湘南藤沢市民マラソンはタイムを競うレースではありませんので、いろいろな仮装をした人も走っています。最近話題のタイガーマスクもいました。胸に赤いランドセルを抱えていて、沿道で応援している子供を見つけると走り寄り、キャンデーかなにかを取り出して渡していました。
今日、東京マラソンが行われています。都心を走るので、空気が悪いでしょうね。一方、湘南海岸では、江の島スタート・ゴール、国道134号線浜見山交番前交差点折返し(10マイルレースは2往復、5.64マイルレースは1往復)で、第1回湘南藤沢市民マラソンが行われました。「自然に優しい街づくり」を目指す市が参加する行事ですので、折返し点のすぐそばにある湘南工科大学が開発したソーラーカーが先導車です。伴走車なども電気自動車ですので、排ガスゼロの湘南の風を胸いっぱい吸い込みながら、皆さん気持ち良さそうに走っていました。
昨25日は、東日本と西日本の太平洋側各地で気温が上がりました。関東地方では10メートルを超える強い南風が吹き、東京や横浜では気温が20℃を超えて、『春一番』になりました。先日一輪だけ咲いたとお伝えした辻堂元町・天王社前の河津桜は、ほぼ満開になりました。しかし今日はまた冬に逆戻りで、日中の気温は10℃に届かないようです。
JR辻堂駅の東改札駅舎の改良工事が本日、ほぼ完成しました。北口-南口自由通路が広くなり、東側の壁面は総ガラス張りで屋根も付き、駅舎が明るくなりました。改札口の横にはJR東系コンビニエンスストアのNewdaysも出来ました。現在はまだ狭いスペースで飲み物の棚程度しかありませんが、南口ロータリーの上を通る歩行者用デッキが完成する頃までには、もう少し横に広がるのではないでしょうか。田舎の駅舎が見違えるようになりました。
境川河口に近い片瀬漁港には、鮮魚の直売所があります。江の島沖の定置網からその日の朝に水揚げされた鮮度バツグンのサバ,アジ,イワシ,タチウオ,イカ,カマスなどが販売されています。毎週土曜日と毎月29日とを除く午前9時からの営業ですが、売り切れ次第終了です。その鮮魚直売所の入口で、サギが1羽待っていました。しばらくすると建物の中からもう1羽のサギが出てきて、2羽で飛び去って行きました。今夜のおかずを買いにきていたのかしら?
辻堂駅北口の再開発地(湘南C―X)の南部では、本年11月のオープンに向けて大型商業施設の建設が着々と進んでいます。一方、北部では徳洲会病院の建設工事が始まりました。オープンは来年秋の予定で、現在は基礎工事が始まったばかりの段階です。完成すると、地上10階、地下1階、病床数400余りの大型総合病院になります(→こちら)。救急診療、がん治療、周産期医療などに力を入れるそうです。
庚申堂の柵の中には、昨日お見せした寛文13年の庚申供養塔の他にも、いろいろな石造物があります。その中の一つに、『供鶏』と書かれた(多分供鶏でしょう)小さな石碑がありました。『施主 ○○長右衛門』と読めます。長右衛門とは何者でしょう。インターネットで検索しますと、『串屋 長右衛門』という店がありました。備長炭の生みの親『備後屋 長右衛門』に因んで名付けられたという、焼き鳥の店です。同名の店は全国にあり、ここの近くにもあります。昨日の写真でも分かるように、庚申塔の青面金剛像に鶏が刻まれていることが多いのは、庚申の本尊の使者が鶏だからとか、早起きの鶏で夜が早く明けるようにとか、また庚申は申 [サル] の日から翌日の酉 [トリ] にかけての行事だからなどといわれています。こう考えると、『鶏』に関係が深い『○○長右衛門』さんがこの石碑を建てたのかもしれませんね。以上は私の勝手な推量です。
