ジョージのつれづれぐさ

写真と、写真から作った絵手紙などのブログ

休場

2008-08-31 00:16:39 | Weblog
 
私のブログは先月、1000日連続更新を達成しました。次の記録となると2000日連続でしょうが、到底そこまでは続けられません。そこでこの際、思い切って時々休むことにしました。毎日見てくださっている方には申し訳ありませんが、これからもよろしくお願いいたします。

徳の広きこと海の如し

2008-08-30 00:23:41 | 湘南
 
昨年5月に新築された藤沢市の明治市民センターには、『徳如海』と彫られた新築記念碑があります。『徳如海寿似山(出典:伸聞詩)』の前半で、この地に関係が深い吉田茂の書です。その吉田茂が耕余塾に在学していた時の作文の一節に、次のようなものがあります。『英国民の自由は鉄騎の自信より生じ、展富なる合衆国の幸栄はワシントンの自信より生まれたるものなり。嗚呼自信は人に自由を与へ、性命を恵み、万有の天地の栄華を起こす。(原文のまま)』 ワンマン宰相の自信は、耕余塾に在学していた14~15歳の少年の頃に培われたようです。

これが耕余塾

2008-08-29 00:28:48 | 湘南
 
藤沢市の南西部は、かつて明治村と呼ばれていました。このブログでも何回かご紹介しましたが、そこには吉田茂元総理も在学(1889~1894)した私塾・耕余塾(当時は耕余義塾に改称)がありました。現在は数十平方メートルほどの跡地が残っているだけですが、明治市民センター内の明治郷土史料室に行きますと耕余塾の復元模型がありますので、当時の規模が想像できます。それによりますと講堂(教場)のほか、2階建ての寄宿舎や食堂、炊事場などもありました。塾生(原則として14歳以上で入学)は自宅あるいは併設の寄宿舎から通学しましたが、吉田茂は近くの大地主の家に下宿していたようです。授業科目は語学、数学、英習字、代数、幾何、生物、簿記、経済学など多方面にわたっていました。当時の入学金は1円、月謝は70銭だったそうです。なお、鈴木三郎助(味の素の創設者)も耕余塾の出身です。

カラフル・マンホール(茅ヶ崎)

2008-08-27 01:52:04 | 湘南
 
茅ヶ崎市の歩道に、カラフルなマンホールの蓋を発見しました。このデザインのマンホールは以前からありましたが、車道に設置されているのは着色されていませんでした。烏帽子岩に日の出とカモメは気がついていましたが、右下に木造の伝馬船らしいものがあるのは、茶色に塗られて初めて気がつきました。

驚き桃の木山椒の木

2008-08-26 00:03:48 | Weblog
 
先日、JR鎌倉駅に『Tsuruoka-Hachimangu Shrine』と書かれていると『喝!』を入れました(→こちら)。この記事を読んだ方が「笑っちゃいました」と言っていましたが、外国人が見たらこちらが正式な読み方だと思ってしまうでしょう。湘南人には常識である「つるがおかはちまんぐう」の読み方も、世間一般には知られていないのでしょうか。そこで、「つるおかはちまんぐう」でYahoo!の検索にかけてみました。ここに示したのはそのごく一部ですが、あるわあるわ。あきれたのは3番目に示した近畿日本ツーリストです。大手旅行社なのに鶴岡八幡宮に「つるおかはちまんぐう」と振り仮名を付けています。驚きです。恥です。『喝!』を入れるのも馬鹿らしくなりました。念のため鶴岡八幡宮のホームページをご紹介しますと、『THE TSURUGAOKA HACHIMANGU』となっています。

元気出ないな~

2008-08-25 00:41:23 | 湘南
 
湘南地方は一昨日から急に涼しくなり、9月中旬から10月上旬のしのぎやすい陽気になりました。しかし雨が降り続いて、昨日は大雨・洪水警報も発令になりました。藤沢の六会地区では恒例の『湘南ねぶた』が行われましたが、雨のため見に行くのをやめました。一方、昨日は私が住んでいる地区で『辻堂元気まつり』がありました。日中は雨もほとんど降っていませんでしたがあいにくの天候のため人出は少なく、模擬店などはお客さんよりもスタッフのほうがはるかに多い状態でした。折角の『元気まつり』も、これでは元気になれません。

