48歳でホームレス、野宿歴は20年以上…70歳を超えた男性が「今が一番、幸せだ」と力強く語る“切実な理由”
11/26(金) 17:12配信
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文春オンライン
帰るところもなくなった生活を賭けて、托鉢と接待、野宿だけで何年も何周も遍路を巡礼する「草遍路」たち。“普通”ではない生き方を続ける彼らはいったいどのような人生を送ってきたのだろう。
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ここでは、ノンフィクション作家として活躍する上原善広氏の著書 『四国辺土 幻の草遍路と路地巡礼』 (KADOKAWA)の一部を抜粋。ドヤ街暮らし、ホームレスを経て、草遍路という生き方に辿り着いた男性ヒロユキさんの証言を紹介する。(全2回の2回目/ 前編を読む )
◆◆◆
女性とは付き合ったこともない
ひどく奥手だということもあり、女性と付き合ったこともない。
ゲイというわけでもなく、対人関係の構築ができないことから男女とも交際が苦手で、ホームレスの援助活動をしていた女性に告白したこともあったのだが、断られて終わってしまった。
「手をつないだことくらいはあったかもしれないけど、キスもしたことないな。ぼくは男づきあいも苦手だけど、女づきあいも苦手だからな。できれば誰とも会わないで生活したいと思ってたから」
風俗も行ったことがないし、海外旅行の経験もない。後年、こうした宗教活動を行う一種、純粋なところは以前からもっていたようだ。
「まるで『男はつらいよ』の寅さんですね」
そう言うと、ヒロユキは「へえー」と言って他人事のように感心している。
48歳から段ボールハウスで暮らすように
※写真はイメージ ©iStock.com
「39歳(1980年頃)からずっと釜ヶ崎でいろんな仕事したけど食えなくなって、48歳のとき路上に出て段ボールハウスで暮らすようになったんだけど、この方が宿代もかからないから生きやすいと思ったな。それくらいドヤ代に悩まされてたんだ。ただ1ヵ所に留まっていると、他の人と付き合いができてしがらみになるから、それが嫌だったな」
天王寺美術館と動物園を結ぶ、歩行者通路に段ボール小屋をおいて暮らしていた。小屋の辺りからは動物園のフラミンゴがよく見えたという。
私は高校生のとき、釜ヶ崎でホームレス支援のボランティアをしていたので、全くの偶然だが、ヒロユキの段ボール小屋を知っていた。ヒロユキの段ボール小屋には「戦争反対」など、いろいろな政治的メッセージが書かれていて、よく目立っていたので覚えていた。幼い頃からここをよく行き来していたので、ヒロユキとは何度かすれ違っていたことになる。これも何かの奇縁としか言いようがなく、「遍路の縁」ということになるのだろう。
信仰のない私でもこの数々の奇縁には気味悪く感じるほどだから、信仰がある人にはより切実な思いがすることだろう。
釜ヶ崎で20年ほど暮らした後、四国に行くきっかけがあった。
「父だったか母だったか、亡くなったからって兄弟から突然、連絡がきたんだ。『遺産があるから、直接会ったら払う』って、司法書士だったか弁護士だったか、ぼくを探し出して連絡してきたんだ。でも会いたくないからすぐに逃げることにして、自転車で広島まで行って、そこからしまなみ海道を渡って四国にはいった。そしたら白い服きて歩いてる人といっぱい会って、そこで初めて四国遍路のことを知ったんだ。もちろん、それまでに四国遍路って言葉は知ってたけど、実際に見たのは初めてだった。それで自転車で四国遍路してから、大阪に戻った。それが最初の遍路だった。メモには、出発したのは2000年の6月13日になってるな」
ホームレス仲間が暴行を受けて死亡…釜ヶ崎での生活も限界に
この年の7月22日には釜ヶ崎のホームレス仲間が、20歳から15歳までの若者たち4人に暴行をうけ内臓破裂で死亡している。
10月31日には東住吉の公園で野宿していたホームレスが、何度も罵ってきた中学生と揉みあいになり、反対に少年を包丁で突いてしまうといった事件が起こった。
釜ヶ崎での生活も、そろそろ限界になっていた。
「ぼくも酔っ払いに段ボールハウスの骨組みを引っ張られて、頭にきて追いかけたら『しゃれだよ、しゃれ』って言われたりしたな。あと病気で入院した野宿者の中には、野宿仲間に会いたくて週末になると外泊して、動物園の入口でアオカン(野宿)する人もいた。その人はある日、公衆便所の前で脳溢血で死んでた。病院に入っても、自分には見舞いにくる人もいないから、寂しかったんだろう。
