藤沢~辻堂間にあるパナソニック(旧松下)工場跡地を、南側の箱根駅伝が通る県道から見た写真です。敷地の北の端には、境界のフェンスに沿ってサクラが植えられていました。整地作業の関係でしょうか一部のサクラが伐採・撤去されましたが、大部分のサクラの木は残されていて、今年もきれいに花が咲きました。西寄りのソメイヨシノはすでに花が終わりましたが、濃いピンクと淡いピンクが交互に並んでいる東寄りの八重桜は、今が盛り(一昨日の大雨でかなり散りましたが)です。この跡地がどうなるか気になるところですが、はっきりしたことはまだ決まっていないようです。
昨日は、ものすごい雨でした。私が住んでいる藤沢市辻堂では、午前6時~7時の1時間雨量が40.0ミリ、1日の合計降雨量は140ミリに達しました。夕方前には雨は止みましたが、大型商業施設「MrMax」の屋外駐車場の一部は、ご覧のように水浸しになっていました。一方、我が家の庭に置いてある直径約50センチ、深さ約40センチの睡蓮鉢に2匹いたメダカが、1匹しか見当たりません。辺りを探したら、睡蓮鉢の横の地面に横たわっていました。メダカでも逃げられないような勢いで、鉢から水が溢れ出したようです。
現在大きく育っている2本のウラシマソウは、昨年のウラシマソウの球茎(茎自身が肥大化して球状になった球根の一種)から出てきたもので、最初は筍のような形をしていました(→こちら)。内部で花が咲く仏炎苞が出たこの2本のウラシマソウのそばから、小さな新芽のようなものが4本、頭を出していました。これらは筍のような形にはならず、直接ウラシマソウの小さな葉っぱになりました。球茎の子球からから出てきた新芽のようで、仏炎苞が出て花が咲くまでには数年掛かるようです。ネット通販でウラシマソウは1株1,500円ぐらいしていますので、せっせと増やそうかしら。アミガサタケよりは可能性がありそうですね。
藤沢市中部の石川地区で、一昨日と昨日の2日間『石川レンゲの里まつり』が行われました。親柱にレンゲの模様がある、下河内橋(→こちら)のそばです。今年で10年目の行事ですが、寒い日が続いていましたので、レンゲの花はあまり咲いていませんでした。それでも久しぶりに晴れた暖かい日曜日でしたので、大勢の家族連れが集まっていましたが、この咲き方ではレンゲ摘みも大変です。
変わった形の花弁のように見えるのが仏炎苞で、この中に肉穂花序 [ニクスイカジョ] と呼ばれる小さな花の密集があります。肉穂花序に付いている長い紐状の付属物(いわゆる浦島太郎の釣り糸)はS字型にカーブして上に伸びた後、細長く垂れ下がっています。仏炎苞の下部には隙き間がなくて閉じていますので、2本とも雌株です。仏炎苞の筒部上部で蓋のように伸びている舷部の裏側が見やすくなるように、カメラを上下反対にしてレンズよりも下からフラッシュを当てました。
ここは藤沢市東部の渡内にある、北条早雲が開山した曹洞宗の由緒あるお寺・天嶽院です。その鐘楼で面白いものを見掛けました。梵鐘をならす撞木 [シュモク] が、ロープで小さなボックスに繋がれているのです。これはタイマーで、予めセットした時刻になるとロープにより鐘木が引かれ、ロープが緩むと鐘が撞かれるようになっていました。年老いた住職一人のお寺なら仕方ありませんが、これほど立派なお寺でタイマー撞きとは頂けませんね。
小さく折り畳まれていた葉っぱが、1週間ほどですっかり広がりました。まるでチョウやトンボの羽化のようです。紫褐色の仏炎苞の中から、浦島さんの釣り糸もきれいに伸びています。ここでクイズ。このウラシマソウには葉っぱが何枚付いているでしょうか? 実は、これで1枚なのです。1枚の葉が十数枚の小葉に分かれていて、掌状複葉と呼ばれているものです。
