玄語

玄音の弟玄です。日々感じている事、考えている事を語っていきます。そんな弟玄が語る”玄語”です。よろしく。

真の希望

2018-06-30 12:21:32 | Weblog


あまりに途方もないことが起きています。
どれだけのことが起きているのでしょう。想像すらできない、とはいってもどこかでは感じている途方もない変化。全く変わってしまったのです。変わってしまっても変わらない自分がいます。この自分とは何なのでしょう。生命そのものはこの変化をキャッチしています。しかし、自分が自分と認識しているこの意識がこの変化をわからないのです。過去からの連続で捉えてしまっているからでしょうか。

今起きている変化そのものはあまりに些細なことで見逃しているのかもしれません。とはいえこの微かな変化こそが今まで起きなかったことなのです。意識的に変化を捉えようとして、意識的に変化したのだと思い込ませていただけなのが、今までの変化なのかもしれません。しかし、本当に途方もない変化は起き、世界は変わったのです。

変化は身体でキャッチします。自分がいることで暴かれていく現実があります。自分がいることでより良く変化していってることがあります。または一見悪いような状況も生まれます。しかしこれは正常になっていくための膿出しのようなものです。正常が清浄を生み出すのです。自分はある現実の中にいます。自分がいなければ起きないことがあるのです。自分が見逃さず、キャッチすることで開かれていく現実があるのです。

日々大事なことは、これまでもこれからも変わりません。豊かに生きていくことです。内面が豊かになることをしていくことにつきます。自分にとってはこれはまず言葉にしていくことです。それ以前のこととして、書物に触れることです。よく考えられた言葉に触れることで、開かれていく内面があります。言葉にしないと開かれないともいえます。よく考えている人と対話することができるなら、もっともっと内面が開かれることは早いかもしれません。

途方もない変化により開かれた空間。変わらざるをえない世界。ここに至るまで費やした長い時間があります。誰一人わからなくてもやり続けきた方がおられるのです。これからが本領発揮となるのでしょう。歴史も現在も未来もここにあるのです。とてつもないこの今の時に、真の希望が現れでていくのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アンパンマン

2018-06-16 16:21:38 | Weblog


アンパンマン。

子供達は大好き。
なぜこれほどアンパンマンの事が好きなんだろう。今日も電車で小さな女の子が”アンパンマン””アンパンマン”と連呼していた。

その連呼する音を聞いていて、ふと感じた。”アンパンマン”という名前には、子供にとって大事で、それでいてすぐに覚える言葉の音(オン)に満ち溢れている事を。

アンパンマンの”あ”は言葉の根源的な音。言葉の発せない赤子はほとんどが”あ”の強弱や伸長によりその要求を表現している。

アンパンマンの”ぱ”は”パパ”である。お父さんの事である。

アンパンマンの”ま”は”ママ”であり、最も大事なお母さんである。

アンパンマンという名前の中に赤子の時から身近でそれでいて最も大事で、大好きな存在が音(オン)として含まれているから、”アンパンマン””アンパンマン”と言葉にして、声に出すことその事が楽しいのかもしれない。アンパンマンという名前のリズミカルなところも見逃せない。

と、何となく考えてみました。
もちろんアンパンマンの生みの親、やなせたかしさんの深い人生観がストーリーの根幹にあるからからこそ、また子供達に対する深い愛があるからこその事は言うまでもありません。

さて、今日も何処かで”アンパンマン”と連呼されてる事でしょう。呼ばれる場所へ”それいけ アンパンマン!”
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする