「性奴隷」を否定した韓国人教授の勇気
JBpress 11/22(火) 6:45配信
2014年10月号『SAPIO』に掲載された1枚の写真が忘れられない。キャプションには「元慰安婦の前で〝土下座〟をする李栄薫教授。女性たちから罵詈雑言を浴びせられる様子が新聞・テレビで報じられた」とある。
ソウル大学経済学部の李栄薫(イヨンフン)教授は、朝鮮時代末期から植民地時代までを経済史的観点から再検討し、日本による土地と食料の収奪を誇張する従来の歴史を否定してきた。
教授は、2004年には、史実に基づいて慰安婦の「強制連行」を否定したが、社会的な非難を受け、ソファーに居並ぶ慰安婦たちの前で土下座させられた。写真はその時のものであった。
こうした民族主義の呪縛が、史実に忠実であろうとする教授を一層奮い立たせ、2006年には反日史観など従来の歴史観にとらわれない新しい歴史教科書を見据えて開催されたフォーラムに参加する。
だが、ここでも反対する勢力から殴る蹴るの暴力を受けたと言われる。しかし、教授はそれにもめげず、2007年に『大韓民国の物語』を上梓し、韓国民に歴史の真実を語りかけた。
(参考・関連記事)「天に唾する慰安婦問題、韓国の言論弾圧に世界も注目」
■ 歴史の「書き直し」が始まる
土下座のような「ひどい目にあった不快な記憶から解放されたかった」という教授は、フォーラムで「脱民族主義という観点から解放前後史を再解釈した国内外の優れた学術論文を一書に纏める編集作業を行う。
この一書が新聞や放送で大々的に報じられ、韓国社会を支えている多数派層が、「民族・民衆・階級などという彼らの日常生活と乖離した歴史によってどれほど苛まされてきたのかを、そして自由と信頼による法治の文明として明るく描かれた、新しい歴史をどれほど渇望しているのかを痛感した」という。
そして、「韓国の歴史教科書の内容は事実ではない。誇張されていたり、誤って解釈されたものが大部分だ。そのような話はすべて、教科書を書いた歴史学者の作り出した物語」だと述べる。
そこには、民族主義に占領された国民に、正しい史実を知ってもらいたいという不動の意志が見て取れる。
こうした意識で教授が上梓したのが『大韓民国の物語』である。副題は「韓国の『国史』教科書を書き換えよ」という提案になっており、民族主義にとらわれない人間を歴史の基本単位として書かれた私本・歴史物語とでも言えよう。
日本語訳の帯には「韓国内で猛攻撃を受けたベストセラー遂に翻訳!」「親北朝鮮、反日の韓国の歴史は間違っている」「ソウル大教授の歴史学者が書いた本当の韓国の歴史。これを機に『新しい歴史教科書』作りがはじまった」と書かれている。
反日教育を受け、反日政治が常態化した中で生活してきた多くの韓国人にとっては目から鱗の内容ばかりで、衝撃の本であったに違いない。
このような本を手にすること自体が反韓・親日の烙印を押され兼ねない状況の中で、ベストセラーになったわけで、韓国人には複雑な気持ちが混交したことが想像できる。
目次の中の小項目をざっと見ると、「民族主義の陥穽から抜け出でよ」「『植民地収奪論』批判」「日本軍慰安婦問題の実相」「日帝がこの地に残した遺産」などがある。民族主義の色眼鏡で歴史を見るのではなく、また善悪抜きに史実を直視しようとする視座が伺える。
本論の前に「書の扉を開くにあたり」の一文が添えられている。従来は使用する用語に気を使うあまり表現を曖昧にしたり、事前に友人に読んでもらうと「日本びいきの右派にされてしまう危険性がある」という指摘を受けることがあったなどととして、「いつの頃からであろうか。文章を書くときに自己検閲をかけるようになった」と告白し、この検閲者は「韓国の横暴な民族主義」であったと述懐する。
そして、「そのような検閲を強いる韓国の民族主義を批判し、過去50年の間、民族主義の歴史学が、二十世紀の韓国史の道筋をどれほど深刻に歪めてきたのかを晒そうとした」と出版の目的を語る。
■ 恣意的な「挺身隊=慰安婦」混同
