創業184年、「ぬれ甘なつと」の花園万頭が破産したワケ

2019年03月17日 | 料理など

むかしはのう~~~甘納豆、最中、羊羹が日本人の贅沢だったん。

あと、みかんの缶詰や桃の缶詰。






創業184年、「ぬれ甘なつと」の花園万頭が破産したワケ

3/17(日) 11:00配信

日経ビジネス
創業184年、「ぬれ甘なつと」の花園万頭が破産したワケ

東京・新宿にあった花園万頭の旧本店(2018年6月撮影)

「ぬれ甘なつと」で有名な江戸時代から184年続く東京・新宿の和菓子店、花園万頭が2018年5月に破産した。7代目として最後の社長を務めた石川一弥氏は、過去の負債の圧縮に腐心した。だが、ファブレスの新興勢力のスピードに太刀打ちできなかったことなどが原因で再建することができなかった。経営破綻に至るまでの過程や、老舗ならではの内情について、石川氏が自ら語る。

【関連画像】ぬれ甘なつと(写真中央と右)はロングセラー商品だった

*****

――2018年5月31日、自己破産を申請しました。甘納豆の「ぬれ甘なつと」やまんじゅうの「花園万頭」は、東京銘菓として定着していました。それでも存続できなかったのはなぜですか。

石川:先代(6代目社長である父、利一氏)がバブル期に投資した負の遺産を30年以上引きずってきたのが一番大きかったですね。

 僕は学生の頃(1980年代)に花園万頭の店でアルバイトをしていて、会社の状態は何となく知っていました。当時、売上高40億円に対して、有利子負債は18億円という話でした。

 ところが、大学卒業後、第一勧業銀行(現みずほ銀行)に勤めてから91年に花園万頭に戻ってみると、売上高は40億円台とほぼ変わらないのに、有利子負債は50億円を超えていました。

 バブル期に父が、東京都小平市にあった工場の増改築などのため、立て続けに設備投資したのが痛かった。拡大志向の時代だったのかもしれません。しかし、経営体力を考え、慎重に進めることもできたはずです。

●負の遺産が足かせに

 私は長男でしたから、いずれは会社を継ぐつもりでした。でも、バブル期の投資の詳細は父から知らされていなかった。そもそも老舗ならではのドンブリ勘定で実態が不透明な部分もあったのです。入社後に精査してみると、予想を超えて財務状況は悪かった。

 それでも私が会社を潰したときの負債総額は22億円。かなり圧縮はしましたが、歴史の重みというか、過去の負の遺産が最後まで経営改革のネックになりました。

――過去の負債は、具体的にどの局面で、経営のハンディになったのでしょうか。

石川:従来は老舗同士だけで競争していればよかった。しかし、私が社長に就いた2005年頃から洋菓子を含めた菓子業界全体で新規参入企業が増え、我々老舗との競争が激化し始めました。

 新興企業の多くは製造を外部の下請け菓子メーカーに委託します。固定費がかからず身軽な分、商品開発とパッケージデザインなどの販促策に経営資源を集中し、魅力を高めてきました。

 一方、花園万頭は工場やそこで働く従業員、職人を抱えていて固定費がかさみます。しかも、過去の負債がある。その中で時代の先を捉えた新商品や斬新なパッケージなどを考えていくのは大変で、新興企業とは明らかな差がありました。

 また、小平工場の老朽化により、土浦工場(茨城県土浦市)への移転に10億円の費用がかかった。コストを圧縮するために、120人いた生産現場の従業員を60人に減らすなど、防戦に回らざるを得なかった。

 花園万頭やぬれ甘なつとに続く、ヒット商品をなぜ生み出せなかったのかとよく指摘を受けました。しかし、その裏にはこうした市場構造の変化と固定費の負担が重い老舗の事情がある。うちに限らず、どの老舗和菓子店も直面している問題だと思います。

