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知波単学園 特二式内火艇カミ 作ります!! その5

2020年06月18日 | ガルパン模型制作記

 インテリア制作の続きです。御覧のように底面補強桁、エンジン架台、側面のサスペンションスプリング、駆動輪ギアボックス、操縦装置などを組み付けた段階で艇内の基本色の塗装に入りました。Sさんの教示により、横須賀海軍工廠の指定色である明灰白色で下地および本塗装を行ないました。

 従来、特二式内火艇カミの艇内のカラーについては写真も資料も無く不明とされてきましたが、Sさんによれば「見た感じでは、戦争初期の零戦の機体色と同じでしたな・・・」ということでした。当時の記録メモを見せて貰ったところ、「横須賀工廠ノ指定色ナリ」とありました。

「・・・我々が呉での特殊訓練を修了しましてすぐに館山へ移動しまして、そこで艇の受領および乗員の合流があったわけです。その際に特別陸戦隊の配備命令を受けまして、館山港に移動させられましてね。そしたら輸送船隊がもう待機してて、大体の装備や荷物は積み込みが終わっていたんです。勿論、カミも輸送船の甲板上に並んでまして、遠くから見たら白っぽく見えたんです。輸送船は戦時塗粧の灰色でしたからね、それよりは明るい色でしたね。でも白ではなかった。乗船して艇に近づくと、ああコレは零戦と同じ色だな、ってウチの小隊長が話してましてね・・・。そしたらね、小隊長の艇の機関兵、この人が横須賀工廠からの派遣だったんですが、「工廠の指定塗粧色であります」と応じておったんですよ・・・」

 この証言によって、パラオに派遣されたSさんたちの部隊の6隻が横須賀工廠指定の明灰白色に塗られており、外側も艇内も同じカラーであったことが判明しました。ただし、戦地へ派遣されたカミが全て同じ色であったのではないだろう、工場ごとに異なっていただろうし、戦訓によって現地で塗り替えたのも相当数あっただろう、ということでした。

 ちなみにSさんの艇も、明灰白色のままだと海上では目立つため、パラオ本島周辺での哨戒作戦命令を受けた時点で外面を青緑色に塗り替えたそうです。
 私が「それはいわゆる外舷21号色でしょうか」と訊ねると、「いや、違います。アイライの飛行場で飛行機に使ってる塗料を分けて貰ってきたのですよ、つまり海軍の艦上機の機体の色です・・・」と答えられました。つまりは濃緑色であったことになりますので、ガルパンの劇中車のカラーに近いといえば近いです。ですが、艇内は撃沈されるまでずっと明灰白色のままだったそうです。

 

 続いて、Sさんの記録メモ図をふまえて排水ポンプとそのモーター部の自作を行ないました。エンジンの前面に連結する推進軸変換器の右側に吸水口付きのパイプを取りつけ、モーター部分とその付属部品を上に取り付けました。全てタミヤの丸棒を使用して削り出し、細部のパッキンやキャップは丸棒を薄くスライスしたもので再現しました。銀色に近いカラーだった、というSさんの指示をふまえて、該当部分をシルバーで塗りました。

 Sさんによれば、排水ポンプは航行時にのみ作動したそうです。推進軸変換器のレバーを後ろに倒すと駆動軸のギアがスクリュー軸に変換され、その際に排水ポンプのモーターのギアにも入る仕組みだったそうです。

 上図は推進軸変換器を横倒しにした状態で、銀色の円筒部品が排水ポンプのモーターとフィルターにあたり、横になっているパイプが吸水パイプです。その下端は艇内の床面に接して吸水口が設けられています。

 

 次に、艇内前面部の上図の位置に、7.7ミリ機銃の予備の掛け具を追加しました。艇内には戦闘態勢の際に配備する3挺の他に予備の1挺が搭載され、この掛け具に固定されていたそうです。
 そのパーツはブラ材で削り出して形を合わせ、固定する際のツマミもランナーの切れ端で作りました。

 