問題の慰安婦については「日本軍慰安婦問題の実相」と、続く「あの日、私はなぜあのように言ったのか」に詳しく書かれている。
韓国の今日の中学・高校の歴史教科書には、「日本が朝鮮の純潔な乙女を挺身隊という名で動員し、日本軍の慰安婦とした」と書かれているが、1960年代初めまでは「慰安婦と挺身隊は内容も経緯も全く別個のもの」と理解し、「1979年までの歴史教科書は挺身隊や慰安婦に関してこれといって言及していません」と歴史的事実に触れる。
教授は約175人の女性が自身の慰安婦としての不幸な過去を告白したが、誰一人当初は挺身隊として動員されたと証言した人はいなかったという。
しかし、その後、慰安婦問題のために結成された市民団体は「韓国挺身隊問題対策協議会」の名で活動してきたし、マスコミは「女子挺身勤労令」を探し出して、日本が半島で組織的に慰安婦を挑発した証拠と1面トップで特筆大書。
また12歳から13歳の若い生徒は勤労挺身隊に、15歳以上の未婚女性は従軍慰安婦として連行されたと書いたことなどを指摘する。
この頃から、小説に女子挺身隊の「令状」が来て、「風聞」で慰安婦にされていったなどの描写も現れてくる。教授は歴史家の立場から、女子挺身隊に令状が出されたことはないので「正確なものではありません」と否定する。
このようにマスコミが先を争って、幼い少女たちが挺身隊という名で慰安婦として強制連行されたと報道する中で、小説、映画、そして歴史教科書にまで「挺身隊=慰安婦」が登場し、韓国民の間に定式化が進んでいったとみる。
ただ、こうした認識に火をつけたのは図らずも日本人であったとも述べる。
こうした中で、教授は藤永壯(たけし)氏の論文(「上海の日本軍慰安所と朝鮮人」)を引用する形で、日本人女性だけでなく、「朝鮮女性たちも1931年以降、活発に上海へ入ってきてい」たという事実が重要だと述べる。
1931年の韓国人慰安婦は139人であったが、36年には913人となり、同年からは朝鮮人経営の慰安所もできる。また、2000円でスタートした資本金が3年後の40年には6万円にも膨れ上がったという。
慰安婦を集めるために活躍したのが女衒(ぜげん)である。女衒が親に大金を見せて誑かし、「就職斡旋詐欺」や「脅迫及び暴力」で女性を集め、あるいは「軍慰問団」や「女子軍属」の募集などと偽って集めた事実を述べる。
いずれにしても、朝鮮人女衒が甘言を弄して女性を集めたというわけで、決して「(日本人や日本軍による)強制連行」などではなかったので、朝日新聞が2014年にようやく虚言と判定した「吉田清治の告白(本)」を、10年も前に「事実ではない」と否定していたのである。
また、軍による管理売春は朝鮮戦争当時の韓国でもソウル、春川、原州、江陵、束草などで行われており、慰安婦たちは「第5種補給品」(ちなみに第1種は糧食、第2種は装備品などである)と呼ばれ、未成年者も少なくなく、「売春市場を経由した韓国女性が、1980年代までに百万人を超えた」とも述べる。
当時健在であった慰安婦に取材して確認しながら書いた李教授の本書に、朝日新聞や性奴隷などと主張する日本の学者・知識人たちは目を通さなかったのだろうか。多分目を通したが、事実よりもイデオロギーが先にあり、イデオロギー的主張を変えることの方が難しかったのであろう。
■ 「性奴隷」もきっぱり否定した勇気
李教授は2004年に強制連行を否定した。
しかし、「上海の慰安所においてちょっと驚くほどの大金を稼いだ慰安婦の話」があるが、「いろいろな記録を見ると、これはそれほど稀なことでもありません」などと述べ、中国の漢口で働いていた朝鮮人慰安婦が「5万円(すでに3万円貯金)になったらソウルに戻って小料理屋を開く」と語っていたことを聞いた日本人司令官が「大したオナゴである」と表彰したことや、1942年から3年間、ビルマ戦線で過ごした文玉珠は5千円を実家へ送り、なお通帳には2万5千円(「週刊新潮」2016.10.20付、櫻井よしこ氏の「日本ルネッサンス」では、2万6千円と述べ、家26軒分としている)があったことなどを例示する。