こんな話は山ほどあるよ。別の人は、雨のなか公園で倒れて『このまま死ねるな』と思ってたら、通りがかりの女性に声をかけられたんで、思わず『助けてください』と訴えて病院に入れられた。ところが病気は治ったんだけど、入れる施設がなくて3ヵ月に1回、病院をたらい回しにされて、最後は病室じゃなくて布団部屋というか、倉庫みたいなところで死んでるのを発見された。助けた女性は、お見舞いには来ていたみたいなんだけど、雨の日にそのまま死んだ方が良かったんじゃないかとも思うし、どっちが幸せだったんだろうなと、考えるようになったんだ」
まとまった金が貯まると四国遍路へ
やがてヒロユキは釜ヶ崎に段ボールハウスを置きながら、まとまった金が貯まると四国へ遍路に出る生活を始めたが、この頃に幸月(編集部注:四国遍路を回ることをなりわいとしていた老人。やがて遍路関係者の間で有名になり、NHKのテレビ番組で全国放送されたところ、指名手配犯だとわかって逮捕された)と四国で出会っている。
「幸月さんとは何度か四国で会ってると思うんだけど、実はあんまり覚えてないんだよね。自分の行動はメモしてるからわかるんだけどね」
2003年には、幸月の裁判が大阪地裁で始まった。
ヒロユキは釜ヶ崎の支援者からの連絡でそれを知り、住んでいた段ボール小屋から裁判の傍聴に通い始める。そして愛媛の新居浜から傍聴に通っていた鵜川と、裁判所で初めて出会うことになる。
鵜川は、一見して労務者風のヒロユキが傍聴に来ていることに興味をおぼえて声を掛けてみると、ホームレスをしながら通いで四国遍路をしているというので、新居浜に来たら自宅に寄るようにと伝えた。
2006年、ヒロユキが住処としていた段ボール村の強制撤去が始まる。ヒロユキは初め抵抗したが、結局は最後の1人になったこともあって自主的に撤収している。
それから4年ほど、他の仲間の段ボール小屋を間借りするなどして釜ヶ崎でしばらく暮らしていたが、ついに四国で草遍路として生きようと決意する。
「野宿はつらいけど、自由だし仲間もいた」
2002年8月には、国によって「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」が制定され、以前は住所がないと受けられなかった経済的支援などがホームレスでも受けられるようになった。なぜそれを拒否して、厳しい草遍路の生活を選んだのか。
「支援者の助けをかりて、福祉とか生活保護のお金をもらってアパートに住めばいいって人もいるけど、福祉のお金もらって野宿をやめていった仲間が、次々に死んでいくのを見て知っていたんだ。もともと身寄りのない人ばかりだし、アパートに入るにしても貧困ビジネスっていうのかな、そういう悪い人にたかられて、高い家賃で住まわされたりして結局、孤独になってしまう。野宿はつらいけど、自由だし仲間もいた。だから人間って、暮らしていくためには食べ物と住まいも必要なんだけど、人とのつながりとか、生きがいも同じくらい必要なんだなと、死んでいく仲間を見ていてわかったんだ。福祉のお金を貰った人が早死にしていくのを見て、正直いって怖くなったんだよ。だから自分は、できるだけ福祉の世話にならずに生きていこうと思ったんだ」
2010年4月、全ての荷物を持って大阪から尾道まで歩き、そこから四国に渡って本格的な遍路生活をすることになる。
野宿には慣れていたこともあり、都会でのホームレス生活よりも、草遍路の生活はかえって安全で楽しいものになったという。
四国では地元の人が時には手を合わせ、自分に尊敬の念をもって接してくれる。釜ヶ崎でホームレスをしているとき、酔っ払いにからまれ蔑まれたのとは雲泥の差であった。
それでも幸月の跡を継ぎ、草遍路になろうと決意するまでには10年かかっている。
遍路の本質
まずはホームレス時代の2003年から6年かけて、四国遍路と並行して西国巡礼を回っていた。草遍路となってからも、遍路と並行して様々な巡礼の旅に出ている。
・2013年 半年かけて九州八十八ヵ所
・2014年 東北不動尊霊場
・2015年 北海道八十八ヵ所
・2016年 関東八十八ヵ所、坂東三十三観音
さらには、日本全国の一宮神社巡礼なども現在進行形で歩いている。日本全国の一宮巡礼とは、現在は廃れてしまったが、かつて「六十六部」と呼ばれた日本全国を巡礼した者たちに倣った伝統的な巡礼旅でもある。