――経営体制に関して、老舗ならではの問題はありましたか。

石川:身内に対する甘さがありましたね。親族を社内に多く入れ過ぎて、経営体制が不安定になっていました。

 もともと花園万頭には一子相伝で、同世代は1人しか入社させない原則がありました。にもかかわらず、祖父(5代目社長の利夫氏)が息子かわいさに、長男の父だけでなく、次男、三男も会社に引き入れ、株も分散させてしまった。

 その結果、私が入社したときには父が社長、次男は経理担当、三男は工場の生産担当と、役割分担ができていました。3人でうまく連携が取れていれば問題ありません。しかし、それぞれが縦割りというか、自分の領域以外は知らないという雰囲気になっていた。

 3人のうちの誰にどう話を持っていって、誰の顔を立てたらいいのか分からず、社員が迷っていたこともありました。

 私も3人との意見調整が大変だったので、彼らの守備範囲外である人事総務や営業に取り組むしかありませんでした。

 それだけならまだしも、次男や三男の親族も会社の役員にして株を持たせていた。企業統治という意味では非常に不安定な状態だったのです。

 株の分散については、金融機関の指摘で、後になって分かったことです。当時は気付いていませんでした。一時は本家の株の所有が50%を割っており、慌てて60%に引き上げたほどです。

●営業を巡る対立

――複雑な経営体制の中で、改革を進めなければならなかった。

石川:営業戦略を巡って、父と対立しました。父は東京銘菓というブランド価値を守るため、首都圏の百貨店だけに出店を絞っていました。その方針を私は曲げ、90年代後半から首都圏以外での百貨店の出店に踏み切ったのです。

 理由は、売り上げ増によって借金の返済原資を確保するためです。90年代後半から百貨店自体の業績が悪化し、首都圏で閉店するケースが出てきた。このままでは共倒れになると危機感を持ちました。

 東京銘菓という希少性は薄れますが、地方の百貨店からの出店要請もあり、攻めていくしかないと自分を納得させました。

 もし借金の返済負担が軽ければ、首都圏での展開に限ってもよかった。縮小均衡で店舗数自体を減らし、伝統の味を守るという手法も取れたはずです。

――6億円を売り上げていた東京駅構内の2店から撤退を余儀なくされたことなどで、営業赤字が常態化します。

石川:2店のうち1店は家主が代わったこと。もう1店は駅構内の耐震補強工事で撤退せざるを得なくなったことが第一の原因です。ただ、駅売りの厳しさがあったのも事実です。百貨店と駅では、売れる商品が異なります。

 駅でよく売れるのは、一見客が手土産として簡単に買える商品。クッキーなど1000円で10個、20個入っていて日持ちするようなものが主流です。まさにファブレスの新興企業の得意分野です。

 一方、当社の商品は1個350円で消費期限が3日という花園万頭に代表されるように日持ちしないものが多い。しかも、買うのは固定客が中心。駅売りを伸ばそうと思えば、商品構成をもっと変えていく必要がありました。しかし、過去の負債がネックとなって、スピード感に欠けた。

 それでも挑戦はしていました。プリンの上に餡がのった「東京あんプリン」や、スイートポテトの中に餡が入った「東京スイートポテあん」など。どちらもそれなりに売れていたのですが、道半ばで終わりました。




――その後に打開策は講じたのですか。

石川:相変わらず百貨店依存の状態が続いていたので、とにかく販路開拓しかないと考え、トップセールスを続けました。

 コンビニエンスストアや総合スーパー(GMS)にギフト商品などとして扱ってもらおうと足を運んだり、テーマパークに売り込んで取引を始めたり……。ただ、東京駅の2店撤退による6億円の売り上げの落ち込みを補えなかった。

 立ちはだかったのは、日持ちと粗利率の低さの問題です。

 コンビニやGMSは、3、4カ月の賞味期限を求める。ところが、当社の商品は日持ちするものでもせいぜい1カ月でした。そこで、保存期間を延ばそうと、さまざまな脱酸素剤を試すなどして、何とか対応しました。

