恥ずかしい歴史教科書を作らせない会

改憲で「戦争する国」、教基法改定で「戦争する人」づくりが進められる今の政治が
将来「恥ずかしい歴史」にならぬように…

「核も戦争もない未来」への誓い

2008年08月06日 | 叫び
 63回目の「原爆の日」を迎えました。
 今年も、平和記念式典での、こども代表平和への誓いが、私の胸を打ちました。
 これを読み上げてくれたのは、小学校6年生のお二人でした。

 原爆は、一瞬で多くの尊い命を奪っただけでなく、生き残った人々をも苦しめ続けました。
 ある人は突然病に倒れ、ある人は、あの日のことを「思い出したくない」と心を閉ざし、ある人は「わしは、生きとってもええんじゃろうか?」と苦しんできた、その姿を彼らは見聞きし、知っているのです。
 彼らはこう続けました。

「でも、生き抜いてくれた人たちがいてくれたからこそ、私たちまで命が続いています。
 平和な街を築き上げてくれたからこそ、私たちの命があるのです。
 今、私たちは、生き抜いてくれた人たちに『ありがとう』と心の底から言いたいです。」


 この言葉は、痛いほど私の心に響きました。
 私の祖父は、広島の原爆投下から3日後、長崎で被爆、即死しました。まだ28歳でした。
 爆心地から至近だったため、「生き抜く」ことはできませんでしたが、彼は娘を残しました。あの佐々木禎子さんと同じ年の娘でした。
 そしてその娘はやがて大人になり、結婚し、私を生んでくれたのです。
 私まで命が続いてくれたこと、そして私も数年前に父親となり、命を続けることができたことに、「ありがとう」と心の底から言いたいと思います。

 もちろん、私たちの生い立ちが特別だとは思いません。広島・長崎の原爆死没者名簿には約40万人が列せられます。その方々につながる皆さんは、何百万人にもなることでしょう。
 私は、その内のたった一人に過ぎません。

 しかし、同じ感謝の思いを抱く、広島の6年生のお二人は、こう語ってくれました。

「私たちは、原爆や戦争の事実に学びます。
 私たちは、次の世代の人たちに、ヒロシマの心を伝えます。
 そして、世界の人々に、平和のメッセージを伝えることを誓います。」

 
 小学校に通う子どもさんたちが、このように誓いを述べられました。
 大人である私が何もしないわけには参りません。
 彼らの凛とした言葉に、私は勇気付けられた思いがします。

 彼らの前に秋葉市長が読み上げた、平和宣言は、こう結ばれていました。

「被爆63周年の平和記念式典に当たり、私たちは原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささげ、長崎市と共に、また世界の市民と共に、核兵器廃絶のためあらん限りの力を尽し行動することをここに誓います。」

 私も、原爆犠牲者の子孫の一人として、そしてまた「世界の市民」の一人として、核兵器廃絶のためあらん限りの力を尽くし行動していきたいと思います。
 核も戦争もない未来を目ざして。


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