その合間に四国遍路を挟んでいるのだが、普通に回るのではなく曼荼羅霊場、三十三観音霊場、三十六不動霊場なども交えるようになったので、純粋な四国八十八ヵ所の歩き遍路としては6回ほどしか回っていないが、日本各地に残る巡礼地を休みなく歩いているので、もはや本格的な修行僧だといっても過言ではないだろう。
信仰がないと、ただの乞食になってしまう
「以前から仏教に興味があったんですか」
「それまでは左翼活動していたから、まるで関心なかったな。無信仰だった。だけど自転車で四国に来たときに遍路の存在を知って、そこで初めて信仰に興味をもつようになって、仏教のことを勉強し始めたんだ。今は般若心経を広めたいと思ってて、般若心経と意味が書かれたコピーを配ってるんだけど、くださいと言って持って帰る人は年に一人くらいだな。弘法大師もいいんだけど、本当は仏陀に憧れてるんだ」
「もはや修行僧ですね」
「うーん、自分としては修行ではなく生活のためにしてるんだけど、やっぱり何か目的がないと遊びになってしまうからな。遍路で生活してる人の中には寺にお参りしない人もいるけど、ぼくの場合は巡礼という目的がないと歩けなくなる。信仰がないと、ただの乞食になってしまうしね」
「それにしても、北海道にも巡礼地があるんですね」と感心していると「北海道も遍路装束で托鉢して回ったよ。あそこは旅人にやさしいから、本州でやるよりもらいが多かった。あれはぼくも意外だったなあ」と屈託がない。
世話になるのが嫌だから人の家には泊まりたくない
「幸月さんが出所してからは、新居浜に来るたびにアパートに泊めてもらったりしてたな。漂白剤をすごく多くつかって遍路の白衣を真っ白にすることを教えてくれて、タヌキをとってきてタヌキ汁にしてみんなで食べたりしたな。ぼくが近くのスーパーで托鉢していると、幸月さんが偶然きたことあったんだけど、ハットをかぶったりしてオシャレだったから、びっくりしたこともあったなあ」
幸月は托鉢をせず、地元の人からの接待とアルバイトで四国を回っていたが、ヒロユキは托鉢をしながら遍路をしている。
「幸月さんは社交的で明るかったから、親切な人がいたらよく泊めてもらってたけど、ぼくは人の世話になるのが嫌だから泊まりたくない。すごく気を遣うから疲れるんだ。できるだけ人と付き合いたくないから、鵜川さんが呼んでくれるのも助かるんだけど、時々負担になってしまう。こういう性格でなければ、普通の生活してたのかもしれないんだけどな」
同じく草遍路のナベさんと会った話をすると、ナベさんを知っているという。
「ナベさんとは遍路し始めた頃、屋島(香川県)の東屋で会って、托鉢のアドバイスを受けたことあったな。我聞という人も、会ったことないけど名前は知ってる。遍路で食べてる人はだいたい、どこかですれ違うし噂は聞くからな。あと高知の宿毛の人で、自宅も船も持ってるのに托鉢していた人がいたな。船に乗るにも油代とかいるから、足りないときだけ電車に乗って托鉢するんだ。この人は門付専門で、各宗派の経文まで持っていた。昔はダイソーで各宗派の経文を売ってたんだよ。酒飲んでいつも酔っ払ってたなあ。この人はもう死んだけどな」
都会でホームレスするよりも遍路がいい
幸月は自殺など1ミリも考えない性格だったようだが、ヒロユキはどうなのだろう。
「自殺は、何度か考えたことある。最初は20代で横浜の寿町に住んだとき。もう死んでしまおうかなって思っただけで、実行はしなかった。遍路はじめたときも、ふと夜に車に飛び込んだら死ねるなと思ったことはあるけど、今はもう思わない。遍路を始めたときは『救急車を呼ばないでください。延命処置もしないで』と書いた札を首からかけてたけど、今はもう面倒になって外してしまったな」
「もう70歳を越えて、最期はどうなるのだろうかと考えたことはありますか」
「行き倒れでバッタリ死ねるのが理想だけど、なかなかうまくいかないだろうから、どうなるんだろうな。最後は荷をうんと軽くして、食事も喜捨してもらって、善根宿か通夜堂に泊まることになるのかな」
ヒロユキを世話している鵜川は「その人に何か強い思いがないと、野宿の旅なんてことを続けることはできないものだ」と話していた。私も同感で、このような旅を数十年にわたって続けるには、何らかの業というか、背負っているものがないとできないのではないか。