泣塔は、湘南モノレール湘南町屋駅・湘南深沢駅の西側、旧JR大船工場敷地(4年前に閉鎖、現在は鎌倉市の所有)に建つ宝篋印塔です。文和5年(1356年)の建立で、鎌倉市指定の文化財ですが金網の向うですので近寄ることはできません。この辺りは、新田義貞の鎌倉攻めの際の激戦地の一つ洲崎古戦場ですので、戦死者を周辺の住民が弔うために建てた塔と考えられています。かつてこの塔を近くのお寺に移設したところ、夜な夜なすすり泣くような声が聞こえたので『泣塔 [ナキトウ]』と呼ばれるようになったそうです。恐ろしいですね~、怖いですね~。
アミガサタケが生えていたところから数メートル離れたところにうつ伏せになったまま放置されていた植木鉢をどかせたところ、その下に7センチほどのアミガサタケが生えていました。さらに塀際を見ますと、小さなアミガサタケが4本も頭を出していました。アミガサタケは春先に、庭や芝生などに生えることがあるそうですが、人工栽培はまだできないようです(→こちら)。自然に生えてきた7本のアミガサタケを、プランターに集めました。人工栽培に成功したら、儲かるだろうな。
この草花は庭に時々植えていますがもっぱら葉を鑑賞するものですので、葉が見苦しくなってくると抜いて処分していました。そのため、花が咲いているところを見たことがありませんでした。ナノハナなどと同じで、アブラナ科の特徴である4弁の黄色い花です。英名は ornamental cabbage(観賞用キャベツ)、もうお分かりですね。そう、ハボタンの花です。
茅ヶ崎に関係が深い有名人は、ごく最近では野口聡一・土井隆雄の両宇宙飛行士、少し遡ると桑田佳祐と加山雄三、もっと遡ると大岡越前守忠相等でしょう。江戸町奉行としてよく知られている大岡越前守の菩提寺は茅ヶ崎市の北部にある浄見寺ですので、毎年4月中旬の土曜日と日曜日に茅ヶ崎の代表的な行事の一つとして「大岡越前祭」が行われます。一昨日(土曜日)は淨見寺で墓前法要が営まれ、昨日(日曜日)は茅ヶ崎駅周辺で大パレードがありました。数基だけですがお神輿の渡御もあり、パパに肩車された幼い女の子が大人達のかけ声に合わせて、元気よく両手を打ち振っていました。
今度こそ、お化けかもしれません。我が家の裏庭にコンポスト用の容器が置いてありますが、そのそばにお化けのようなキノコが生えているのを発見しました。長さは12センチほどもあり、そばには5センチほどのがもう1本生えています。網目模様から直感的に「アミガサタケ」ではないかと思ってインターネットで調べましたところ、フランス料理などの高級食材である「アミガサタケ」の仲間の「トガリアミガサタケ」のようです。しかしキノコは間違えると怖いので、食べるのは止めておきましょう。アミガサタケの実物を触ったことはもちろん見たこともないのに、なぜここに生えてきたのか不思議です。やはりお化けでしょうね。必死になって記事にするネタを探していたら、なんと裏庭にありました。
鎌倉市の西の端にある「鎌倉山」は、昭和初期に高級別荘地として分譲されました。現在も有名人が多数住んでいる、高級住宅地です。「若松」バス停そばの木立の中に、かなり背が高い円筒状の石碑があります。柵があって近寄れず、手前の枝が邪魔で書かれている文字を読むのは困難ですが、目の位置を上下左右にずらせて1文字ずつ確認しますと、『爆弾三勇士表勲碑』と書かれていました。私が子供の頃、爆弾三勇士(肉弾三勇士とも言う)は英雄でした。この石碑のような円筒状の爆薬を3人の兵士で抱えて敵陣に走り込み、爆死しました。私が生まれた半年ほど後のことでした。与謝野鉄幹作詞の爆弾三勇士の歌は、今でも歌う(一番だけですが)ことができます。この石碑は進駐軍に見つからないように、終戦直後にこの場所に隠されたそうです。
電車を降りたら突然の雨、傘を持っていないので駅前のコンビニに駆け込んでビニール傘を買うという経験は、皆さん何度もおありでしょう。しかし、この駅のように近くにコンビニがないと困りますね。ここでは改札口のそばに『貸傘』と書いた箱があって、傘が必要な人は自由に借りられるようになっています。使い終わった傘は返せばいいのですが、自宅に何本も溜まっているビニール傘の整理もできて、一石二鳥ですね。