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けいおん!の聖地をゆく11 その1 再び南禅寺水路閣へ

2017年08月03日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 2017年6月9日、数えて11回目の「けいおん」聖地巡礼を京都にて実施しました。暑い季節に入る前に、京都エリアの巡礼ルートの残り分とリベンジ分を全て回ってしまおう、というのが動機でした。
 今回は京都市内を東から北、北から西へ回る形でコースをまとめ、半日でクリア出来るように計画しました。西大路の下宿を出て市バス208系統で京都駅に行き、5系統に乗り換えてまずは南禅寺へ向かいました。上図のバス停「南禅寺・永観堂道」に降り立ったのは、朝の8時20分でした。


 二条通も白川通も通勤通学ラッシュで喧騒を極めていましたが、街路を外れて古刹の門前に進むと、朝の静寂の中に再び包まれました。小鳥のさえずりが林間にこだましていました。
 上図は、江戸期末までは「脇門」と呼ばれていた、南禅寺の旧勅使門です。慶長六年(1601)に伏見城松井邸の門が寄進されて勅使門となっていたものです。寺院の門とは異なる外観や構造が、その由緒を裏付けてくれます。


 こちらが、現在の勅使門です。寛永十八年(1641)に京都御所の「日ノ御門」を拝領したもので、古くは天皇や勅使の来山の折に限って開かれましたが、現代では住持の晋山に限って開かれます。江戸期までの御所建築遺構の一つとして国重要文化財に指定されています。


 南禅寺伽藍の偉観を象徴する三門です。別名を「天下竜門」といい、上層は五鳳楼と呼ばれて日本三大門の一つに数えられます。現在の建物は二代目で、寛永五年(1628)に藤堂高虎が大阪夏の陣に倒れた家来の菩提を弔うために寄進再建しました。江戸期の禅宗様式門建築の白眉と称えられ、国重要文化財に指定されています。


 伽藍の右手に寄って、水路閣に向かいました。今回のリベンジ二ヶ所の一ヶ所目です。


 朝早く来たので、この通り、誰も居ませんでした。


 この壮大な近代建築遺産を独り占め状態でした。


 観光客の大多数が好んで撮る水路閣下のアーチ空間を見ました。東に向かうと、このように見えます。


 橋脚のアーチを全て入れて撮るには、上図のような縦撮りが適しています。前回の巡礼でもこの構図で撮影して、1期OPのワンシーンを実感した積りでいたのですが、後日に画像を見て、逆に撮っていたことに気付きました。アーチのサイズや、橋脚の基台などが全然違っていたのでした。


 正しくは、上図のように水路閣の西側にて西を向いて撮らないといけないのでした。


 決め手は、劇中シーンの左端に見える石積み、右端に見える立木でした。石積みは、塔頭南禅院の西御門下の石積みです。


 これで、正しいアングルでの聖地撮影が出来ました。リベンジ一ヶ所目クリア、です。 (続く)

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