玄語

玄音の弟玄です。日々感じている事、考えている事を語っていきます。そんな弟玄が語る”玄語”です。よろしく。

花のように。

2014-12-30 23:37:02 | Weblog


「西行花伝」より

「師が、後になってから話されたことだが、当り前のものが当り前に見えず、何か特別な不思議と思えることは、この世を、前よりも一段と深く眺め入ることなのであった。たとえば鳥が空を飛んでゆく。それは日々気にもとめずに見る平凡な風景である。だが、なぜその鳥がそのときそこを飛んだのか、と考えはじめると、平凡な風景が突然平凡ではなくなり、何か神秘な因縁に結びついた現象(あらわれ)に見えてくる。」

今年最後に読み終えた「西行花伝」。人が生きることは花が咲くように粋であること。それは正に存在の花、言葉の花、心の花。風流を学びました。粋で花のある言葉にふれ、知らず知らず心は豊かであたたかです。

今年もこのブログをお読み頂き、本当にありがとうございました。
2015年は愉快に、豊かに、そして羊の羊毛に包まれるような温かな一年に。
良いお年をお迎えください。
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雑感。

2014-12-22 11:16:52 | Weblog



最近の雑感。

出汁をいわゆる化学調味料から昆布や煮干からとるようにしたら、味噌汁もその他の料理も味がまろやかで美味しい。
化学調味料は舌に反応するけど、ちゃんとした出汁は身体が反応している。ちょっとしたひと手間の大事さを感じてます。

STAP細胞問題。予想を遥かに越えた制約の中での実験は失敗。小保方さんは退職。そのさなか、STAP細胞の特許出願は継続されている。開発したとされる人を追い出しておきながら、その技術の特許は出願しているという現実。何だこりゃ。

先日、ある舞台の仕事で本場スペインのフラメンコのグループの演奏を間近で観てから、あの細かいリズムとキレにやられてます。特にギター。zawadiのミッキーからフラメンコと言えばパコ・デ・ルシアでしょうと教えてもらい、早速聞いてみると、その演奏に完全にノックアウトw。さらにパコ・デ・ルシアをはじめとしてアル・ディ・メオラ、ジョン・マクラーレンを含めたビッグ3と言われた3人の共演の伝説のライブ版”FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO"を知り、すぐに購入。これは本当に凄いです。情熱がほとばしっています。凄すぎて自然と笑いが出ましたw。エレキギターとはまた違った生々しいリズムの感触、早弾きが何とも気持よい!いやーギターってマジでカッコいい!

ある著名な作家に対する批評をする人の文章に触れて。ある事象に対してアナロジーの手法で現実を分析する事を論理の飛躍として批判していた。かなりの分量で事細かにその作家の表現に対して批判していた。書けば書くほど、その人のモノゴトの理解力の低さを露呈させているのに、本人は知識人気取りで、どこか陶酔している。アナロジーが出来てこそ創造力は発揮するというのは創造学会で学術的に定義されていて、新しい分野を切り開く人にこのアナロジーの力が高い人が多いのだそうです。もちろんその著名な作家は確実に新しい分野を切り拓いている方である。
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○アナロジー(類推) analogy
アナロジーは,未知の状況の問題解決において,既知の類似した状況を利用する認知活動である。アナロジーは,推論,説明,創造などさまざまな認知活動を支えている。(世界大百科事典(第2版)平凡社 1998)
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今日は朔旦冬至(さくたんとうじ)という冬至と新月が重なる珍しい日。太陽も月も今日から新たな始まり。
来年は想像もしない世界史的な出来事が起きそうな気配がある。新しいはじまりは、素晴らしい時代のはじまりとなるよう、今日から新たな気持で一日一日をはじめていこう。さあ今日は柚子湯ですぞ。
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歌と政治(マツリゴト)

2014-12-16 11:01:07 | Weblog



辻邦生さんの『西行花伝』をずっと読んでいます。

『背教者ユリアヌス』の時もそうだけど、まるで本人が目の前に現れて、直に語ってくれているかのような感覚になる程、存在そのものが現れていると感じます。何よりも言葉が美しく秀逸です。執筆時には何かが降りてきているように、勝手に筆が進むとどこかで聞いた事があります。

西行は出家はしたけれども、都の情勢に詳しく、時に政治的にも関わり、それでも目指していたのは歌を中心にした人の在り方、政治(マツリゴト)だったと『西行花伝』では描かれています。出家したのも浮き世にとらわれる自我という家を出る事で、本来美しいままにある世界を感じるためと言います。その美しい世界を現すために歌を詠み、言葉によって世界を創っていく事を目指したようです。