スプリンクラー

2008-08-24 00:09:33 | 湘南
 
文化財で怖いのは、火事です。大正末期から昭和初期に活躍した建築家J.H.モーガンの旧自宅(洋館)は藤沢市にありましたが、市民による保存運動が行われているさなか、昨年5月と今年1月の二度の不審火で全焼してしまいました。茅ヶ崎の和田家は茅葺きの木造家屋ですので、火災に遭うとひとたまりもありません。そのため、見た目はよくありませんがスプリンクラーが設置してあって、異常乾燥と火災に備えています。

幕末の民家

2008-08-23 01:04:53 | 湘南
 
淨見寺のすぐそばに、幕末の大型民家二棟(和田家と三橋家)を移築復元した茅ヶ崎市民俗資料館があります。二棟とも建築の記録がしっかり残っていて、建築の経過や用材の購入先などが分かっているそうです。これは和田家の茶の間の写真ですが、記録によりますと用材などを買い始めてから完成までに、4年もかかったそうです。

六地蔵尊

2008-08-22 00:04:38 | 湘南
 
お地蔵さまは一体だけの場合もありますが、多くの場合六体並んで祀られています。なぜ六体かと言いますと、人間の死後は『地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道』の六世界に赴くとされているからで、これら六道において衆生の苦しみや心の患いを救うために、六種の地蔵尊が祀られているそうです。この写真は、大岡家の菩提寺である淨見寺の六地蔵尊です。

ウツボットだ!!

2008-08-21 00:01:04 | 動物・植物
 
藤沢警察署の近くにある長久保公園は、正式には長久保公園都市緑化植物園といいます。温室に入りますと、食虫植物を展示していました。この写真は、矢を携帯するための筒状の容器『靫 [ウツボ] 』に似た形の捕虫嚢をもつウツボカズラです。葉の先端から伸びたつるの先に付いている捕虫嚢の底には消化液がたまっていて、中に入ってきたアリやハエを消化して栄養分を吸収します。いわば、植物の胃袋ですね。東南アジアが原産のつる草で、ポケモンに出てくる『ウツボット』のモデルです。

白キャノンと黒ニコン

2008-08-20 00:06:04 | その他
 
オリンピックの男子100メートル決勝を狙うカメラは、アテネ五輪では白キャノンが9割にも達していましたが、北京五輪では黒ニコンが4割ほどまで巻き返したそうです(8月19日の朝日新聞夕刊→こちら)。さてここは、カワセミを狙うカメラマンが集まる公園の池のほとり。カワセミが現れるまでカメラマンは少し離れた木陰で待機中ですが、プロ並みのカメラは白黒半々でした。

島の中の島、聖天島

2008-08-19 00:10:49 | 湘南
 
江の島ヨットハーバーの道路を挟んだ向かい側、県立かながわ女性センターの手前に、聖天島 [ショウテンジマ] 公園という小さな公園があります。その片隅に、高さ数メートル足らずの小高い丘があります。もともとは「聖天島」という島でしたが、関東大震災の時に隆起して江の島と陸続きになりました。さらに、東京オリンピックの際にヨット競技会場整備のため周囲が埋め立てられて、現在は上部の岩肌だけが残っています。

古道具屋から買ってきました

2008-08-18 00:06:55 | 湘南
 
藤沢市羽鳥地区の氏神様である御霊神社の梵鐘は、明治の初めにこの地区の人がお金を出し合って、非常時の警報用として神田の古道具屋から買ってきたものです。こう書きますといかにも安物のように聞こえますが、そもそもは至徳3年(1386年)に下総国・香取大神宮の別当寺のために鋳造されたものでした。明治初期の廃仏毀釈で放出されて、古物商の手に渡っていました。買い取り価格は、22円余りだったそうです。市内では遊行寺の鐘に次いで2番目に古い鐘で、藤沢市指定の重要文化財工芸品です。

鯉を眺める川、柏尾川

2008-08-17 00:28:42 | 湘南
 
戸塚から大船までの東海道線のすぐ横を流れているのが、柏尾川です。かつては工場排水や生活排水でドブ川状態でしたが、下水処理施設の整備により、最近は川魚が棲めるほどに水質が改善されました。大船駅の西側には「鯉をながめる柏尾川遊歩道」と名付けられた細い道が川沿いにあって、フェンスにはカラフルな鯉のレリーフがはめ込まれています。