシードを着たイケメン俳優がヘリコプターで登場するドリンク剤のCMさながらでした。どんないきさつがあり、どんな間柄だったのかはわかりませんが、母がタメ口で結構邪険に男性を扱っていたのには笑いました。
間もなくして母は亡くなり、葬儀にも男性は出席。香典返しなどのやり取りを経て、その後、私がたまに自分の作品を絵葉書にして送ると、そのたびにお礼として1万円を送ってくるのです。
きっと母への何かしらの代償行為なのでしょうが、とりあえずお小遣いだと思ってもらっています。(38歳・デザイナー)
◆夫からの贈りもの
長年の使用でゆがんでいた母の結婚指輪が、あるとき妙にキレイになっているのに気づきました。「修理したの?」と聞いた私に、「実は温泉宿で失くしてしまって、同じようなものを買ったのよ」と告白した母。「パパには秘密よ」と口止めされました。さらに母は、銀婚式の記念にと父からもらったダイヤのペンダントを、なんとまたもや紛失。これまた、こっそり似たようなものを買っていました。
母が78歳で亡くなったとき、父から「結婚指輪とペンダントを棺に入れるのは忍びないから、おまえにやる」と言われ、心がズキリ。母の秘密を知らないまま、父も亡くなりました。(62歳・主婦)
◆お堅い母の高校時代は
母のマリコは経理職一筋。曲がったことや非常識なことが嫌いで、私や弟がヤンチャをするとよく怒られたものです。
ところが、私が高校に入った頃、「そういえば古いアルバムにお母さんの高校の頃の写真がないね」という話になりました。すると母は気まずそうに、「実は」と過去の秘密を告白。なんと、母は高校時代、制服のスカートをくるぶしまで長くし、真っ赤な口紅にソバージュヘア、ぺたんこの学生カバンに父親の煙草「ピース」を拝借、というスケバンさながらの姿だったというのです! 私も弟もドン引き。いまだに想像すらできません。
言われてみれば、母の高校の友だちは派手な人が多く、母の旧友や親戚は私を見ると「マリコの子とは思えん!」と言うことも。いつ「更生」したのかわかりませんが、今も好む煙草の銘柄だけが、その時代の名残らしいです。(28歳・公務員)
◆お茶断ちしていたはずなのに
私の弟が幼くして亡くなり、その供養でお茶断ちをしていた母。家で皆にお茶を淹れるときも、母が飲むことはありませんでした。そして毎日のように、朝の家事が終わると弟の供養のため、歩いて15分ほどのお地蔵様に出かけていくのです。
私が女学生だったある日、お参り中の母を探しに行く必要がありお地蔵様に向かったところ、門前の茶店の奥で母を発見。なんと、ひとりでビールを飲んでいました! 母の秘密を知ってしまったようで、声をかけることができず、そのまま帰宅。家族には「見つからなかった」と報告しました。帰宅した母は酔った様子もなく、平然とした顔。お酒に強い人だったのかもしれません。
茶店での一服は母の大切な時間だったのでしょう。お茶断ち中でもビールはOKとした大胆さを、娘の私はいまだに越えられそうもありません。(85歳・無職)
◆母が死ぬまで追求した夢
30年前のこと。ある日知人から「お母さん、市議選に出たの?」と聞かれ、「まさか~」と笑って否定したものの、いやな予感がしました。母の部屋の押し入れを開けてみると、選挙のポスターや、たすきなどが!帰宅した母を問い詰めたら、母の実家の選挙区で出馬したと言うからびっくり仰天。しかし落選して事なきを得ました。
その後も母は選挙のたびに立候補。「ポスター貼りのために車を出して」と頼まれたのが母74歳のときでした。幼馴染みのいる区だし万年落選だし、恥ずかしいからと断ったけれど、その2ヵ月後に母は他界。遺品には書き溜めた小説もありました。今思うと、議論好き、新しいもの好きでエネルギッシュな母が秘かに持ち続けた夢が小説家と政治家だったのでしょう。
あのとき車を出して手伝ってあげていればと、世間体を気にした自分をちょっと後悔。(59歳・会社員)
