零戦とは 2006-09-18 13:15:29 | 麹町 九段の靖国神社の境内にある遊就館(靖国神社や遊就館の是非は論じない)の玄関ホールには、太平洋戦争中の花形戦闘機『零戦』が展示されている。なぜ『ゼロ』かといえば、戦前に使われていた神武天皇即位の年を元年とする皇紀2600年(西暦1940年)に、制式制定されたからだ。ちなみに、中学生の私が学徒動員で作っていたのは、その前年の99式艦上爆撃機。『零戦』の名称は当時から知っていたが、実物を間近で見るのは今回が初めて。 « 東へ、西へ | トップ | 夕焼け »
6 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 ゼロ戦 (T・A・M・A) 2006-09-18 15:41:51 今年8月15日を過ぎてから遊就館に行きました。ゼロ戦も見ました。ゼロの言われは知りませんでしたが。案外小さい飛行機ですよね。インパールの展示もあり、父の兄がインパールで亡くなったことを思い出しました。(もちろんわたしは伝え聞きで、そのころは生まれていませんが) こんにちは (laiu) 2006-09-18 16:33:43 何だかこういうものを見ると亡くなった祖父を思い出します。戦争でビルマへ行き、アメリカ兵に銃で撃たれ、脚に3発の銃弾が入ったまま船で帰国したんです。その後の人生は障害者として生き、それは辛いものだったようです。私は幼少期に祖父の家に預けられていた為、そういう話を身近で聞いていました。子供ながらに「戦争はイヤだな」と思いながら。今、祖母が90歳で生きておりますが、いまだに「傷痍軍人婦人の会」の方々との繋がりがあるようです。こういうものがもう空を飛ばないで済むような世の中であってほしいです。 T・A・M・Aさんへ (ジョージ) 2006-09-18 17:49:50 毎日のように轟音を建てて頭上を飛ぶ厚木基地の戦闘機に比べたら、小さくておもちゃのようですね。これぐらいの大きさの飛行機の胴体の中に潜り込んで、部品の取り付けなどの作業をしていた中学低学年の頃が思い出されました。 laiuさんへ (ジョージ) 2006-09-18 18:06:57 こういうのが飛ばないのがいいのですが、我が家の真上を毎日のように米軍機が飛んでいます。そのための防音工事が間もなく始まります。・・・いま、西の空の夕焼けがもの凄く綺麗なので、窓から写真を撮ってきました。おばあさまへの手編みのベスト、喜ばれるでしょう。 戦闘機 (ともがら) 2006-09-19 13:44:29 中学1年生の時世田谷の桜上水の京王線の車庫の近くで、アメリカの艦上戦闘機グラマンに機銃掃射を受けた事があり、撃ったアメリカ兵の顔が見えたのを思い出します。 敵国語 (ジョージ) 2006-09-19 15:03:36 普通『ゼロ戦』と言っていますが、正しくは『レイ戦』だそうです。ゼロ(zero)は英語なので、使ってはいけなかった時代でした。電話番号で『ゼロ・サンの××××の××××』と言うのは、よく考えると、英語と日本語のチャンポンでした。 規約違反等の連絡 コメントを投稿 ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
インパールの展示もあり、父の兄がインパールで亡くなったことを思い出しました。(もちろんわたしは伝え聞きで、そのころは生まれていませんが)
戦争でビルマへ行き、アメリカ兵に銃で撃たれ、脚に3発の銃弾が入ったまま船で帰国したんです。
その後の人生は障害者として生き、それは辛いものだったようです。
私は幼少期に祖父の家に預けられていた為、そういう話を身近で聞いていました。
子供ながらに「戦争はイヤだな」と思いながら。
今、祖母が90歳で生きておりますが、いまだに「傷痍軍人婦人の会」の方々との繋がりがあるようです。
こういうものがもう空を飛ばないで済むような世の中であってほしいです。
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いま、西の空の夕焼けがもの凄く綺麗なので、窓から写真を撮ってきました。
おばあさまへの手編みのベスト、喜ばれるでしょう。
電話番号で『ゼロ・サンの××××の××××』と言うのは、よく考えると、英語と日本語のチャンポンでした。