 しかし、いずれも駅売りに比べると利幅が薄く、資金繰り難を大きく改善するほど十分な利益を確保できませんでした。

●税金などの滞納で破産に

――破産後、管財人の選定で、銀座千疋屋グループが事業を一部引き継ぎ、石川さんは花園万頭の経営から離れます。破産する前に民事再生法を適用し、自ら支援先を募る選択肢はなかったのですか。

石川:税金や社会保険料の滞納という問題がありました。昨年初めから滞納が始まり、必死に打開策を探っていました。

 そんなとき、外資系洋菓子店の日本法人から提案があり、昨年9月から資本提携を含めた業務提携の交渉が始まった。12月には契約を結べる予定でした。実現すればまとまった資金が入るので、その見通しを説明し、税務当局に待ってもらいました。

 ところが、この提携交渉が土壇場でご破算になった。相手側の本社が「相乗効果が薄い」と。それで税金を支払う当てがなくなり、今年5月末までに納税しなければ、資産をすべて差し押さえると通告されてしまった。

 こうなると、民事再生法の適用を申請してスポンサーを探すことなど事実上不可能です。自己破産を選択せざるを得ませんでした。

 実は東京駅の2店がなくなった後に一度、民事再生法の適用申請を検討したことがありました。しかし、取引先や金融機関に迷惑がかかると考え、自力で借金を返済し、老舗の看板を守ることにこだわってしまった。それがかえって傷口を広げました。

 破産から半年がたちました。180年以上石川家で守り抜いた歴史を途絶えさせてしまった。今もショックを引きずっています。

(この記事は「日経トップリーダー」2018年12月号に掲載した記事を再編集したものです)

久保 俊介




qwert*** | 7時間前

東京土産として喜ばれるのは「あなたのために苦労してわざわざ入手した限定品」の雰囲気があるものだから、ここの商品のファンでリクエストされる場合を除いて選択肢には上がりませんでした。
土産という戦場では厳しいというか。

やっぱり老舗だと親族経営で破綻って多いですよね。

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返信2
avl***** | 14分前

老舗にとって、新商品開発で経営不振打開はいばらの道だと思います、まずは既存の生産・流通・販売の見直しで資金回収サイクルをしっかりさせる為に、経営規模のスリム化が先決だったのではないでしょうか。言うのは簡単ですが、かなり内部の痛みを伴うでしょうから、同族経営には無理だったのでしょう。
120人いた工場を60人にした記述がありましたが、販路維持し、拡大したい野望の中でギリギリのつもりだったのでしょう。ならば、問題は流通と販売ですね。そもそも、日持ちしない商品は大量販売出来ないのに、数量を水増しした経営計画を強気だけで進めていたのでしょうね。良い商品でも、戦略に無理があれば消えて行く、厳しい世界の話として参考になります。

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。。 | 5時間前

大変な状況というのは分かったが、やはり言い訳に終始しているのは残念。以前、新聞の記事で、最終段階で原材料の調達価格を下げて品質を大きく損ない、そこで最後の固定客が離れたと読んだ。

債務を背負ったのは大変だったが、起死回生の廉価土産は餡プリンやスイートポテトしか考えられなかったのか。カニバらないために洋菓子にしたのだと思うが、ここは伝統を守るために和系でもっと良いものを考えるべきだった。

経営は頑張ったのだろうが、ものづくりの才覚はないのを自覚して、その才のある人を探すべきだったと思う。或いは、近くにいたのに耳を傾けなかったとすると、経営の才もなかったのかなあ。

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返信1
r29***** | 1時間前

商売ってのは安く買って高く売るもので、安い材料を高くて上手い菓子にするために技術がある。その技術が老舗のブランドの中核だ。
しかし市場が発展すれば、中くらいの値段で沢山売る方が勝つ。老舗だって高級品だけ作るわけにはいかない。ちょっといいものをそこそこの価格で売って、皆が幸せになる。