「いや、そんな大そうなものでなくて、単に慣れの問題だと思う。ぼくは釜ヶ崎で十数年ホームレスして慣れてたからね。家からいきなり遍路に出て野宿の連続だったら苦しいかもしれないけど、ぼくは最初から慣れてた。遍路より、都会でホームレスする方がもっとつらいよ。遍路だったら毎日違うところで野宿するから新鮮だし、飽きない。人とのしがらみも生まれないし、少年たちに襲われることもない」
「今が一番、幸せだ」
48歳でホームレスになってから、野宿歴は20年以上になるから確かに大ベテランだ。ホームレスになるときは抵抗があったかもしれないが、宿代から解放されて、そのぶん悩みが減ったとあくまでも前向きだ。
また都会のホームレスは道行く人に蔑まれ、時に酔っ払いや少年たちに襲撃されることもあるが、遍路をしていれば地元の人たちが逆に尊敬の眼差しで接してくれる。
「釜ヶ崎でまだドヤに泊まっていたときは、仕事も続けられなかったから、本当にしんどかったなあ。それが野宿になって自由になった。今は読経して、托鉢するだけで生活できるから本当に楽になったな。釜ヶ崎にいたときの方がしんどかった」
ヒロユキは、高校生のときに不登校になって精神科病院に入れられて以来、生きづらさを抱えながら50年以上、社会の底辺で生きてきた。それが草遍路をするようになって、生活が劇的に変わったという。
ふと思い出したように、ヒロユキは真顔で私にこう語った。
「メモしてあるんだけどな、2017年に初めて、ぼくは自己肯定感をもてるようになった。それまでは社会が正しくて、自分は駄目な奴、落ちこぼれだと思っていたんだけど、あるとき遍路をしていて、ふと『いや、これでいいんだ』と思えるようになった。それからは生きているのが楽しくなったな。今は精神的に一番、満足してる。今が一番、幸せだ」
【前編を読む】「おかしくなったのは、進学校に入ってからだった」四国八十八ヶ所を野宿しながら回り続ける“草遍路”が明かした“衝撃的な半生”
上原 善広
zsw***** | 5日前
私はホームレスにはなりたく無いし生活保護では金額が少なくやって行けそうも無い。だからこそ働いている。来年は年男で72才になるが。年金10万円アルバイトで15万円が今は入る。あと3,4年働いて金を貯めたい。
そのあとはアルバイトを半分くらいに減らして暮らしたい。それで仕事が生き甲斐で仕事が未だに中心の暮らしです。
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vyx***** |5日前
素敵な72才ですね。
私も自分の思う幸せにむけ、生きがいを持って過ごしたいと思いました
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ook***** |5日前
満たされた生活ですね。これからも健康に留意し長生きされることを祈っています。
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tak***** |5日前
トップコメントのような考えも良いと思います。
働けるだけ働いて生きていくのも良いと思います。
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aki***** |4日前
私もzswさんとほぼ同じ収入です、が家のローンの為に働いています。ただローンの為だけだと苦しくて嫌になるのでカメラを持って旅行に出かけます。なのでローンは中々減らず80まで払い続けるしか無い物と諦め
今日もバイトに精出しています。
バイクで出かけるのも体力的にしんどくなって来て、足も痛くなり始め、不安はいっぱいですが野宿したりすることを思えば贅沢な悩みかと思います
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kew***** |4日前
私はまだ50代半ばですが、貴方と同じ様に生きて行けたらと思っております。時代が変わるので先は見えませんが、今は自分に出来る事を真面目に精一杯やっております。健康に気をつけて身体ご自愛下さい。
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kac***** |5日前
良いねぇ 生涯現役みたいな生き方好きです
自分は農家ですが 働きながらポックリ行きたいです
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aut***** |5日前
コメ主殿のような年齢の重ね方をしたい。
※ 無理かな?
