■ 「テロ支援国家」指定の解除
米国が北朝鮮への「テロ支援国家」の指定を解除しました。
これに対しては、多くの人々から不満と批判の声が上がっています。
それもそのはず、日本と北朝鮮との間には、「拉致」問題があります。「テロ支援国家」の指定の根拠にはこの「拉致」の問題も含まれていたのです。
これまで家族会や日本政府は何度も何度も、「拉致問題について進展が見られない以上、指定を解除しないでほしい」と、米国側に働きかけてきました。ブッシュ大統領自ら、拉致被害者のご家族と会い、救出のための努力や協力を誓ったこともあったのです。
それが、この「仕打ち」です。不満や批判、あるいは「怒り」さえ沸き上がるのも当然だと思います。
■ 「日本軽視」
こうした声は、政府・与党内からも噴出しました。
例えば、訪米中の中川昭一財務・金融相は、「同盟国である日本によく相談した上で(解除を)やったのかどうか。多分違うんだろう」と述べました。
また、自民党幹事長代理の石原伸晃氏は、「日本に相談なく、(解除を)やったのは唐突」と語りました。
これらは、「同盟国」である日本を軽視した米国の勝手な行動への、強い不満と批判の声に他なりません。
北朝鮮の問題でいえば「拉致」だけでなく、「核」「ミサイル」の問題もあります。日本には、ようやく西海岸が「射程」ぎりぎりという米国以上の危機感があります。そうしたことを考えれば、私でさえ、中川氏や石原氏のコメントに共感をおぼえました。
■ 日米首脳による電話会談
ところが実は、米国は決して「日本を軽視」してはいなかった、というのです。
米国が「解除」を発表する前、すなわち日本時間の10月11日の夜、ブッシュ大統領は麻生首相に理解を求めていたというのです。
その日、麻生首相は、静岡県にあるグランドホテル浜松にいました。
麻生首相は、ホテル別館の日本料理店で行われていた日本青年会議所の歴代会頭らの懇談会に出席、さらにホテル内のラウンジ「サムデー」に移動して行われた「二次会」でも飲み食いに興じていました。
そのとき、ブッシュ大統領から電話があり、麻生首相に対して「直接」かつ「事前」に理解を求め、麻生首相もこれに応じたというのです。
こうした対北朝鮮問題での「事前協議」は、小泉・安倍・福田と続いてきた政権では、なかったことです。
だからこそ、私や中川氏・石原氏は当初、「米国が日本を軽視した」と思ったのです。
ところが、「米国に異議を唱える」ことができたはずの麻生首相は、「酔った上」で日本のこれまでの主張や行動を、全く「無」にしてしまったのです。
■ 「外相」経験もある首相の観測
外務大臣の経験もある麻生首相ですが、その外相時代でさえ、首相になりたい一心で、北朝鮮のミサイル発射実験直後にテレビ番組の収録を優先させ、司会者にまで「麻生さん、ホンマこんなとこおってもええんですか?」と心配された人物です。
今回も、酔った麻生首相が、ブッシュ大統領との電話会談を行い、これを「決定打」として直後の「解除」発表があったというのです。
この麻生・ブッシュ電話会談後、麻生首相が酒席に戻ったかどうかは分かりませんが、このことについて麻生首相がコメントしたのは、翌日の午後になってからでした。
そのコメントも、「拉致」については、「(解決への)てこを失うことは全くない」、「核」については「動かないまま置いておくより、きちんとやった方がいいということで踏み切ったのだろう。一つの方法だ」という抽象的な希望的観測を述べただけで、具体的な方策は示されていませんでした。
■ 麻生内閣の「無能」が刻む「歴史」
私はあらためて悔やみます。
彼が酔っていなくて、冷静な人物であって、真剣に日本の立場を強調することができ、多少なりとも外交能力のある人間だったら・・・
「歴史」は、ときに残酷な真実を刻みます。
首相の「間の悪さ」は不幸を呼び、その「無能」は罪悪でさえあります。
哀れむべきは、その「無能」な首相ではなく、その治世におかれた国民一人一人です。