しかし、慰安婦の生活状況については、吉見義明中央大学教授の主張に賛成の立場から、行動の自由がなかった、定期的な衛生検査を受けねばならなかった、自由な外出は禁止されていたなどを挙げ、「女性たちは性奴隷に他なりませんでした」と書いていた。
同時に「韓国内では未だ専門的な研究が不足しているのが実情」と語っていた。
また、教授は歴史的経緯を重視し、韓国軍にも慰安婦制度があったことや米軍のための韓国人慰安婦が1990年代までいたことなどを統計資料などで示し、歴史家として「日本軍慰安婦という事件を過去の歴史としてのみ見るのではなく、今日我々の周辺にまで深く浸透している現実として感じている」とも述べている。
ところが、今年8月に行った「慰安婦の女たち」の講義では、「性奴隷説」も明快に否定したのである。
講義は「李栄薫教授の幻想の国」と題して12回行った連続講義の最終回で、22日と23日に3回に分けて、計2時間10分余にわたって講義したという(上記週刊誌および「産経新聞」28.10.20付「阿比留瑠比の極言御免」)。
有力な資料源となったのは『日本軍慰安所管理人の日記』(日本語未翻訳)のようである。奴隷には法的人格が認められないが、「慰安婦は高賃金で廃業の自由があった」「著しい乱暴をした日本兵士を刺殺した慰安婦が正当防衛を認められ無罪となった」、また「日々の生活でも、月2回の休日があり、その時は勤務地を離れる自由もあった」ことなどから、慰安婦には法的人格が認められていたとして、「性奴隷ではない」と言い切る。
過去の日本の慰安婦制度が性奴隷であるならば、同様の制度を近年に至るまで持ち続けていた韓国の制度も「性奴隷」と言わざるを得ないという認識に立ったこともあろう。
こうした考察の結果として、現在も「慰安婦性奴隷説」を主張している吉見教授を指して、「氏の本は根拠が不十分だ」と退け、「日本軍慰安婦性奴隷説」を見直すべきだと結論付けているそうである。
■ 慰安婦は20万でなく5000人
慰安婦の数についても20万人説を荒唐無稽と否定し、多くて5000人(秦郁彦氏は『慰安婦と戦場の性』で、約4000人と試算。JBpress拙論「天に唾する慰安婦問題、韓国の言論弾圧に世界も注目」参照)と見積もっている。
また、元慰安婦たちは証言をころころ変えており、資料として使う場合は慎重さが必要と戒めてもいる。
従来、慰安婦の証言に食い違いが見られても、一種の天の声でもあるかのように疑問を呈することさえ憚られたことからすると、瞠目すべき発言であり、韓国民の歴史認識が改めて問われよう。
韓国で本当のことを言うのは、いかに勇気がいることであり、ましてや日本を評価するような発言は教授などの地位を剥奪され、作家は不買運動に巻き込まれるなど、社会的に抹殺されかねない。以下に幾つかの事例を紹介する。
慰安婦は帝国主義がもたらした問題で、日本だけに特有のものではなく多くの国も大なり小なり関係しているとした朴裕河(パクユハ)教授の『帝国の慰安婦』は出版を差し止められている。また、元慰安婦たちからは名誉棄損で訴えられ、現在裁判沙汰になっている。
朴教授は日本を免責するものではないが、韓国も感情からではなく事実を事実として追求し、「韓国も変わらなければならない」という考えに至り、上梓したのであった。しかし「韓国も・・・」が慰安婦や支援団体を刺戟したのである。
2014年4月、大型旅客船セウォル号沈没事故があった。その直後から7時間、朴槿恵大統領の行動が不明なことについて韓国紙等を引用してコラムを書いた産経新聞の加藤達也支局長(当時)が名誉毀損で訴えられ、事情聴取のため拘束された。
日本の報道機関ばかりでなく、米欧諸国や報道機関などから「理解できない」と轟轟たる批判を受けたにもかからず8か月余にわたって拘束され、出国を禁止された。
最終的には無罪放免になるが、韓国民や大統領の意図で動くとも揶揄される検察には、慰安婦問題を追及してやまない産経新聞が、またその支局長が、感情的に許せなかったのであろう。