どうぞご自愛下さい。
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p_m***** |3日前
厳しいようで申し訳ないんですが、俺も副業でバイトしてますが、70ぐらいのひとは大抵口ばっかりで動かないんですよ。
コメ主がそういう方ではない事を願います。
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hcp***** |5日前
年金10万てーいいなー。
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tak***** |5日前
コメ主のような生き方するなら、健康第一でないといけないな。
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me****** | 5日前
そこいらの寺の坊さんよりずっと悟りを開いてるんs。
寺の坊さんは欲望、金戒名も金次第で位決めるし
世俗にまみれすぎてもう一回修行してきてくれって感じ
>福祉のお金もらって野宿をやめていった仲間が、次々に死んでいくのを見て知っていたんだ。もともと身寄りのない人ばかりだし、アパートに入るにしても貧困ビジネスっていうのかな、そういう悪い人にたかられて、高い家賃で住まわされたりして結局、孤独になってしまう。野宿はつらいけど、自由だし仲間もいた。だから人間って、暮らしていくためには食べ物と住まいも必要なんだけど、人とのつながりとか、生きがいも同じくらい必要なんだなと、死んでいく仲間を見ていてわかったんだ。
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cha***** | 5日前
本人が幸せならそれでいい。
とにかく人付き合いが嫌いという人ならばこういう生き方もありだと思う。
自分も人間が好きではないので共感できる部分は多くある。
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mjm***** | 5日前
四国住みのものですが、歩いてるお遍路さんをよく見かけます。
時間を贅沢に使える人でないと出来ないことです。
羨ましくもあり、また、仕事に追われても文化的に生活出来る自分もありがたいと思ったり。
還暦近いですが、定年になったら一度歩いて周ろうと思ってます。
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…aai | 5日前
幸せを感じるのは
人それぞれ。
他人からどう見られようが
人に迷惑をかけず
本人が幸せならば
それでいいと思うな。
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fam***** | 5日前
何十年も「生きづらさ」と戦いながら、70近くでやっと自己肯定感をもてるようになる。
この人は別に悪いことをしたわけではないのに、なんでこんな辛い生き方をしなければいけないのかと思う。
人生は不公平に思うよ。社会が生み出した生きづらさの犠牲者だろ。
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bab***** | 5日前
ホームレス生活から四国お遍路で八十八箇所を歩き遍路で廻られるのは凄いですね。
お遍路さんを廻っているとお茶やミカンなどをいただけて四国での弘法大師さんの凄さを感じますね。
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***** | 5日前
う~ん... 一種、宗教に救われた人達なんだろうね
自分は僧侶でない一般人が托鉢してても喜捨しないと思うし、ご接待や家に泊めるなんてとても出来ない
四国に生まれ育ったら違っただろうか...