 次に、タミヤの丸棒でビルジポンプからの排水管を作りました。カミの艇内排水管の位置は左舷側壁沿いと中央推進軸変換器の2通りがあり、Sさんの艇は後者だったそうなので、排水管を艇内中央の推進軸変換器の真上まで作って取り付けました。これに垂下パイプを追加してポンプ本体に繋ぐ予定です。

 

 続いて、艇内の簡易甲板をブラ板で作りました。海上で内火艇として行動する場合、装甲の隙間などから微量の浸水が続きますから床には海水がたまるのが普通でした。それで補強桁の上に薄い板を張って簡易甲板となし、作戦行動中の足場としたのだそうです。勿論、Sさんの艇でも薄い板を左右に3枚ずつ張って、乗員はその上のみを移動したそうです。

 

 浸水の大部分はビルジポンプで吸い上げて排水していましたから、艇内にたまる海水が簡易甲板の高さまでくることは滅多に無かったそうです。それで、弾薬を入れた木箱などはこの簡易甲板の上に並べていたそうです。

 

 次に、前部フロートを着脱自在とするための、マグネット取り付けを行ないました。上図の100均ショップで売っている強力マグネットセットが使えます。これを4個使い、艇本体側とフロート側の左右に対で仕込みました。

 

 艇本体側においては、上図のように隔壁がある所の内側にマグネットを取り付けました。この位置だと艇内からは見えませんので好都合でした。
 私の製作においては、後部フロートは現存実車の多くが後部のみ外さなかった事例にならって接着固定とするため、後部においてはマグネットは不要です。劇中の西原車も前部フロートは吹っ飛ばされましたが、後部フロートは付けたままで行動しています。

 

 以前の記事にて明快な画像を載せていなかった、艇内前部左隅の2つの吊り下げ用フックの取り付け状況をここでお知らせしておきます。左隅のピストルポートの横に2つのフックが付いているのが分かるでしょうか。ジャンクパーツから適当なものを調達して取り付けました。

 

 ステップ4に進みました。輸送時の係止用突把と舵ワイヤーの巻き込み機構とリールのパーツです。

 

 輸送時の係止用突把です。これの機能については、以前の記事にて紹介済みです。

 

 舵ワイヤーの巻き込み機構パーツを取り付けました。内火艇として行動する際にはこの機構の軸に砲塔内の転把までのワイヤーを繋ぎ、舵の中継機構として作動させたそうです。
 今回の製作では陸上にあがって密林内で行動する劇中車の状態に合わせるため、航行時にのみセットする砲塔内の転把までのワイヤー部分は再現しませんでした。だから、上図の通り、キットのパーツのみで組み上げました。

 

 続いて、舵ワイヤーの巻き込み機構の奥にあった二段の棚をブラ板で再現しました。その上段が取り外した舵ワイヤーの収納ケースをおさめる位置で、下段は艇内各所のビジョンスリットに設けられていた防弾ガラスの予備を収めた木箱の保管位置であったそうです。

 私自身は、最初は艇内に棚があると聞いた際に、主砲や機銃の弾庫かなと思いましたが、Sさんは「徹底して軽量化が図られたカミに棚は不要ですよ。大型艇ならいざしらず、カミの作戦行動は半日程度ですから、積み込むのは大体弾薬と戦闘食ぐらい。みんな木箱に入れて積み込んだんです」と説明してくれました。
 使用後の木箱はどうするんですか、と訊ねたら、「大体は再利用しますからそのまま陸に返しましたけどね、たまに夜まで行動した場合、煮炊きのための薪にすることもありましたし、木箱を4つぐらい繋いでロープで縛っておきますと、沈んだ際に救命用の浮き輪代わりになります・・・」と教えて下さいました。

 それで、戦時中にはカミの艇上にて臨時に空き燃料缶を利用した簡易のストーブを作り煮炊きしていた事例があったことを知りました。Sさんは「本当は危ないですから、やったらいかんのでしたけれども、まあ、腹が減っては戦は出来ぬ、ということで艇長としても黙認せざるを得なかった時がありましてね・・・」と苦笑されていました。  (続く)


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