ステップ7の続きです。フロート本体に右舷手摺のK16を取り付けますが、前回の記事で述べたようにフロートの天板K14に折れ部の改造を施していますので、一番内側のダボ穴はカットされています。それで、新たにダボ穴を上図のようにピンバイスで開口しました。
ダボ穴の移動に応じて、右舷手摺のK16も内側でいったんカットして縮めて繋ぎました。そのうえで上図のように取り付けました。
左舷手摺はガイド指示のK15に換えて不要パーツのK3を使用します。左フロートの幅に合わせて上図のようにカットします。
そしてこちらも天板K13の張り出し部へダボ穴が移動していますから、上図のように支柱をカットして位置をずらします。
改造した左舷手摺K3の取り付け状況です。
以上で、前部フロートにおけるガルパン仕様への改造が完了しました。分割線の折れ部そのものは、注意して見ないと分からない程度のもので、塗装すればあまり目立たなくなりますが、クビンカ博物館の現存実車に合わせた劇中車仕様の一つですので、改造箇所から外すわけにはいきませんでした。
ただ、Sさんの話によれば、この分割線の折れ部は、パラオに派遣された際の6隻の艇には無かったそうなので、北方に派遣された初期生産分の特徴ではないか、ということでした。フロートの分割線に折れを入れると何か変わりますか、との私の問いにも、「さあ、分かりかねますな・・・」と首を傾げておられました。
ですが、いまパラオに現存しているカミのうちの、アイライの通信隊跡にある1輌の前部フロートに折れ部が見られます。これはSさんの小隊とは別の小隊の艇であったようですが、パラオに派遣された24隻のうちには、前部フロートに折れ部がある艇が幾つか混じっていたものと思われます。
細かいパーツを取り付けます。
組み付けました。
続いて後部フロートの組み立てです。こちらは全て組み立てガイドの指示通りに進めます。
組み上がりました。
エッチングパーツは瞬間接着剤で貼り付けました。
通風筒などの組み立てに進みました。パーツJ1は操舵把と呼ばれるもので、車内からの舵ワイヤーに繋がって2本の舵を操作する機構です。実際には艇長が砲塔内から遠隔操作することも可能ですが、Sさんの話によれば、通常の航行時には操舵手が操縦席から艇尾に移動して直接操舵把を操っていたのだそうです。
「・・・見た目がちょうどハンドルみたいになっとりますでしょ・・・、これを操舵手がこう、内側を握って左右に回しておったんです・・・。操舵手がね、艇内の操縦席におるのは陸上に上がってからなんですけれども、我々の艇はついに陸に上がることはありませんでしたので、操舵手はだいたいいつも艇尾に板で椅子こしらえて座ってましたね・・・。だからね、いつも周囲の見張りもやりながら舵を操っておったんですね・・・。そこが大型艦との違いでして、壁に囲まれた部屋の中で伝声管で指示を聞いて舵とるんじゃないんです、操舵手が自身で周囲の状況を見まわして舵をとりましたからね、すぐにパッと転舵が出来たわけです。艇長の私が敵発見を令すると同時に、もう舵が回されるわけですからね、敵の襲撃への対応も早かったと思いますね・・・」
既に述べたように、Sさんの艇はパラオでの漏水対策の応急修理の際に履帯や車輪やスプリングを全て撤去していたため、艇が軽くなっていて、最高速度はカタログスペックの数値よりも約3ノット早い7.3ノットを出せたそうです。
このスピードと、操舵手が艇尾に陣取って周囲の視界も確保しながらの舵操作を行っていたことが幸いして、数回にわたる敵機との交戦で述べ2機を撃墜、5機を撃退しています。一度はTBFアベンジャーの肉薄雷撃も受けましたが、快速と素早い転舵を生かしてこれを回避したそうです。
組み上がりました。今回の製作では、Sさんのアドバイスを受けて後部フロートは車体に合わせて接着する方針でした。
Sさんによれば、パラオでの戦訓工事で後部フロート上に7.7ミリ機銃を増設した艇もあり、基本的に後部フロートを外すという方策はあまり採られていなかったそうです。
パラオでの現存車輌にも後部フロートを付けたままの例が幾つかあるのも、そうした事情からであったのかもしれません。
そういえば、西原の搭乗車も、第2話の劇中では後部フロートを付けたまま密林内を疾駆しています。公式設定資料図でも後部フロートを外した図はありませんので、第3話においても外さないままに終わるのかもしれません。
第一、後部フロートが外されないと、車体背面の様子も塗装パターンも不明のままですから、塗装の面からいっても、後部フロートを付けた状態にするほうが都合が良いのでした。
前後のフロートが組み上がりましたので、車体に仮組みしてみました。まさに内火艇としての姿になりました。海上に浮かんでいれば、まさに小型の武装艇です。 (続く)