四国の皆さんのお陰で、犯罪に加担することなく普通(?)に暮らせる
(刑務所に入りたくて罪をおかすのもいる)
貧困ビジネスを儲けさせることも無くね
ありがたい。
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ljr***** | 5日前
やろうってもやれない事なんかなぁ。
まぁ、あくせく働いても幸福感は薄く、しがらみで四苦八苦し、言わずもがなな事を言っちゃって揉めてみたり、、、そんな生活でもなぁ。
幸福感は人それぞれ感じるポイント違うからねぇ。
自由と引き換え~としても真似は出来ぬなぁ、、、。
釣り師で庭師 | 5日前
人間どうせ100年くらいしか生きられないんだから、自分の好きなように生きたら良い!
自分は、庭師をしながらほぼ自給自足で暮らしてるけど、親にとっては、そこが気に食わないらしく、やたら人間らしい生活をしなさいと言われる。
台風で持ち家が壊れた時に自分で修理したら、またそういう所が気に食わないらしく業者に頼みなさいという。
親が金持ちだと自分の基準に当てはめにくるから子供は、苦労する。
まあ、親だから話しだけは、聞くけど。
愚痴だな。
返信1
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ひかり | 5日前
当時は今の様に何とか障害だとか
区分けされずに一色単に精神病。
今の40代以上はそうだと思う。
私が子供の頃は、横浜の寿町は
ドヤ街。あそこは危険。
そして横浜駅にもホームレスは沢山見かけました。あれから成人し就職し結婚し子育てを終えてもずっと
その光景が甦ってきます。
寒空に私には到底できない事をあの人達はできている。ある意味凄さを考える。人はどんな時もどんな地位にいても胡座をかくなと父の教えが
ある。仕事で街に出てもホームレスの方を見かけると持ち合わせの五千円を渡している。子供達は何で渡すの?と聞いた事がありました。
ママにはできない生き方を一生懸命やっているからだよと言いながら
成人した子供達も今では
人を教える立場。
平成生まれの昭和の良さを
伝えている様にも見える。
人は其々人生がある。
生き方を否定するよりも
大切な事は今できる事を
やる。十人十色ですが
やらないより行動。
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hzk***** | 5日前
ホームレス生活は慣れてしまうと、精神的な慣れで向上心がなくなってしまうのが怖い…若い時数ヶ月経験あるが、知り合いの助けで普通の社会人に復帰出来た事がラッキーだと思ってます。不孝にしてしまうのは人ではあるけれど、救ってくれるのも人なんですよね。やっぱり人から離れるのは難しいです。
返信0
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gsx***** | 5日前
働いてこの方より衣食住満たされていたとしても70歳まで生きられない人もいる。この方は健康でいられたことが宝であると思う。
返信0
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abc***** | 5日前
なぜ保護を嫌ってホームレスになるんだろうと思ってたけど、
ヒロユキ氏のインタビューですこし分かった気がする。
この方は自身を俯瞰して見てますね。
なぜ社会に馴染めないのか。
親御さんの理解があれば、不器用なりに普通の人生もあっただろうに。
切ない。
返信0
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ysd***** | 4日前
精神的に壊れても、社会に居場所がなくても、人に蔑まれても、自分は人を傷つけることはせず、孤独を受け入れ、ただ死を待つこの人は、男の中の男だ。尊敬の対象だ。人生が辛いからと言って、罪もない人を傷つける人も沢山いる。自分がもうダメだと思ったら、誰にも迷惑をかけず、潔く死ぬというのが男の道だ。俺はそう思う。今まで人や社会に酷い仕打ちを受けたことも何度もあっただろうに、それでも平和のために祈り続けるこの人は生けるキリストだ。真の人格者。
返信0
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ooy***** | 4日前
これも一つの生きがいだ。何もせずにベッドの上で一生を終えるのは面白くない。遍路は確かにおもしろい。日々景色が変化し、季節も移り変わっていく。歩いて次の寺に行くというだけでも大きな目的となる。四国一周するだけでも二か月近くかかる。しかも終わりがない。死ぬまで続けることは可能だ。今の時代なら、通信機器を携帯して実況中継もできる。俺ももう一度やりたいと思う。ただ、死ぬまで野宿はさすがに無理だけどね。
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i_k***** | 5日前
歩き遍路をしようと思えば40日前後の日数を要するそうですが、宿には泊まらずに野宿を続けるとなると、その間は擬似的なホームレス生活になります。
