恥ずかしい歴史教科書を作らせない会

改憲で「戦争する国」、教基法改定で「戦争する人」づくりが進められる今の政治が
将来「恥ずかしい歴史」にならぬように…

中国のチベット弾圧事件に思う

2008年03月26日 | 外交・国際
■ 海外メディアと中国の「大本営発表」

 中国政府によるチベット弾圧事件が、国際世論の注目を集めています。しかし中国政府による報道管制が厳しく、正確な情報は伝えられていません。
 そのチベットの中心都市であり、今回の運動の中心地であるラサに、26日からようやく海外メディアの記者十数名が取材を許可されたと報じられています。
 このことにより多少は現地の情報が入ってくるかもしれませんが、どうも正確な情報は期待できそうもありません。
 この海外メディアの取材について、中国政府の当局者は、取材を認めるのは十数名、しかも破壊された建造物など政府が指定した場所でしか許可しないと語り、公然と事実を隠蔽すると宣言しているのです。
 これでは取材に当たる記者団は、言わば「大本営発表」の片棒を担がされるばかりであり、私たちはその「大本営発表」を聞かされ続けることになってしまいます。 
 半世紀近くに及ぶ抑圧への民衆の反発を、力で抑え込むばかりか、民衆の声や苦しみ、そしてその死さえも封じ込めようとする中国政府の行為は断じて容認できるものではありません。
 
■ 権力の暴走と民衆の悲劇

 「大本営」がなくなった戦後においても、こうした政府・権力者による民衆への弾圧事件は数多くありました。
 このアジアだけを見ても、昨年のミャンマーでの武力弾圧事件、80年代の韓国の光州事件、中国の天安門事件などは、ご記憶の方も多いでしょう。また、ロシア・プーチン政権の高支持率の裏には、野党など反対勢力への弾圧があり、北朝鮮では弾圧事件がニュースにならないほど常態化し、ここでは人権という概念の有無さえ疑問です。
 中国によるチベット侵攻は今から49年前ですが、ちょうど同じ頃、日本ではいわゆる「60年安保」が巻き起こっていました。デモを行う学生や市民らに対して、当時の岸信介首相は右翼や暴力団を使って襲撃させ、挙句の果てに自衛隊を出動させようとしたのです。防衛庁長官の猛反対によって、この岸氏の暴走は食い止められましたが、危うくこの日本でも大変な悲劇が起こるところでした。
 つい先日のことのように思い出される20世紀、そして21世紀の現在においても、今回のチベットの弾圧事件のように、政府や権力者の暴走が悲劇を生み続けています。
 日本でも、かの岸信介氏の思想と遺伝子を色濃く受け継いだ安倍晋三氏が、つい半年前まで首相の座にあり、「安倍政権下では人権という言葉は口にもできなかった」と与党の国会議員が言っていたことに、背筋が凍る思いがします。

■ 日本国民だからこそ

 人類史を振り返れば、それこそ数え切れぬほどの弾圧によって、幾多の民衆が血を流し、命を奪われてきました。
 人権は「天賦人権」という通り、天から賦与されたもの、生まれながらにして持っているものであり、政府や権力者の存在以前の「前国家的」なものだというのが、近代以後確立された概念であり、それこそ民衆が血を流しながら必死に勝ち取ってきた「人類の財産」です。
 その「財産」たる人権を保障し、そのために権力を縛るのが憲法の最大の役割であり、この人権保障の面において世界最高水準にあるのが日本国憲法です。民衆が権力と闘いながら勝ち取ってきた「結晶」が、日本国憲法に詰まっていると言っても過言ではないでしょう。
 その日本国憲法は前文で、全世界の国民に「平和のうちに生存する権利」を確認した上で、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」としています。
 過去には血を流してきた先人たちを裏切ることなく、現在では流血の悲劇に襲われている人々を救うため、そして将来において子孫に血を流させないために、私たち日本国民は「全力をあげて」この誓いを世界に発信しながら、あらゆる国の政府・権力者たちによる弾圧を断罪し、彼らに毅然たる抗議の態度を示さねばならないと思います。
 生まれながらにして天から与えられた人権と、その拠り所である日本国憲法を、私たち日本国民が、世界に、そして未来に広げていくために。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
チベット問題 (吐蕃)
2008-04-02 18:06:25
はじめまして。
最近チベット問題を書いたブログなどを良く見かけます。
でも、これまで人権には目もくれなかった右寄りの連中が、ただ中国をこき下ろしたいだけのために《にわか人権派》気取りで書いているものが多く、がっかりし通しでした。
その点、gooーneedsさんのは、国を問わず、抑圧する権力と、抑圧される民衆という構図が、人権という観点から捉え、しっかりと描かれていると思いました。こうした普遍的な捉え方を、私も大事にしたいと思います。
それから、60年安保のとき日本でも同じようなことが起こりそうだったということを知り、弾圧というものが、遠い外国だけでなく身近に起こり得るということをあらためて知らされました。
こうした情報を、これからもお願いします。応援しています。
返信する
権力と抑圧 (goo-needs)
2008-04-21 22:30:32
吐蕃 様

こちらこそ初めてご挨拶申し上げます。
ハンドルネームに旧チベット王朝名をお使いになるあたり、チベット問題にお詳しい方ではないかと拝察致します。
さて、「にわか人権派」についてのご指摘がありました。私もそれを感じていましたが、今はそれでも良いのではないかと考えています。
「ウソから出たマコト」という言葉もあります。「にわか」でも何でも、一度は本当に「抑圧される民衆」の立場から考えなければ、分からないこともあるでしょう。
それこそ国を問わず、身近に存在する「権力」の横暴に対し、まず疑問や怒りを感じてもらうことも大切だと思います。
誰かに対する人権の「抑圧」に目を背けていては、いつか我が身にも振り返ります。
そうしたことを多くの皆さんに考えて頂ければ有難いと思っています。
最後になりましたが、応援いただき有難うございます。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。