玄語

玄音の弟玄です。日々感じている事、考えている事を語っていきます。そんな弟玄が語る”玄語”です。よろしく。

高麗 koma/コマ

2016-01-02 13:31:24 | Weblog
 
2016年。
始まりました。
 
今年の元旦は毎年恒例にしている京都高麗への挨拶とぜんざいコーヒーセットを頂くことから始まりました。京都高麗とよんでいる場所は京都東山にある法観寺通称”八坂の塔”のふもとにある高麗ギャラリーカフェ。八坂神社を中心とした東山は高句麗系の人々が多くいたことがわかっているそうです。そしてその京都高麗は正に高句麗王直系子孫の高麗恵子さんが造られたギャラリーカフェです。
 
高句麗というとすぐに朝鮮系と捉えてしまう人がいます。確かに高句麗という国があったのは最大の領域では中国北部から今の北朝鮮にまで広がっていたのは確かですが、民族的にはツングース系で、中国北部からモンゴル、ロシアあたりから始まっている民族で、朝鮮民族とは違うことが民族学的にわかっているそうです。
 
奈良時代から日本には多くの古代朝鮮と言われる国の人達が往来していたといい、高句麗の人達はもちろん多く日本に来ていました。高句麗が滅亡しその王であった若光王は日本に亡命し、初めは神奈川の大磯に、その後は今の埼玉県日高市の高麗郷に多くの高句麗人と共に移り住んだことが日本書紀に書かれています。
 
この高句麗。英語読みではkoguryo/コグリョウですが、日本ではkoma/コマと読みます。高麗と書いてコウライと読むのは高句麗とは違います。高麗と書いてコマと読む。何とも不思議な響きだなとずっと感じていました。もう5年以上前になると思います、日曜日の毎日新聞に今も続く作家や評論家による書評のコーナーがあり、その書評の中心人物であった丸谷才一さんが日本語学者である大野晋先生の「古典基礎語辞典-日本語の成り立ちを知る」の書評の記事に”カミ”の語源がタミル語の”koman”にあると書かれていたことを取り上げており、その時、おおこれは!と感動し、切り抜いていました。それから切り抜いていた事も忘れ、しばらく時間が経っていたのですが、昨年末、片付けてをしていた際に、いきなりこの切り抜きが出てきました。ちょうど12月に講座で高麗さんにお会いしていた事もあり、何かの縁のように、新たな出会いとなりました。
 
大野晋先生は日本語と南インドのタミル語との共通点から、その語源の共通性について研究された日本語研究の泰斗です。その大野晋先生の「古典基礎語辞典」の丸谷才一さんの書評を下記に転載します。古代より伝わることによれば、高句麗の王は代々シャーマンで、天をこの地に実現させることが国の天意としてきたと言われています。
 
「…しかし大野の日本語学は数多くの学説を綜合して成った。たとえば橋本進吉に学んだ上代特殊仮名づかい。「かみ(神)」の場合、これがあざやかな切れ味を示す。カミ(神)とカミ(上)は別語だったのに、カミ(神)は「カミ(上)にあるもの」という意味と信じられてきた。しかし上代の発音ではミに甲類(mi)と乙類(mi)(※ i の上の点が二つの字)の二つの使い分けがあって、違う語だった。こう述べて在来の語源説を捨て、タミル語へとおもむく。日本語ではka-muからka-mi(※ " i " 上と同じ)になり、それがkamiになった。ところでタミル語にはko-manがある。これはkoとmanとの複合語。koの意味は「1、光線。2、雷光。3、山。4、矢。5、天国・上空。6、王、帝王。7、支配」で、これが神(古形カム)のkaに対応する。manの意味は「1、王。2、領主」で、これが神(カム)のmuに対応する。複合語ko-manは「超能力を有する支配者」で、これが日本語のカミ(神)の古形カムに対応する。二つの語は1、超能力を持つ恐るべき存在 2、王として支配力を持つ統治者、の両義を持つ点できれいに対応している。この「かみ(神)」の項目は大野の執筆したもので約四ページにわたる長大なもの。日本史と日本文化について考えるとき、ぜひとも参照すべき貴重な資料だろう。たとえば仏教の移入による神の変容を説き、「『万葉集』においては神は『雷』『恐(かしこ)き神』『天皇(かみ)』など支配者・領有者の意の例が圧倒的に多く、頼む相手・助けを求める対象とするものが極めて少数であったのに、平安時代には様相はまったく変わっている。平安時代以後、神は助けるもの・救うものとする意識のほうが多数を占めるに至った。これは日本思想史における神の役割の大きな変化である」という指摘など。」(毎日新聞日曜日「今週の本棚」より)
 
高句麗という国を現す言葉が日本においては”高麗”となり、その読みが”koma/コマ”となっていること、日本語の”カミ”が元は”koman”という語から来ていること、そして高句麗の建国の理念が天をこの地に実現させることにあること、こういったこと全てに大きな関わりがあると思わざるを得ない書評からの指摘です。もしかしたら日本語に馴染んだ高句麗人が”カミ”の語源でもある"koman”を知り、故国であった高句麗を表現するのにピッタリな音韻として”koma/コマ”にしたとも考えられます。高句麗人の気質、資質を考えた上でも、高麗を”koma/コマ”と呼んできた歴史は決して見逃す事はできません。
 
今年は音韻も含め、より深く、言葉に注目して、歴史の真実を追究していきたいです。今年もどうぞよろしく。
 
 
 
コメント
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