そんな状況で老舗老舗と持ち上げられ、コストパフォーマンスを考えず設備投資で土地や工場をとんでもない高値で買わされてしまうのは、バブルの病気とだけ言えない、現代人にも通じる病巣かもしれない。
商売人なら、土地や工場も安く買わなければならないのに。

インフレが正しいみたいに騒いでいる人は、同じ病気なんだろう。
経済というのは皆が安く買って高く売ろうとする場所。
それを忘れて変なプライドや共感で高値のババを引かされる人間が酷い目に合う

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返信0
日本はもう無理か?日本人はもう駄目か? | 7時間前

人体と経営は似ている、儲かって贅沢な食生活を送り肥満(経営では過剰投資)、
ガン腫瘍となる前に贅沢肥満に気付いて無駄脂肪分だけ取り除くダイエットだけで済めば良いが、細心の注意を払わないと今件のようにガン細胞を見逃し放置、遂には手遅れ死亡する。
要は人間とは「大丈夫だろう人間」として生きるか「危ないかもしれない人間」として生きるかだけの違いである。
これにより損したから悪かった、得したから良かった云々とはまた別次元の問題である。

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ふちねこ | 7時間前

老舗には厳しい時代になっているのは確かですね。
消費者は、ブランド力よりも安さや見た目、日もちを重視している傾向がありますからね。

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返信0
fad***** | 7時間前

一個350円どころか500円で売られてる。
最高においしいと思うけど、この値段では
簡単に手を出せない。
なんとか残す方法を考えてほしい。

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返信0
yuu***** | 5時間前

単純に大きくし過ぎたのが問題じゃないの?
小さくてもコツコツとやっていれば今も買い続けてくれる人も居たはず

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返信0
tak***** | 7時間前

親族での揉め事は老舗の宿命ですかね....。

木村屋総本店も先々代の時は揉めてますよね。

ただ、解任された社長の息子さんが、
事業(メゾンカイザー日本法人代表)で成功して盛りかえしているのが違いですかね。

他の株主が協力すれば....なんですかね。

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返信0
sil***** | 6時間前

花園万頭は上品な甘さだったけど、地味で高かったね。
祖父、父、そして銀行が無理な融資で会社を潰したのだと思う。
石川社長ならいつか復活させてくれるかもしれない。


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予知した通り、屋根剥がし修理中に雨が降る、、災難のフィリピン移住末期

2019年03月17日 | フィリピン永住生活、、天国か地獄かな

予知した通り、屋根剥がし修理中に雨が降る、、災難のフィリピン移住末期


私が予想したとおりに、屋根を修理してる途中で雨が振り、、、部屋が水浸し。

経緯

欠陥構造のフィリピンで購入した原住民の中古住宅。

増築部分の屋根が塀に接地して雨樋が有る。この雨樋が腐食交換したが、ジョイント部から雨漏れ。大工の技能が低いので駄目。

バカ大工と妻が、、金属製ではなく、コンクリート製の側溝を作る雨樋方式が良いなどと言う。私はそんな技能がいる工法、バカ大工なので出来るのか?心配だが、大丈夫などという<<後進国原住民の大丈夫は危険だ25年移住で死ぬほど経験済み>>

すると、屋根剥がしは3名だが、、翌日の肝心な工法をやるのに、バカ大工一人しか来ないのだ!!この野郎!!

速攻でやらないと雨天となるは部屋が水浸し、、、肝心の作業にバカ大工一人だ!!信じられない。普通の思考なら人手がいるので連れてくる。

そこで、うちの運転手の兄弟がいると言うので、急遽呼ばり、2名で作業だが遅い!!