「世の不安のほうが大きくなり、それがすっぽり人々を包み込んでいる。歌が生まれないのはそのためだ。この世の勝敗だけがすべてだと誰もが考えるようになっているからだろう。だから人々は敗けてはならぬと必死なのだ。歌も遊びも、実は、勝敗など、この世のことなどどうでもいいと思い定めたところから始まるのだが。私にはそれは変わらぬ真理だと見える。この世のことを越え出ない以上、歌は生まれることはない。別の言葉で言えば、敗けた者が敗けたことを大らかに受け入れ、敗け惜しみなどではなく、朗らかにそれを宿命(サダメ)に遊べば、そのとき歌が生まれるのだ。」

「浮き世の宿命(サダメ)は窮め難く、誰にも変えることはできない。だからこそ、歌によって、その宿命の意味を明らかにし、宿命から解き放たれ、宿命の上を鷲のように自在に舞うのだ。歌は宿命によって雁字搦めに縛られた浮き世の上を飛ぶ自在な翼だ。」

「歌は実在(マコト)なのだ。」
「歌による政治(マツリゴト)ーそれは歌の実在(マコト)を証しする場を人々の心に与えることなのだ。」
「歌の実在が支えられていれば、浮き世の宿命を人々は息するのと同じ気持でさりげなく越えてくゆくことができる。」

歌によりこの世を越えること。心に浮き世とは違う世界を創造できるのは歌以外にないという。歌を大事にしない世の中は荒廃し、目先の利益だけに翻弄されてしまう。世の不安を乗り越えるには、あえて歌を大事にする心を養い、歌に生きることが大事だという。この歌は詩と表現を変えても良いかもしれない。言葉を大事にする心、そのカタチとしての歌、詩。歌や詩を大事にする文化はそう簡単には滅びない。それは詩を最も崇高なこととし、詩人が最も尊敬される中東のある国々がある勢力にやられず、いまだ健在なことからもわかる。今の日本において、歌はどうだろうか。詩はどうだろうか。この『西行花伝』において、歌による政治(マツリゴト)を目指せる可能性のあった帝(ミカド)が自分の子の帝位への執着や自身に対する扱いから、世を恨み、歌の心を失ってしまったことの悲劇が描かれています。それが歴代天皇史上、はじめてその存在が鬼とされた崇徳院のことです。

歌と政治(マツリゴト)。
詩と政治(マツリゴト)。
西行にとっては政治(マツリゴト)とは歌によって浮き世で縛られた宿命の開放を成すこと。
それは政治(マツリゴト)による人間性の開放を意味するといえる。
今の日本において政治(マツリゴト)を全く違う角度で考える事は、実はとても大事な事かもしれません。
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ガザと福島

2014-12-13 17:06:49 | Weblog
(真ん中:ラジ・スラーニ氏 Asahi中東マガジンより)


今日、NHKのEテレで”こころの時代~宗教・人生~「ガザに“根”を張る」”という番組を観ました。

~番組の説明~
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ガザの弁護士ラジ・スラーニさんは、今夏の51日間に及ぶ戦火の渦中でも「人間としての尊厳」を保ち人権侵害と闘い続けた。その生きる力と彼を支える「根」について聞く。

ラジ・スラーニさんは弁護士の傍ら、戦争や暴力の絶えないガザで人権保護団体を創設。ガザの現状を世界に向け告発し続けた。その闘いはイスラエルのみならずパレスチナ自治政府にも向けられ、両者から逮捕拘禁されるなどの弾圧を受けた。悲惨な状況の中でも心の支えとなったのは「人間としての尊厳」。来日したスラーニさんは原発事故で汚染された飯舘村を訪ね、ガザと共通する問題を見つめた。苦難から見いだした思想と人生を聞く

【出演】弁護士・NGOパレスチナ人権センター代表…ラジ・スラーニ,【きき手】徐京植
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Eテレではなくて”クローズアップ現代”や”NHK特集”で取り上げればいいのではないかと感じる程、大変内容が濃かったです。
印象に残っている事がたくさんあるけど、パレスチナの地というのは”寛容の地”であることと言っていたのが印象的でした。歴史的に様々な宗教・文化の人々を受け容れ続け、さらにはホロコーストの時に逃亡したユダヤ人をも受け容れ、共に交流し、あの地を耕してきたのだといいます。ガザはその中でも象徴的な地といいます。元々はイスラエル建国後でも、民間レベルでは共に交流し合っていたといいます。

