玄語

玄音の弟玄です。日々感じている事、考えている事を語っていきます。そんな弟玄が語る”玄語”です。よろしく。

ネーミング

2016-01-30 10:49:44 | Weblog



言葉の持つ力は凄い。
良い事も悪い事も、自身で表現している言葉、または語っている名前で実現させてしまっている。

昔ばかりが良いとは簡単には言えないけれど、昔は今よりも世間や社会に対して、どういう言葉を使うか、どういう名を名乗るか、とても慎重であったと感じる。いつしか、テレビやネットを含めた共有空間に対して、自分勝手が横行し、自分の言葉、自分の振る舞いがこの共有空間にどのように影響しているか、全く省みない人が増えている。ただ受ければいい、売れればいいという短絡的な感覚の横行。

しかし、最近変わってきたなと感じる事に、再帰性という現象、やったことが自分に帰るという現象が数多く見受けられる。空間がきれいになるとどうなるのか。良い事は良いままに、悪い事は悪いままに、そのまま行為者に帰ってくるということ。まさか、というようなことが平気で起きている。絶対に崩れなさそうな牙城が自壊し始めている。

何でこんなことが起きるのだろうか、ということの要因は言葉にある。自分は元々バンドマン。なんでこんな名前つけるのかな、というバンドが最近多い。昔のパンクバンドには相当ひどいのもあるけれど(笑)、それは体制批判的な要素も強かった。今はナルシスティックなネーミングが多い。爽やかな顔して平気でえげつないネーミングをつけ、詩をつけ、言葉にしている。時代の流れではすまないことが、言葉にはある。もっと言葉について理解を深めていく必要があると感じる。自由なゆえに恐ろしい一面もある。どのようなことも程度を過ぎれば、、。

申年は動きの年、変化の年と言われてます。今年はまだ始まって1ヶ月くらいだけど、随分と経っているようにも感じるほど、社会も自分自身も現実的に大きく変わっていっている。こういう時代だからこそ、より言葉に敏感になり、言葉を大事にして、より良い変化になっていくことを目指していきたいなと感じる昨今です。
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夜のテレビより

2016-01-18 22:53:48 | Weblog

一番の問題をうやむやにして、ただ長いものに巻かれて、現状維持をはかったつもりが、結局、溝を深め、より問題を悪化させていく。時代は確実に管理・支配型から協調型にシフトしているのに、最先端を気取る世界がこれでは、逆に世界から取り残される。変わる流れはとまらない。グループは組織、筋を通さないで存続は無理。どういう状況であれ、まずリーダーが示すこと。謝罪の先は誰かということ。最も大事な2点を完全に誤った。意外に歴史から学んでない。壊れるものは早く壊れ、一新して頂きたい。

 

これ、特定の業界だけにあらず。

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気づき

2016-01-13 19:30:58 | Weblog
 
 
知れば知る程、知らない事を知る。
意味連関の果てしない連なり。どこまで続く事柄の真相よ。しかし我にできることは知ることのみ。知るといよりも「気づく」ことのみ。果てしない「気づき」の連続。気づけば気づく程、事柄の真相はあまりに当たり前で、何も隠れていなかったことに「気づく」。隠れていたのではなく、自分が見えなかったのである。
 
「…時として、突然、覆いが取り払われることがある。今まで隠れていたものが、一瞬にして露見する。それを体験する主体の側から言えば、すなわち「気づき」の瞬間である。一体何が露見するのか。言うまでもなく、事柄の真相がである。」
「「気づく」とは、存在に対する新しい意味づけの生起である。一瞬の光に照らされて、今まで意識されていなかった存在の一側面が開顕し、それに対応する主体の側に詩が生まれる。」
「「気づき」の意外性によって、アラヤ識にひそむ無数の「意味種子」の流動的絡み合いに微妙な変化が起こるのだ。「意味」機能磁場としての意識深層におけるこの変化が、次の「気づき」の機会に、新しい「意味」の連鎖連関を、存在体験の現象的現場に喚起し結晶させてゆく。「気づき」は日本的意識構造にとって、その都度その都度の新しい「意味」連関の創出であり、新しい存在事態の創造であったのである。」
 
 
「気づき」の深層について、正に痛快です。
井筒俊彦著『読むと書く』(「気づく」詩と哲学の起点)より。
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高麗 koma/コマ

2016-01-02 13:31:24 | Weblog
 
2016年。
始まりました。
 
今年の元旦は毎年恒例にしている京都高麗への挨拶とぜんざいコーヒーセットを頂くことから始まりました。京都高麗とよんでいる場所は京都東山にある法観寺通称”八坂の塔”のふもとにある高麗ギャラリーカフェ。八坂神社を中心とした東山は高句麗系の人々が多くいたことがわかっているそうです。そしてその京都高麗は正に高句麗王直系子孫の高麗恵子さんが造られたギャラリーカフェです。
 