昨日の話だ、、↑

昨日、夕方<<明日、サンデイだが、雨天になると大変なので仕事しろと言うと、出てくるという>>

ところが本日、、歯が痛いなどと嘘を言い出てこない。妻は、体休めたいんだろう問題ないなどという。

私は、予報では雨だぞ!!!マンデイは、、、大変なことになる。

比人妻は、大丈夫心配ないなどと、、このバカ能天気が言う。


そしてズバリ、予想通り、、3時ころから雨が降り出した。この状況は夜間は本降りとなる(クソフィリピンの天気動向は25年で分かる、、雲の動きと風の動きでわかる、、バカ原住民よりわかる)

最早、打つ手はない、、、

部屋は流れ落ちる雨で水浸しだ、、タイルだが、、、水浸し。電気コンセントが壁にあり漏電すれば火災だ(このヘルハウスを買ってすぐに雨天時に上から配線に水が入り火花が出て危険だった事ある)

何しろ、知性や観察眼など、恐ろしく低能だ。日本人の相当のバカが比人のアベレージだ。

稀に凄いのがいる、殆どは脳死状態、、、救いようがない馬鹿。


25年も後進国フィリピンに住んで、最早、死にかけてる=腎臓病とリウマチ。一昨年死にかかる。

このまま死んだほうが良いと透析拒否で帰宅したら、尿毒が脳に回り、酔っぱらい状態のようで苦しくはない。

最早、この忌まわしい人生が終わるとなると嬉しくてしようがない<<死んじまえば一切関係ない>>この忌まわしい人生。

ところが、年が明けて、正月、、そして相撲の冬場所が始まり(くそNHKケーブルで観れる)観てると、何か、、、顔が腫れてくる感じがした。

妻が幼児から買えると<<我が、横たわる顔を見ると、、腫れている。、充血してる目がすごい>>これは危ないなどという。時間経過して19時ころになると呼吸が困難になってきたので枕を外すが、苦しい。

息ができなくなると、流石に苦しいので焦る。

妻が、このままでは死んでしまう!!

私は死んでも結構と透析拒否したが、呼吸が出来ないと苦しいのだ<<肺水腫が出てきたのだ>>血液から水分がないに滲み出て溺れ死ぬ状況だ。

妻が、エマージェンシーに搬送しなければと言うのだが<<私が病室が、個室じゃなきゃ嫌だ、、>>やすい病室はアリが出飯しがひどく食えない。

すると、先にホスピタルに状況を確認と出かけた(うちから近い)帰宅すると個室が夜11時に開くという。そこで救急車を呼んで寝たきりの私をベットから抱き上げて搬送した、、)

こうして、観念して透析となったが、低血圧で危険というので輸血2パックしてから透析用の緊急=首下に簡易型をつけた。

その後回復して、、、1年後には、それなりに元気だ、、、今日は午前中、ビクスクで走りに行った。

こうして、死に損なったのであるが<<透析患者は、余命が短い>>私の開始年齢だと日本とアメリカの当局のデーターから余命4年平均だ。

すでに1年経過だから、余命3年。しかし、身体の調子はよくリウマチでの指関節のしこりが段々無くなり、膝関節も力が入るようになった。激ヤセのからだも体重が戻った。

この状況だと3年ではなく5年位生きるかも?困るな、、と、妻に話した。

長生きすれば、このフィリピンで災難が降りかかるだろうから早めに死んだほうが良いのだ。

火葬にして海に散骨、、この国に墓は作るなと遺言してある。こんな国に墓はいらない。


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これも日本人共の経営者が無能で企業倒産しそうになり外人などに頼った結果であり<<日本人が悪いのだ>>

2019年03月17日 | 社畜奴隷の二ホン、、世界で稀な勤勉な馬ヵ

これも日本人共の経営者が無能で企業倒産しそうになり外人などに頼った結果であり<<日本人が悪いのだ>>

無能経営陣が、強欲ご~ーンを社長に招き、ごーーーンはやりたい放題で、日本人役員共が無能で自分の私腹を肥やせると見切り、結果、法外な報酬、豪華ヨット、海外ハウス、自分の投資損金を付け替えなど、大変な背任行為を許したは<<日本人無能役員共が元凶だ>>

