九段の靖国神社の境内にある遊就館(靖国神社や遊就館の是非は論じない)の玄関ホールには、太平洋戦争中の花形戦闘機『零戦』が展示されている。なぜ『ゼロ』かといえば、戦前に使われていた神武天皇即位の年を元年とする皇紀2600年(西暦1940年)に、制式制定されたからだ。ちなみに、中学生の私が学徒動員で作っていたのは、その前年の99式艦上爆撃機。『零戦』の名称は当時から知っていたが、実物を間近で見るのは今回が初めて。
九段の靖国神社の境内にある遊就館(靖国神社や遊就館の是非は論じない)の玄関ホールには、太平洋戦争中の花形戦闘機『零戦』が展示されている。なぜ『ゼロ』かといえば、戦前に使われていた神武天皇即位の年を元年とする皇紀2600年(西暦1940年)に、制式制定されたからだ。ちなみに、中学生の私が学徒動員で作っていたのは、その前年の99式艦上爆撃機。『零戦』の名称は当時から知っていたが、実物を間近で見るのは今回が初めて。
電話番号で『ゼロ・サンの××××の××××』と言うのは、よく考えると、英語と日本語のチャンポンでした。
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いま、西の空の夕焼けがもの凄く綺麗なので、窓から写真を撮ってきました。
おばあさまへの手編みのベスト、喜ばれるでしょう。
戦争でビルマへ行き、アメリカ兵に銃で撃たれ、脚に3発の銃弾が入ったまま船で帰国したんです。
その後の人生は障害者として生き、それは辛いものだったようです。
私は幼少期に祖父の家に預けられていた為、そういう話を身近で聞いていました。
子供ながらに「戦争はイヤだな」と思いながら。
今、祖母が90歳で生きておりますが、いまだに「傷痍軍人婦人の会」の方々との繋がりがあるようです。
こういうものがもう空を飛ばないで済むような世の中であってほしいです。
インパールの展示もあり、父の兄がインパールで亡くなったことを思い出しました。(もちろんわたしは伝え聞きで、そのころは生まれていませんが)