■ 親日では「生きていけない」
この件に関して、SAPIO誌(2014年10月号)が、19人の韓国人識者にインタビューを申し込んだところ、13人が「言いたいことはあるが、韓国批判をすれば社会で生きていけない」などの理由で取材拒否し、応じたのは6人だけであったという。
取材に応じた呉善花氏は、日韓の文化比較を分かりやすく書いた『スカートの風』がベストセラーとして一躍有名になるが、新宿歌舞伎町で働く韓国人ホステスなどを取材したことから売国奴と批判され、氏の著作を読んだことがない人までが「犬畜生の呉善花をぶっ殺せ(社会的抹殺の意)」などの罵詈雑言を浴びせられたそうである。
日本に帰化した後、肉親の葬儀と親族の結婚の2度、韓国への入国を拒否され、その揚げ句に「日本右翼に買収された現在の従軍慰安婦」だの、「実在の人物(韓国人)ではなく日本人」などと、低俗かつ出鱈目な記事で人格否定まで行われたと語っている。
作家の金完燮(ワンソプ)氏は『親日派のための弁明』を出版した際、竹島は日本領、慰安婦は兵士の士気を高め、一般子女の強姦を防ぐ点で日本が発明した素晴らしい制度などの記述もあり、青少年有害図書に指定された。また、脅迫を受けると同時に、一時は出国禁止にもなる。
ブロガーの歯科医は、韓国の反日思想に警鐘を鳴らし続け、『韓国人による恥韓論』や『韓国人による沈韓論』などを上梓しているが、本名でなく「シンシアリー」というペンネームで発言し続けている。
作家の柳舜夏氏は『あなたたちの日本』を出版後、ネットで容赦ない糾弾を受けたし、書評は否定的なものばかりで、「韓国の改善点を指摘するには覚悟がいる」と述懐する。
そうしたうえで、「今、韓日両国が目指すべきは、貪欲な中国をコントロールできる良好な関係を構築することだ」と主張し、「反日はレベルの低い感情的な排泄行為以上の意味を持ち得ない」と指摘する。
文化人類学者で、日本学科の主任教授であった崔吉城氏は、「韓国語浄化」を掲げる学生が木の下で花札に興じていたので、「花札は日本の文化だ。それなのに韓国語の浄化だとはどういうことだ」と問うと、(暴力などがあったかは不明であるが)「学生らは大いに怒った」と告白する。
そして、東南アジアでは強い反日は聞かれないし、韓国における反日も植民地時代に醸成されたのではないと述べ、「少なくとも教育、農村振興、インフラ整備については邪念を交えず(日本を)正当に評価すべきである」と主張する。
韓国陸軍元大佐の池萬元氏は、反日親中を強めていた朴槿恵大統領について「政治家としての能力とバランス感覚が余りにも欠如している」と批判し、「韓国の国益を損ねる愚行」と断言している。
一事が万事、真っ当な意見が暴力によって封じ込まれてきたのが韓国社会である。
インタビューに応じた作家たちの勇気を称える意味で、足跡を簡単に紹介した。勇気ある彼等であるが、インタビューの中で、等しく「私は親日派ではない」と断りを入れているところに、自己検閲が見られる。
■ おわりに
李栄薫教授は、経済学者として歴史的事実を踏まえて、あえて火中の栗を拾おうとしているわけである。その勇気に対する賞賛の言葉は容易には見当たらない。
教授は「私たちが先進国になるためには、すべての幻想を消さなければならない。まず外交的な葛藤にまでなった歴史から解放されてこそ、本当の意味で近代人になれる」と、韓国人に呼びかける。
「慰安婦性奴隷」の否定など、従来は炎上したであろう国民世論もこの講義ではさほどでないのは、昨年末の慰安婦問題に対する日韓合意が効を奏しているからであろう。
慰安婦問題も南京虐殺問題も火元は日本であり、朝日新聞である。この姿勢は朝日新聞が大東亜戦争の敗戦情報を知りながら、政府や世論に気兼ねしてさらなる戦闘を煽り続け、国民を無駄な死に追いやったこと(細川隆元『実録 朝日新聞』)と二重写しである。
慰安婦性奴隷説の否定で韓国に後れを取っては、末代までの語り草となり、購読者の激減になることは必定であろう。
JBpress 11/22(火) 6:45配信