外交で支那や朝鮮にやられ放題と同じで日本の指導層が極めて無能なのが原因で日本国家民族の名誉を毀損してる。

日本の指導層=企業役員、政治屋どもの無能が原因でどう仕様もない状況に至る。



ゴーン前会長、報酬開示制度の導入阻止を指示か 特捜部

3/17(日) 5:11配信

朝日新聞デジタル
ゴーン前会長、報酬開示制度の導入阻止を指示か 特捜部

日産自動車のカルロス・ゴーン前会長

 日産自動車の前会長カルロス・ゴーン被告(65)が役員報酬を有価証券報告書に過少記載したという金融商品取引法違反罪で起訴された事件で、役員報酬の個別開示を義務づける案を金融庁が2010年に公表した際、ゴーン前会長が導入を阻止するため、部下に金融庁への働きかけを指示していたことが、東京地検特捜部の調べでわかった。

【図】ゴーン前会長報酬、不記載とされる額は年々膨らんだ

 地検は前会長が制度導入を機に高額報酬を隠すようになったとみて、公判で経緯を立証する方針だ。

 08年のリーマン・ショックの後、高額報酬への規制が世界的に強化される中、金融庁は10年2月、1億円以上の報酬を得た役員の名前と金額を有報に個別開示するよう義務づける内閣府令の改正案を公表した。

 特捜部の調べでは、ゴーン前会長の年間報酬は来日した99年度の約3億円から08年度は約26億円に増えていた。前会長は報酬額が公になることを懸念。前代表取締役グレッグ・ケリー被告(62)=同法違反罪で起訴=や渉外担当の川口均・常務執行役員(現・専務執行役員)に金融庁などへの働きかけを指示したという。

朝日新聞社
【関連記事】

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大工が来ない、、災難の国フィリピン移住末期生活

2019年03月17日 | フィリピン永住生活、、天国か地獄かな

大工が来ない、、災難の国フィリピン移住末期生活


あれほど、昨日、サンデイ仕事くるように言ったが、歯が痛いと連絡があったそうで、来ないのだ。

屋根を剥がした状態で雨天になったら大変なことになるので、サンデイ仕事しろと強く要請して、大工も来ると言ったが来ない。

クリスチャンは、サンデイは教会へ行く安息日なので頑なに来ない可能性ある。

レリージョンが仕事邪魔する文化?
妻は、体休めたいんだよ、雨はふらない大丈夫だ、、などと呑気だ=ゴッドが救済してくれると思考するか?

ウエザーリポートではマンデイから天気下り坂だ、、、当たらない予報だが心配だ。


欠陥構造中古住宅=増築してブロック・フェンスに向けて屋根が傾斜して、塀がハウスの壁になる構造。

屋根と壁の間に雨樋が有る、、これが劣化して交換するのだが、金属製雨樋だとジョイント部から雨漏りする。何回か修理するが大工の能力不足でジョイントから雨漏りする。

故に、クソ大工と妻が、セメント製にすると言い出した。我は、初め反対した。本当に大工が工事できるか?馬鹿なので信用できない。

が、連中が強く言うので、了解した。


後進国は、すべてが悪い、、、Japaneseなど、とても定住できない。すべての社会インフラが悪い。

25年生活するが、、初めの2年で、嫌になり帰国希望するがハウスが売れないのでイミーグランドビザを申請したら簡単に取れた。そのうちハウスが売れたが、永住権有るので、まあいいか、、もう少し居るかで、ズルズル居てしまい、結果25年。老化し、病気があるので帰国できない。

この後進国フィリピンで死ぬ覚悟だが、墓は作らないで火葬して骨を海に散骨するように何回も妻に遺言してる。こんな国に墓を作らないでくれ。

25年、どれほど苦労したか。本当に後進国は嫌いだ。

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