米国が北朝鮮への「テロ支援国家」の指定を解除しました。
これに対しては、多くの人々から不満と批判の声が上がっています。
それもそのはず、日本と北朝鮮との間には、「拉致」問題があります。「テロ支援国家」の指定の根拠にはこの「拉致」の問題も含まれていたのです。
これまで家族会や日本政府は何度も何度も、「拉致問題について進展が見られない以上、指定を解除しないでほしい」と、米国側に働きかけてきました。ブッシュ大統領自ら、拉致被害者のご家族と会い、救出のための努力や協力を誓ったこともあったのです。
それが、この「仕打ち」です。不満や批判、あるいは「怒り」さえ沸き上がるのも当然だと思います。
■ 「日本軽視」
こうした声は、政府・与党内からも噴出しました。
例えば、訪米中の中川昭一財務・金融相は、「同盟国である日本によく相談した上で(解除を)やったのかどうか。多分違うんだろう」と述べました。
また、自民党幹事長代理の石原伸晃氏は、「日本に相談なく、(解除を)やったのは唐突」と語りました。
これらは、「同盟国」である日本を軽視した米国の勝手な行動への、強い不満と批判の声に他なりません。
北朝鮮の問題でいえば「拉致」だけでなく、「核」「ミサイル」の問題もあります。日本には、ようやく西海岸が「射程」ぎりぎりという米国以上の危機感があります。そうしたことを考えれば、私でさえ、中川氏や石原氏のコメントに共感をおぼえました。
■ 日米首脳による電話会談
ところが実は、米国は決して「日本を軽視」してはいなかった、というのです。
米国が「解除」を発表する前、すなわち日本時間の10月11日の夜、ブッシュ大統領は麻生首相に理解を求めていたというのです。
その日、麻生首相は、静岡県にあるグランドホテル浜松にいました。
麻生首相は、ホテル別館の日本料理店で行われていた日本青年会議所の歴代会頭らの懇談会に出席、さらにホテル内のラウンジ「サムデー」に移動して行われた「二次会」でも飲み食いに興じていました。
そのとき、ブッシュ大統領から電話があり、麻生首相に対して「直接」かつ「事前」に理解を求め、麻生首相もこれに応じたというのです。
こうした対北朝鮮問題での「事前協議」は、小泉・安倍・福田と続いてきた政権では、なかったことです。
だからこそ、私や中川氏・石原氏は当初、「米国が日本を軽視した」と思ったのです。
ところが、「米国に異議を唱える」ことができたはずの麻生首相は、「酔った上」で日本のこれまでの主張や行動を、全く「無」にしてしまったのです。
■ 「外相」経験もある首相の観測
外務大臣の経験もある麻生首相ですが、その外相時代でさえ、首相になりたい一心で、北朝鮮のミサイル発射実験直後にテレビ番組の収録を優先させ、司会者にまで「麻生さん、ホンマこんなとこおってもええんですか?」と心配された人物です。
今回も、酔った麻生首相が、ブッシュ大統領との電話会談を行い、これを「決定打」として直後の「解除」発表があったというのです。
この麻生・ブッシュ電話会談後、麻生首相が酒席に戻ったかどうかは分かりませんが、このことについて麻生首相がコメントしたのは、翌日の午後になってからでした。
そのコメントも、「拉致」については、「(解決への)てこを失うことは全くない」、「核」については「動かないまま置いておくより、きちんとやった方がいいということで踏み切ったのだろう。一つの方法だ」という抽象的な希望的観測を述べただけで、具体的な方策は示されていませんでした。
■ 麻生内閣の「無能」が刻む「歴史」
私はあらためて悔やみます。
彼が酔っていなくて、冷静な人物であって、真剣に日本の立場を強調することができ、多少なりとも外交能力のある人間だったら・・・
「歴史」は、ときに残酷な真実を刻みます。
首相の「間の悪さ」は不幸を呼び、その「無能」は罪悪でさえあります。
哀れむべきは、その「無能」な首相ではなく、その治世におかれた国民一人一人です。