2014年10月号『SAPIO』に掲載された1枚の写真が忘れられない。キャプションには「元慰安婦の前で〝土下座〟をする李栄薫教授。女性たちから罵詈雑言を浴びせられる様子が新聞・テレビで報じられた」とある。
ソウル大学経済学部の李栄薫(イヨンフン)教授は、朝鮮時代末期から植民地時代までを経済史的観点から再検討し、日本による土地と食料の収奪を誇張する従来の歴史を否定してきた。
教授は、2004年には、史実に基づいて慰安婦の「強制連行」を否定したが、社会的な非難を受け、ソファーに居並ぶ慰安婦たちの前で土下座させられた。写真はその時のものであった。
こうした民族主義の呪縛が、史実に忠実であろうとする教授を一層奮い立たせ、2006年には反日史観など従来の歴史観にとらわれない新しい歴史教科書を見据えて開催されたフォーラムに参加する。
だが、ここでも反対する勢力から殴る蹴るの暴力を受けたと言われる。しかし、教授はそれにもめげず、2007年に『大韓民国の物語』を上梓し、韓国民に歴史の真実を語りかけた。
(参考・関連記事)「天に唾する慰安婦問題、韓国の言論弾圧に世界も注目」
■ 歴史の「書き直し」が始まる
土下座のような「ひどい目にあった不快な記憶から解放されたかった」という教授は、フォーラムで「脱民族主義という観点から解放前後史を再解釈した国内外の優れた学術論文を一書に纏める編集作業を行う。
この一書が新聞や放送で大々的に報じられ、韓国社会を支えている多数派層が、「民族・民衆・階級などという彼らの日常生活と乖離した歴史によってどれほど苛まされてきたのかを、そして自由と信頼による法治の文明として明るく描かれた、新しい歴史をどれほど渇望しているのかを痛感した」という。
そして、「韓国の歴史教科書の内容は事実ではない。誇張されていたり、誤って解釈されたものが大部分だ。そのような話はすべて、教科書を書いた歴史学者の作り出した物語」だと述べる。
そこには、民族主義に占領された国民に、正しい史実を知ってもらいたいという不動の意志が見て取れる。
こうした意識で教授が上梓したのが『大韓民国の物語』である。副題は「韓国の『国史』教科書を書き換えよ」という提案になっており、民族主義にとらわれない人間を歴史の基本単位として書かれた私本・歴史物語とでも言えよう。
日本語訳の帯には「韓国内で猛攻撃を受けたベストセラー遂に翻訳!」「親北朝鮮、反日の韓国の歴史は間違っている」「ソウル大教授の歴史学者が書いた本当の韓国の歴史。これを機に『新しい歴史教科書』作りがはじまった」と書かれている。
反日教育を受け、反日政治が常態化した中で生活してきた多くの韓国人にとっては目から鱗の内容ばかりで、衝撃の本であったに違いない。
このような本を手にすること自体が反韓・親日の烙印を押され兼ねない状況の中で、ベストセラーになったわけで、韓国人には複雑な気持ちが混交したことが想像できる。
目次の中の小項目をざっと見ると、「民族主義の陥穽から抜け出でよ」「『植民地収奪論』批判」「日本軍慰安婦問題の実相」「日帝がこの地に残した遺産」などがある。民族主義の色眼鏡で歴史を見るのではなく、また善悪抜きに史実を直視しようとする視座が伺える。
本論の前に「書の扉を開くにあたり」の一文が添えられている。従来は使用する用語に気を使うあまり表現を曖昧にしたり、事前に友人に読んでもらうと「日本びいきの右派にされてしまう危険性がある」という指摘を受けることがあったなどととして、「いつの頃からであろうか。文章を書くときに自己検閲をかけるようになった」と告白し、この検閲者は「韓国の横暴な民族主義」であったと述懐する。
そして、「そのような検閲を強いる韓国の民族主義を批判し、過去50年の間、民族主義の歴史学が、二十世紀の韓国史の道筋をどれほど深刻に歪めてきたのかを晒そうとした」と出版の目的を語る。
■ 恣意的な「挺身隊=慰安婦」混同
問題の慰安婦については「日本軍慰安婦問題の実相」と、続く「あの日、私はなぜあのように言ったのか」に詳しく書かれている。