(構成=中岡ひろみ)
gsx***** | 1日前
大正生まれの祖父が亡くなり、普通に葬儀をやって親戚が集まったが一カ月もしてだいたい落ち着き始めた頃に、どういうコネクションがあったのか知らないが同じようなジジイが訃報を聞いて「拝ませてくれ」と集まってきた。
聞けば戦友たちであり、撤退戦で世話になったとか、戦地で祖父の作る南方の果物を使った羊羹が美味かったとか普段と全く違う一面を見た。
寡黙で人付き合いを好まない性格だったが晩年まで戦友会だけは這ってでも行くと言っていた祖父である。
妻である祖母や息子である父にも兵役時代の話は殆どしたことが無く何も知らなかったという。
本当に深い絆で結ばれている友人がいたようである。
祖母が亡くなる直前に吐いた、義妹へのただ一言の悪口が未だに忘れられません(祖母は20年以上前に他界)。
嫁ぎ先で苛められ、祖父が自分の家族に愛想を尽かして祖母を連れ出してくれるまで、相当期間辛い思いをしたことは聞いていました。
…が、生まれは割りと裕福な家庭のお嬢さんで、それなりに品が良かった祖母が、亡くなる数時間前に突然、義妹のことを「あの水飲み百姓が」と一言呟きました。
私も母も、祖母のそんな言葉遣いを聞いたのは初めてだったので驚きましたが、ずっと心に秘めてきたんだろうなと思いました。
良い思い出や感情、逆に悪い記憶など、何かしら秘めておきたいことはありますよね。それを最後まで隠し通せる人はすごいなと思いますので、周囲が知っても、そっとしておこうと思いました。
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luc***** | 2日前
母はずっとボロボロの革のピンク色をした運転免許証入れを持っていた。
お守りなんだろうなと思って。
病に倒れた時、私たち子供は手にそれを握らせてあげてた。
程なくして亡くなったとき、父は棺に一緒に入れてやってとしきりに言ったが、わたしはそれが母の象徴であると小さい頃から思っていたので頑としてわたしが持つ、と言い張った。急に倒れた母の形見になると思って。
お葬式が済み、子供たちに父があれは2人が結婚する前にとある男性からいただいたもの、だと教えられた。
お付き合いしていたわけではないけども淡い恋をいだいてくれていたらしい。若くして亡くなったと聞いた。母は21で結婚。それを知りながらずっと持たせてあげていた父にも涙が出た。
父はもともとよく喋る人でここまで黙っていたことに感心した。
わたしはそんな両親のもと、しあわせな子供時代を過ごさせてもらった、と感謝している。
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わわワン | 2日前
私も、祖父の秘密は墓場まで持っていく事になると思う。
小さい頃、祖父の散歩に付いていったら、あるご婦人の所に連れて行かれた。祖父は、自分の家と同じようにくつろぎ、ご婦人は奥さん同然の対応で、2人が夫婦みたいだった。不思議だった。祖父が亡くなり、私が20代半ばになったある日、実家に帰省して街をふらついていると、お婆さんに声をかけられた。あのご婦人だった。私が祖父にそっくりなのですぐ分かったと言う。ご婦人の家で話を聞いた。戦後間もなく、夫と子供さんを短期間で亡くし、身よりも無くて困っていたご婦人を、夫の友人だった祖父が物心とも自力で生活出来るまで支援してくれたのだという。おかげで、手に職を得て一人で生活する事が出来た。今でいう不倫関係だったのは申し訳なかったが、とても感謝している。と言われた。恩返しがしたいので、貴女が困った時は相談してね。と言われた。
この時、墓場まで持っていこうと決めた。
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