今起きてる世界情勢の肝についてどう考えたらいいのか。ふと思い出し、取り出したある本の言葉にハッとする。
「人はみずからの特殊な愛着の対象に、いかに公平に厳格でありうるか」(『イスラエルとは何か』平凡社新書 ヤコブ・M.ラブキン著 菅野賢治訳 訳者あとがきより)
これができないことにより、あらゆる諍い、争いが起きている。
さらに続けて、
「…人間は、何かの対象について「大切だ、価値がある、私の心にかなう」と思った瞬間、それに対する道義的批判の視点を秘めやかに欠落させるものである。
…人間は、薄々ながら予想される道義的批判のわずらわしさをあらかじめ回避するために、ことさら「あれ」ではない「これ」を「大切だ、価値がある、私の心にかなう」と決め込んでしまう存在なのではないか、ということです。
事態は、事実性、客観性、公平性を何よりも重んじるとされる学術研究の場…でも変わらないようです。」(同上)
このことは、この数年前から今に至る、ロシア・ウクライナ情勢、新型コロナやそのワクチンのこと、イスラエルとパレスチナの中東情勢全てに言えることではないか。
人間としての道義が求められている。正義とは何か、公平性とは何か。今本当に考えないと、考えないことから起きる混沌の方が強くなると本当に世界は終わってしまいかねない。
世界を真っ当にしなくてはいけない。何ができるのかわからないこそ、肝心要は考えること、わかることに努めるよりない。わかるためには背景をまず知ることよりない。
混迷を極める中東情勢や今の日本の状況についての報道やドキュメンタリー番組を一気に見てるうちに、問題の根っこは同じに感じ、上に引用した言葉が響いてきました。
さらには悩むな、考えろ!と、ある哲学者の言葉がしっくりくる今である。