韓国の今日の中学・高校の歴史教科書には、「日本が朝鮮の純潔な乙女を挺身隊という名で動員し、日本軍の慰安婦とした」と書かれているが、1960年代初めまでは「慰安婦と挺身隊は内容も経緯も全く別個のもの」と理解し、「1979年までの歴史教科書は挺身隊や慰安婦に関してこれといって言及していません」と歴史的事実に触れる。
教授は約175人の女性が自身の慰安婦としての不幸な過去を告白したが、誰一人当初は挺身隊として動員されたと証言した人はいなかったという。
しかし、その後、慰安婦問題のために結成された市民団体は「韓国挺身隊問題対策協議会」の名で活動してきたし、マスコミは「女子挺身勤労令」を探し出して、日本が半島で組織的に慰安婦を挑発した証拠と1面トップで特筆大書。
また12歳から13歳の若い生徒は勤労挺身隊に、15歳以上の未婚女性は従軍慰安婦として連行されたと書いたことなどを指摘する。
この頃から、小説に女子挺身隊の「令状」が来て、「風聞」で慰安婦にされていったなどの描写も現れてくる。教授は歴史家の立場から、女子挺身隊に令状が出されたことはないので「正確なものではありません」と否定する。
このようにマスコミが先を争って、幼い少女たちが挺身隊という名で慰安婦として強制連行されたと報道する中で、小説、映画、そして歴史教科書にまで「挺身隊=慰安婦」が登場し、韓国民の間に定式化が進んでいったとみる。
ただ、こうした認識に火をつけたのは図らずも日本人であったとも述べる。
こうした中で、教授は藤永壯(たけし)氏の論文(「上海の日本軍慰安所と朝鮮人」)を引用する形で、日本人女性だけでなく、「朝鮮女性たちも1931年以降、活発に上海へ入ってきてい」たという事実が重要だと述べる。
1931年の韓国人慰安婦は139人であったが、36年には913人となり、同年からは朝鮮人経営の慰安所もできる。また、2000円でスタートした資本金が3年後の40年には6万円にも膨れ上がったという。
慰安婦を集めるために活躍したのが女衒(ぜげん)である。女衒が親に大金を見せて誑かし、「就職斡旋詐欺」や「脅迫及び暴力」で女性を集め、あるいは「軍慰問団」や「女子軍属」の募集などと偽って集めた事実を述べる。
いずれにしても、朝鮮人女衒が甘言を弄して女性を集めたというわけで、決して「(日本人や日本軍による)強制連行」などではなかったので、朝日新聞が2014年にようやく虚言と判定した「吉田清治の告白(本)」を、10年も前に「事実ではない」と否定していたのである。
また、軍による管理売春は朝鮮戦争当時の韓国でもソウル、春川、原州、江陵、束草などで行われており、慰安婦たちは「第5種補給品」(ちなみに第1種は糧食、第2種は装備品などである)と呼ばれ、未成年者も少なくなく、「売春市場を経由した韓国女性が、1980年代までに百万人を超えた」とも述べる。
当時健在であった慰安婦に取材して確認しながら書いた李教授の本書に、朝日新聞や性奴隷などと主張する日本の学者・知識人たちは目を通さなかったのだろうか。多分目を通したが、事実よりもイデオロギーが先にあり、イデオロギー的主張を変えることの方が難しかったのであろう。
■ 「性奴隷」もきっぱり否定した勇気
李教授は2004年に強制連行を否定した。
しかし、「上海の慰安所においてちょっと驚くほどの大金を稼いだ慰安婦の話」があるが、「いろいろな記録を見ると、これはそれほど稀なことでもありません」などと述べ、中国の漢口で働いていた朝鮮人慰安婦が「5万円(すでに3万円貯金)になったらソウルに戻って小料理屋を開く」と語っていたことを聞いた日本人司令官が「大したオナゴである」と表彰したことや、1942年から3年間、ビルマ戦線で過ごした文玉珠は5千円を実家へ送り、なお通帳には2万5千円(「週刊新潮」2016.10.20付、櫻井よしこ氏の「日本ルネッサンス」では、2万6千円と述べ、家26軒分としている)があったことなどを例示する。