藤沢駅北口から遊行通りを少し北に行った所に、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)も訪れたことがある慶応年間創立の庚申堂があります。周囲を柵で囲まれていて出入り口の扉がいつも閉まっていますので、中に入ったことがありませんでした。先日、近所の方と思われるご婦人が扉を開けて入って行きましたので、入ってもいいか伺うと、「どうぞ。出たら扉を閉めて下さいね。」とのことでした。柵の外からではよく見えませんが、ここには藤沢市指定重要文化財である寛文13年(1673年)建立の庚申供養塔があります。六臂(手が6本)二眼の青面金剛像が陽刻されていて、着衣の裾には雌雄二鶏、台座には三猿が彫られています。さらに邪鬼面(邪神として懲らしめられ、苦悶の表情をみせる鬼)を足下に踏まえている様子が、よく分かりました。
現在の江の島の展望灯台は、2003年に開業されました。光の到達距離は46キロメートルで、民間の灯台としては国内で最大級だそうです。以前の灯台は下が太くて上が細いごくありふれた形でしたが、2代目は下が細くて上ほど太くなっています。私には、きれいな装飾が施された和蝋燭のように見えました。この灯台を所有している江ノ電は昨年、江ノ電全線開通100周年および藤沢市制施行70周年の記念として愛称を募集し、『江の島シーキャンドル』に決まりました。海のローソクです。
拝殿の格子戸から覗いて後ろに神殿があるのが分かりましたので、横に回って隙き間から内部の写真を撮りました。小屋の屋根の下には神殿の屋根が見えました。横からの撮影ですので神殿の内部の様子は分かりませんが、階段もなかなか立派な造りです。地元の人は大事に保存したいのでしょう。
これが城神明社の拝殿です。通常は正面から写真を撮りますのでその後ろがどうなっているのか分かりませんが、斜め横から撮りますと、お粗末な小屋が続いているのが分かります。昨日すでに種明かしをしましたが、この中に神殿があります。雨露をしのぐのだけが目的ならば、これで十分なのでしょうね。
城神明社 [タテシンメイシャ] は、国道1号線藤沢バイパスのすぐ横にあります。藤沢市の資料によれば、中世の伊勢神宮領大庭御厨ゆかりの神社です。ご祭神は天照皇大神ですので、地元では「お伊勢の宮」と呼んでいます。拝殿の後ろには、外壁がプラスチック波板の粗末な建物が続いています。何でしょう? 拝殿の格子戸の隙き間からのぞきますと、手前は広い空き部屋になっていて向う側にも格子戸があり、その向うに神殿のようなのが見えました。そこで、横に回って隙き間からのぞいてみますと、拝殿の後ろの粗末な建物の中に、神殿全体がスッポリと入っていました。古い神殿の保護対策でしょうか。
私と同じ世代なら、乃木希典大将を知らない人はいないでしょう。学習院の院長だった乃木大将は、生徒を引き連れてしばしば片瀬海岸に水練に来ていました。こうした関係で昭和の初めに、片瀬海岸に片瀬乃木幼稚園が設立され、近くに乃木大将の銅像も造られました。その乃木大将の銅像は戦後行方不明になり、現在は台座の石が幾つか残っているだけです。一方、片瀬乃木幼稚園は戦後名を変えて、有名女子校の湘南白百合学園となりました。
毛糸の帽子と厚手のコートで完全武装したNHKの記者が、水行を終えた荒行僧にインタビューしていました。小雪が舞う中、荒行僧は薄い肌襦袢1枚で寒そうです。早く解放してあげれば良いのにと思いながら、後ろを通って向う側に行きました。1~2分間も取材していたと思いますが、ニュースで放送されたのは、私が画面を横切る数秒間だけでした。
若持法華経 其身甚清浄 不染世間法 如蓮華在水 得聞此経 六根清浄 神通力故 増益壽命 ・・・・
これが、「水行肝文」の出だしのところです。意味は各自で考えて下さい。この経文を唱え、手桶の水を数回浴びます。所要時間は数分でしょうか。水行場を出てきた荒行僧たちに、信者の女性たちが肌襦袢を着せかけます。このような場所ですから、水がしたたる下帯を取り替えることも出来ません。それでも修行の結果でしょうか、寒さで震えている様子はありませんでした。
これが、「水行肝文」の出だしのところです。意味は各自で考えて下さい。この経文を唱え、手桶の水を数回浴びます。所要時間は数分でしょうか。水行場を出てきた荒行僧たちに、信者の女性たちが肌襦袢を着せかけます。このような場所ですから、水がしたたる下帯を取り替えることも出来ません。それでも修行の結果でしょうか、寒さで震えている様子はありませんでした。