高句麗というとすぐに朝鮮系と捉えてしまう人がいます。確かに高句麗という国があったのは最大の領域では中国北部から今の北朝鮮にまで広がっていたのは確かですが、民族的にはツングース系で、中国北部からモンゴル、ロシアあたりから始まっている民族で、朝鮮民族とは違うことが民族学的にわかっているそうです。
 
奈良時代から日本には多くの古代朝鮮と言われる国の人達が往来していたといい、高句麗の人達はもちろん多く日本に来ていました。高句麗が滅亡しその王であった若光王は日本に亡命し、初めは神奈川の大磯に、その後は今の埼玉県日高市の高麗郷に多くの高句麗人と共に移り住んだことが日本書紀に書かれています。
 
この高句麗。英語読みではkoguryo/コグリョウですが、日本ではkoma/コマと読みます。高麗と書いてコウライと読むのは高句麗とは違います。高麗と書いてコマと読む。何とも不思議な響きだなとずっと感じていました。もう5年以上前になると思います、日曜日の毎日新聞に今も続く作家や評論家による書評のコーナーがあり、その書評の中心人物であった丸谷才一さんが日本語学者である大野晋先生の「古典基礎語辞典-日本語の成り立ちを知る」の書評の記事に”カミ”の語源がタミル語の”koman”にあると書かれていたことを取り上げており、その時、おおこれは!と感動し、切り抜いていました。それから切り抜いていた事も忘れ、しばらく時間が経っていたのですが、昨年末、片付けてをしていた際に、いきなりこの切り抜きが出てきました。ちょうど12月に講座で高麗さんにお会いしていた事もあり、何かの縁のように、新たな出会いとなりました。
 
大野晋先生は日本語と南インドのタミル語との共通点から、その語源の共通性について研究された日本語研究の泰斗です。その大野晋先生の「古典基礎語辞典」の丸谷才一さんの書評を下記に転載します。古代より伝わることによれば、高句麗の王は代々シャーマンで、天をこの地に実現させることが国の天意としてきたと言われています。
 
「…しかし大野の日本語学は数多くの学説を綜合して成った。たとえば橋本進吉に学んだ上代特殊仮名づかい。「かみ(神)」の場合、これがあざやかな切れ味を示す。カミ(神)とカミ(上)は別語だったのに、カミ(神)は「カミ(上)にあるもの」という意味と信じられてきた。しかし上代の発音ではミに甲類(mi)と乙類(mi)(※ i の上の点が二つの字)の二つの使い分けがあって、違う語だった。こう述べて在来の語源説を捨て、タミル語へとおもむく。日本語ではka-muからka-mi(※ " i " 上と同じ)になり、それがkamiになった。ところでタミル語にはko-manがある。これはkoとmanとの複合語。koの意味は「1、光線。2、雷光。3、山。4、矢。5、天国・上空。6、王、帝王。7、支配」で、これが神(古形カム)のkaに対応する。manの意味は「1、王。2、領主」で、これが神(カム)のmuに対応する。複合語ko-manは「超能力を有する支配者」で、これが日本語のカミ(神)の古形カムに対応する。二つの語は1、超能力を持つ恐るべき存在 2、王として支配力を持つ統治者、の両義を持つ点できれいに対応している。この「かみ(神)」の項目は大野の執筆したもので約四ページにわたる長大なもの。日本史と日本文化について考えるとき、ぜひとも参照すべき貴重な資料だろう。たとえば仏教の移入による神の変容を説き、「『万葉集』においては神は『雷』『恐(かしこ)き神』『天皇(かみ)』など支配者・領有者の意の例が圧倒的に多く、頼む相手・助けを求める対象とするものが極めて少数であったのに、平安時代には様相はまったく変わっている。平安時代以後、神は助けるもの・救うものとする意識のほうが多数を占めるに至った。これは日本思想史における神の役割の大きな変化である」という指摘など。」(毎日新聞日曜日「今週の本棚」より)
 
高句麗という国を現す言葉が日本においては”高麗”となり、その読みが”koma/コマ”となっていること、日本語の”カミ”が元は”koman”という語から来ていること、そして高句麗の建国の理念が天をこの地に実現させることにあること、こういったこと全てに大きな関わりがあると思わざるを得ない書評からの指摘です。もしかしたら日本語に馴染んだ高句麗人が”カミ”の語源でもある"koman”を知り、故国であった高句麗を表現するのにピッタリな音韻として”koma/コマ”にしたとも考えられます。高句麗人の気質、資質を考えた上でも、高麗を”koma/コマ”と呼んできた歴史は決して見逃す事はできません。
 
今年は音韻も含め、より深く、言葉に注目して、歴史の真実を追究していきたいです。今年もどうぞよろしく。
 
 
 
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