仕事を辞めて(辞めさせられて)歩き遍路をする人や趣味の一環で歩き遍路をする人など、人により事情や背景は様々なのでしょうが、帰る場所がある人は救いがあるのでしょう。しかし遍路という体裁で四国各地を放浪している人にはゴールがありません。何週も四国各地を巡り、地域住民からの喜捨に頼るしか生活の術はありません。ゆえに急いで歩く必要もありません。
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nor***** | 5日前
幸せ、ではない。そのほうが生きやすいということじゃないか。
本当の幸せは一個人の範囲では掴めないと思う。
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eve***** | 4日前
香川県高松市出身のものです。3月の春休みは、港からフェリーに乗って1時間の小豆島へお遍路参りをしていました、親戚一同で。
すごいな、と思ったのが、ふかしたさつまいも、餅入りのぜんざいなど、接待の恵みには幸せでした。食べる休憩所を開放してくれていたり。あと、行きかう人らも仲間なので、一体感があって、人の縁のありがたさを感じました。温和な人が多いし。都会とは違う、食べ物に困らないって、最大の幸せですよね。住み着くにも安いし、四国は比較的温暖だし、お遍路はたくさん歩くので、健康にもいいと思います。
tak***** | 5日前
仕事である国道をよく走るけど、よく見かけるホームレスのおじさんがいて、何かできないかと思うけど、余計なお世話なのか?わからない、たまにニコニコして歩いてるしこの記事読んだら、本人がハッピーならそれでOKなのかと思うなぁ
返信0
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iro********** | 2日前
自営業なので定期的にスケジュールを調整して日本各地を列車と自転車で巡ってるけど、仕事から離れて旅をするのはほんと自由でいい。それでも1週間ほど旅を続けるとぐっすり眠れる自宅に帰りたくなったりもする。
四国に行ったときは確かにお遍路さんを見かけたけど、現代でもそんな旅が許されているとは知らなかった。
返信0
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豚骨Gメン | 5日前
「世捨て人」と「世に捨てられる人」
は、違う。
エゴなのかもしれないけど、計り知れない思いや重圧は凡そ社会のそれとは比べものにならないと思います。
自分みたいな人間が思案しようが世の中には何の変化もありませんが
それでも考えさせられます。
返信0
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柴リーマン | 3日前
こういう人に信仰があることはとても善いと思う
倫理哲学授業迄の知識しかないけど
ここまで俗世の縁を建てたなら既に俗聖なのではないかと
世間とモノに執着せず親子の縁を立ち我を捨て世間の恩を感じながら
修行に生きれば魂の救済が得られる、と何処かの古典で読んだ
それを地で体験して居られるのなら尊いですね
返信2
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p***** | 3日前
四国88ヶ所は高野山がゴールって聞いたけど、そこん所どうなんだろう?
この人は真言宗でもなさそうだし、関係ないのかな?
自分は野宿は出来ないな。
夏は涼しく、冬はあたたかい暮らしがしたい。
だから毎日頑張って働くし、わずらわしい人間関係ものらりくらりかわしながら生きていく。
人それぞれだな。
そういや、雨が降った翌日公園でホームレスの人が万札干してた事があった。
その時の自分の所持金より遥かに多くて泣きそうになった。
返信0
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abu***** | 5日前
四国のお遍路さんは自分たちの代わりにお遍路してくれるんだよ。と聞いたことがある。春先には国道に歩きお遍路さんを見かける。代わりにお願いします。とお祈りしています。
返信0
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aaa***** | 14時間前
元々、淡泊というか欲が少ない人なんでしょう。
普通は、欲があるから頑張って仕事して稼いで良い暮らしを求めるし、身の丈を超えて欲が強すぎると犯罪を犯したりするんでしょう。
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lun***** | 1日前
最近は、もっともらしい理由で、クラウドファンディングなどで金を集めて四国遍路をする人々もいるのだよね。遍路とは何ぞや?と考えさせられる。
そういう人々とは世界が全く違うな、この方は。
返信0
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bluemoon***** | 5日前
自分も中学でいじめられてから対面恐怖症に。一人でいる時が一番幸せ。