恥ずかしい歴史教科書を作らせない会

改憲で「戦争する国」、教基法改定で「戦争する人」づくりが進められる今の政治が
将来「恥ずかしい歴史」にならぬように…

封殺される被爆者の声

2006年03月22日 | 叫び
■ 「政治的発言」に自粛要請

 長崎市の外郭団体である「長崎平和推進協会」が、被爆体験の証言活動を行なう被爆者の皆さんに「政治的発言」の自粛を求めたことの波紋が広がっている、というニュースを目にしました。
 それによれば、騒動の発端は、この協会が作成した「より良い『被爆体験講話』を行なうために」と題した文書でした。そこには「意見が分かれる政治的問題についての発言は慎んでいただきたい」として、次の8項目がその具体例として挙げられていたそうです。

 ①天皇の戦争責任
 ②憲法(9条等)の改正
 ③イラクへの自衛隊派遣
 ④有事法制
 ⑤原子力発電
 ⑥歴史教育・靖国神社
 ⑦環境・人権など他領域の問題
 ⑧一般に不確定な内容の発言(劣化ウラン弾問題など)

 これでは、「被爆体験を語るのは構わないが、その体験をもとに現在や将来のことについては話すな。」と言うのと同じです。

■ なぜ被爆者の口を封じようとするのか

 人は、過去を背負って生きています。
 その過去を教訓として、より良い自分になろうとする中で成長しますし、より良い世の中を作ろうとするからこそ人類社会が発展するのです。
 過去を、ただの「昔ばなし」の中に封印し、何の教訓にもしようとしないなど、成長や発展を拒絶するに等しい愚行です。

 なぜ今、彼らの口を封じようとするのか、それは、「意見が分かれる政治的問題」だからなどではなく、再び「戦争国家」を作ろうとしている現代の権力にとって「都合の悪いこと」だからではないでしょうか。
 被爆や戦争を経験された方々の、平和を願う声は、その経験に裏打ちされた重みがあります。その「重み」を忌み嫌う人々がいるのでしょう。 

■ なぜ体験を語るのか

 被爆者の方々が、自らの体験を語るのは大変つらいことだと思います。
 忘れられるのであれば忘れてしまいたいような記憶を掘り起こし、必死の思いで語っておられることでしょう。
 なぜ、そうするのか、それは「二度と同じ思いをする人々を生み出したくないから」ではないでしょうか。
 このような被爆者の皆さんの口を封じようとする行為は、私は断じて許すことはできません。
 そして、このような言論封殺を繰り返しながら、「戦争国家」へ逆行しようとする動きも、絶対に許すことはできません。

■ 体験をもとに現代の政治に警鐘を

 私の祖父は61年前、長崎市上空に投下された原爆で爆死しています。
 爆心地のすぐ近くにいたため、遺骨も遺髪も残っていません。

 今も被爆体験の証言活動を続けておられる方々には、ぜひ私の祖父のように既に亡くなった人々の分まで、その被爆体験・戦争体験をもとに、いま何が起きようとしているのかをしっかりと見つめ、現代の政治に警鐘を鳴らして頂きたいと思います。

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