今はパレスチナとの境に高い壁が出来て、交流が遮断されてしまい、現実に見かける事ができるイスラエル人は兵士だけといいます。さらに今年の夏のイスラエルからの攻撃は今までにない状況を生んでおり、そして何よりも本来友人であったパレスチナ人、イスラエル人同士に心理的分断が出来てしまっていること、共に築き上げてきた信頼は一夜にして崩壊する事をスラーニ氏自身の家族の反応の変化から語られていました。

どのような状況であっても、”人間としての尊厳”を最も大事にしなくてはならず、そのための”法の支配”を実現させることで人類に貢献したいとの想いから、パレスチナ紛争で起きている事を記録として残すために国際司法裁判所に訴えたり、世界中のメディアに今起きている事を訴え続けているというスラーニ氏。すでに世界はガザ地区で何が起きているか知っているはずだ、少なくともアメリカ、ヨーロッパ、日本にはと強い調子で語られる言葉が胸を打ちます。

このスラーニ氏は福島県の置かれている状況、特に全村強制避難措置をとられている飯館村の状況はパレスチナのガザととても似ていると同情を示されています。飯館村の方に原発事故で誰か責任とりましたか?と率直に尋ねておられたのが大変印象的です。ガザも福島も”責任追及”が欠けているとハッキリと指摘されています。

この番組を見ていて、ガザと福島の問題がよく似ている事、それは世界の問題と日本の問題には共通点があるということ、さらにいえばそれは権力側と市民の関係、いわゆる社会の在り方、それは体制と統治の問題であるといえ、これらは世界中の問題の要にあることを強く感じました。奇しくも明日は衆議院総選挙。日本の国の今後の在り方が問われているといいたいけど、一強多弱と言われる状況の中、本当に大事な声が反映されにくい体制で、何が問えるのでしょうか。

それでも大事な事を訴え続ける事の重要さ、ひとつの地域の問題も世界中の問題と繋がっていることを理解し、表現し続けることの重要さはいくら語っても語り過ぎる事は無いということをこの番組からも学びました。
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西行法師

2014-12-04 17:05:23 | Weblog


信じられないようなオドロオドロしい世界がある。
現実とは思いたくない世界がある。
しかしあるのはあるのである。
そういう世界を作り出しているのは何の因縁からか。
どういう運命がそうさせているのだろうか。
はたまた霊界の様な世界からの働きかけなのだろうか。
ある意味、因縁も運命も反応のパターンである。
霊界からの働きかけに動かされるというのも反応のパターンともいえる。

そういう世界を無くす、浄化することは可能なのだろうか。
直接的に働きかける事はできるわけがない。
まして近づきたくもない世界なのである。

西行法師という人が出家することで、かえって世俗の事が良くわかるようになり、
世俗はどのように動いているのか悟ったといいます。
問題だらけの世俗はいかにして変える事ができるのか。
そういう問いに対してひとつの答えを見出しました。
それは歌によって世界は変わりうるというものです。
あらゆる人の行いはその人の心がそう動いてることから始まる。
心の動きはひとつの反応のパターンである。
その心に働きかけれるのは言葉よりない。
その言葉が最も洗練されているのは歌である。
だから歌により人の心に働きかけ、心を動かし、反応のパターンを変え、
そして世界を変えるのである。

人の意識にはパターンがある。
反応のパターンがある。
世俗とはある意味、同じパターンの集団であるといえる。
あるパターンに反応しないことが起きるとき、
それが伝搬し、ある一定の量となったとき、
そのパターンは変わりうる。
すなわち世俗が変わりうるのである。

西行はある状態に達したとき、
世界そのものが美しい花の様であることがわかったといいます。
世俗ですら花そのものに見えたといいます。
だからどんなに汚れていようとも、それは心がその様に反応しないだけであるのだから、
自分は美しい本来の世界、花の世界を知らしめ、現すために、
歌を詠み続けようと決心したといいます。

この西行の在り方。
今、この世界において、最も必要なことを伝えてくれていると感じます。

オドロオドロしい世界はこれらの事から変えられる事ができるだろうか。
いや、変えなくてはいけない。
変えるためにも西行のような表現がなされ続けなくてはいけないと、強く感じるのです。




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