しかし、慰安婦の生活状況については、吉見義明中央大学教授の主張に賛成の立場から、行動の自由がなかった、定期的な衛生検査を受けねばならなかった、自由な外出は禁止されていたなどを挙げ、「女性たちは性奴隷に他なりませんでした」と書いていた。
同時に「韓国内では未だ専門的な研究が不足しているのが実情」と語っていた。
また、教授は歴史的経緯を重視し、韓国軍にも慰安婦制度があったことや米軍のための韓国人慰安婦が1990年代までいたことなどを統計資料などで示し、歴史家として「日本軍慰安婦という事件を過去の歴史としてのみ見るのではなく、今日我々の周辺にまで深く浸透している現実として感じている」とも述べている。
ところが、今年8月に行った「慰安婦の女たち」の講義では、「性奴隷説」も明快に否定したのである。
講義は「李栄薫教授の幻想の国」と題して12回行った連続講義の最終回で、22日と23日に3回に分けて、計2時間10分余にわたって講義したという(上記週刊誌および「産経新聞」28.10.20付「阿比留瑠比の極言御免」)。
有力な資料源となったのは『日本軍慰安所管理人の日記』(日本語未翻訳)のようである。奴隷には法的人格が認められないが、「慰安婦は高賃金で廃業の自由があった」「著しい乱暴をした日本兵士を刺殺した慰安婦が正当防衛を認められ無罪となった」、また「日々の生活でも、月2回の休日があり、その時は勤務地を離れる自由もあった」ことなどから、慰安婦には法的人格が認められていたとして、「性奴隷ではない」と言い切る。
過去の日本の慰安婦制度が性奴隷であるならば、同様の制度を近年に至るまで持ち続けていた韓国の制度も「性奴隷」と言わざるを得ないという認識に立ったこともあろう。
こうした考察の結果として、現在も「慰安婦性奴隷説」を主張している吉見教授を指して、「氏の本は根拠が不十分だ」と退け、「日本軍慰安婦性奴隷説」を見直すべきだと結論付けているそうである。
■ 慰安婦は20万でなく5000人
慰安婦の数についても20万人説を荒唐無稽と否定し、多くて5000人(秦郁彦氏は『慰安婦と戦場の性』で、約4000人と試算。JBpress拙論「天に唾する慰安婦問題、韓国の言論弾圧に世界も注目」参照)と見積もっている。
また、元慰安婦たちは証言をころころ変えており、資料として使う場合は慎重さが必要と戒めてもいる。
従来、慰安婦の証言に食い違いが見られても、一種の天の声でもあるかのように疑問を呈することさえ憚られたことからすると、瞠目すべき発言であり、韓国民の歴史認識が改めて問われよう。
韓国で本当のことを言うのは、いかに勇気がいることであり、ましてや日本を評価するような発言は教授などの地位を剥奪され、作家は不買運動に巻き込まれるなど、社会的に抹殺されかねない。以下に幾つかの事例を紹介する。
慰安婦は帝国主義がもたらした問題で、日本だけに特有のものではなく多くの国も大なり小なり関係しているとした朴裕河(パクユハ)教授の『帝国の慰安婦』は出版を差し止められている。また、元慰安婦たちからは名誉棄損で訴えられ、現在裁判沙汰になっている。
朴教授は日本を免責するものではないが、韓国も感情からではなく事実を事実として追求し、「韓国も変わらなければならない」という考えに至り、上梓したのであった。しかし「韓国も・・・」が慰安婦や支援団体を刺戟したのである。
2014年4月、大型旅客船セウォル号沈没事故があった。その直後から7時間、朴槿恵大統領の行動が不明なことについて韓国紙等を引用してコラムを書いた産経新聞の加藤達也支局長(当時)が名誉毀損で訴えられ、事情聴取のため拘束された。
日本の報道機関ばかりでなく、米欧諸国や報道機関などから「理解できない」と轟轟たる批判を受けたにもかからず8か月余にわたって拘束され、出国を禁止された。
最終的には無罪放免になるが、韓国民や大統領の意図で動くとも揶揄される検察には、慰安婦問題を追及してやまない産経新聞が、またその支局長が、感情的に許せなかったのであろう。
■ 親日では「生きていけない」
この件に関して、SAPIO誌(2014年10月号)が、19人の韓国人識者にインタビューを申し込んだところ、13人が「言いたいことはあるが、韓国批判をすれば社会で生きていけない」などの理由で取材拒否し、応じたのは6人だけであったという。
取材に応じた呉善花氏は、日韓の文化比較を分かりやすく書いた『スカートの風』がベストセラーとして一躍有名になるが、新宿歌舞伎町で働く韓国人ホステスなどを取材したことから売国奴と批判され、氏の著作を読んだことがない人までが「犬畜生の呉善花をぶっ殺せ(社会的抹殺の意)」などの罵詈雑言を浴びせられたそうである。
日本に帰化した後、肉親の葬儀と親族の結婚の2度、韓国への入国を拒否され、その揚げ句に「日本右翼に買収された現在の従軍慰安婦」だの、「実在の人物(韓国人)ではなく日本人」などと、低俗かつ出鱈目な記事で人格否定まで行われたと語っている。
作家の金完燮(ワンソプ)氏は『親日派のための弁明』を出版した際、竹島は日本領、慰安婦は兵士の士気を高め、一般子女の強姦を防ぐ点で日本が発明した素晴らしい制度などの記述もあり、青少年有害図書に指定された。また、脅迫を受けると同時に、一時は出国禁止にもなる。
ブロガーの歯科医は、韓国の反日思想に警鐘を鳴らし続け、『韓国人による恥韓論』や『韓国人による沈韓論』などを上梓しているが、本名でなく「シンシアリー」というペンネームで発言し続けている。
作家の柳舜夏氏は『あなたたちの日本』を出版後、ネットで容赦ない糾弾を受けたし、書評は否定的なものばかりで、「韓国の改善点を指摘するには覚悟がいる」と述懐する。
そうしたうえで、「今、韓日両国が目指すべきは、貪欲な中国をコントロールできる良好な関係を構築することだ」と主張し、「反日はレベルの低い感情的な排泄行為以上の意味を持ち得ない」と指摘する。
文化人類学者で、日本学科の主任教授であった崔吉城氏は、「韓国語浄化」を掲げる学生が木の下で花札に興じていたので、「花札は日本の文化だ。それなのに韓国語の浄化だとはどういうことだ」と問うと、(暴力などがあったかは不明であるが)「学生らは大いに怒った」と告白する。
そして、東南アジアでは強い反日は聞かれないし、韓国における反日も植民地時代に醸成されたのではないと述べ、「少なくとも教育、農村振興、インフラ整備については邪念を交えず(日本を)正当に評価すべきである」と主張する。
韓国陸軍元大佐の池萬元氏は、反日親中を強めていた朴槿恵大統領について「政治家としての能力とバランス感覚が余りにも欠如している」と批判し、「韓国の国益を損ねる愚行」と断言している。
一事が万事、真っ当な意見が暴力によって封じ込まれてきたのが韓国社会である。
インタビューに応じた作家たちの勇気を称える意味で、足跡を簡単に紹介した。勇気ある彼等であるが、インタビューの中で、等しく「私は親日派ではない」と断りを入れているところに、自己検閲が見られる。
■ おわりに
李栄薫教授は、経済学者として歴史的事実を踏まえて、あえて火中の栗を拾おうとしているわけである。その勇気に対する賞賛の言葉は容易には見当たらない。
教授は「私たちが先進国になるためには、すべての幻想を消さなければならない。まず外交的な葛藤にまでなった歴史から解放されてこそ、本当の意味で近代人になれる」と、韓国人に呼びかける。
「慰安婦性奴隷」の否定など、従来は炎上したであろう国民世論もこの講義ではさほどでないのは、昨年末の慰安婦問題に対する日韓合意が効を奏しているからであろう。
慰安婦問題も南京虐殺問題も火元は日本であり、朝日新聞である。この姿勢は朝日新聞が大東亜戦争の敗戦情報を知りながら、政府や世論に気兼ねしてさらなる戦闘を煽り続け、国民を無駄な死に追いやったこと(細川隆元『実録 朝日新聞』)と二重写しである。
慰安婦性奴隷説の否定で韓国に後れを取っては、末代までの語り草となり、購読者の激減になることは必定であろう。
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