玄語

玄音の弟玄です。日々感じている事、考えている事を語っていきます。そんな弟玄が語る”玄語”です。よろしく。

異常事態

2022-05-16 19:45:42 | Weblog


いろんなことがおかしくなっている。
そのおかしいこと、この異常事態に慣れ始めてしまっていないか。
今年に入って、亡くなる人の異常な多さ。特に著名人の逝去の報道が連日続いている。
本当の死因が何なのかはわかりません。最近の報道の中から見受けられるのは、自殺をほのめかすものと脳内出血やくも膜下出血などの脳に起因するもの。それらは結果であって、何かかが作用して、影響してそういう症状が出たと考えるのが普通ではないか。

この国は専門家と称する人たちが、あるひとつの方向に意図的に持って行ったことによって、その方向と違う意見については完全に無視するか、フェイクの烙印を押して、抑え込むことをしているのが見受けられる。議論など全くなく、国の方向に対して、異論を言うものを異常者のように扱っているのも見受けられる。しかし、今年に入ってのこの異常な死亡者の多さ。身近でもまさかという方が突然病状悪化で亡くなられていることもあり、本当に何が起因して起こっているのかの検証が絶対に必要である。

本来なら、一昨年から流行っていたコロナがどう影響したかの検証、そのコロナ対策としてワクチン接種推奨をしたことによる影響の検証がなされてしかるべきなはず。特に国の感染症の専門機関がそれをやるべきなはず。ワクチンについてはその副作用については製造元も認めざるを得ない症状が多く出始めている。はっきり言って因果関係不明で終わらせていい状況ではない。

これからさらに信じられないような状況が待っているかもしれない。もう勘弁してくれといいたい悲しい知らせが多く届くかもしれない。今、本当に異常事態である。世界情勢も異常だが、国内のこの状況ははっきり言って異常である。

本当に人が健康であるとは何なのか。未知のウイルスが蔓延した際に身を守る最大の防壁は自身の免疫力である。薬で免疫が上がるのではない。ワクチンで免疫が上がるのかどうかは、インフルエンザワクチン等、以前からその効果に対しての疑問の声はずっとある。どちらにしても、自己の免疫力を上げること。特に大事なのはビタミンなどを普段から多く摂取すること。その前提としてタンパク質を多く取っていることが大事である。結局体の組織、細胞を作るのはタンバク質。栄養素の運搬や免疫細胞をつくるのもタンパク質。現代人は炭水化物過多、すなわち糖質過多で、タンパク質が足らなすぎて、免疫力が下がり、それで様々な病気にかかっているともいわれています。

ここ数年、この高タンパク質と多量のビタミン摂取を推奨している分子栄養学という分野の臨床研究がどんどん進んで、薬ではなく栄養の摂取の仕方で様々な病状の改善の事例が多く出てきています。また老化についての研究も進み、世界では老化は病気であると言われているほど、その細胞のメカニズムがどんどん解明されていっています。

こういったことは少し調べてみればわかることです。国が推奨するから、専門家が推奨するから、ましてテレビなどのメディアが推奨するからという事で、自分自身で調べることなく、言うがままで対処してしまうと、後々後悔しても仕切れないことが起きる可能性が高い状況になっています。

このコロナ禍によって、専門家と言われる人たちの実態、医者と言われる人たちの実態、それぞれ千差万別ではありますが、かなりいろんなことが見えてきました。また新しい取り組みがあることもわかり、そちらの方は新しい医療が作られていくのではないかと期待しています。人間の体の働きの理解がここ数年飛躍的に上がっていることへの期待。かといってDNAレベルでの操作的なものに対して自分はまだ懐疑的です。

いつの時代も多くの人がなびいている方向が正しいとは限りません。少数の正しき意見は抹殺されてきた歴史でもあります。しかしそれでも正しきことを言い続けた人がおり、科学や学問がその後その意見の正しさを立証し、多くの人がそちらの方向に動いていくということが繰り返されてきました。今、まさにどうなのか、問われる事態にあると言えます。

とにかく今、異常事態です。
何が本当に起因して、起きていることなのか。やれる立場の人たちは、きちんと検証し、さらにはひつこく継続して、本当のことを明かしてほしいと願うばかりです。この何十年もごまかしがまかり通った社会でした。今はそれは絶対に許してはいけません。そのごまかしがこの国をおかしな状況に追い込んでしまっているのです。よくよくこのことをわかり、糾すものは糺す時です。
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キリスト教〜正統と異端

2022-05-09 20:24:21 | Weblog
(”ギリシア語版トマス福音書と考えられるものの一部”wikipediaより)

今世界で起きていることを考えるにあたって、キリスト教のことをずっと調べています。
キリスト教。
キリスト教神学。
調べれば調べるほど、様々な議論がされており、同じキリスト教徒であっても、考え方が真逆であったりと、その歴史はその解釈にあたっての正統と異端の歴史でもあります。特にキリスト教成立のはじめの頃、原始キリスト教においては。

要はイエス・キリストの存在。
そのイエスについてどう考えるかが、正統と異端を大きく分けたようです。

大雑把にいって正統派の考えはイエスはあくまでも父なる神が人間に受肉した唯一の存在であり、神でもあり、人でもあり、イエス以外にはそのような存在は歴史上現れたことがなく、ただイエスを通じてのみ、我々人間は神の存在にふれることができるというもの。

その逆に異端派は、誰でもがイエスのような存在になれる可能性があるというもの。そのために道徳的に正しく生きたり、修行したりして、自己の内面性を深く探求することで、自己の内面にイエスが語る父なる神をみることできる、一体であることをわかることできるとするもの。

イエスという神と一体となった存在をただイエスだけでしか起きない特殊な出来事として捉えるか、いやそうではなく、イエスを模範として、実は誰でもがイエスのようになれるのだと捉える、この違いは大きい。

原始キリスト教時代には、これらの考えで大きく二分するような動きがあり、異端派とされるものの中ではトマスによる福音書というのが代表的な福音書として伝えられるそうです。結局歴史は正統派の考えが主流となり、ローマ皇帝のコンスタンティヌスのキリスト教改宗がその後の歴史を決定づけたとも言われています。

イエスという存在を唯一の存在とし、信仰する。その信仰を持った人たちでコミュニティをつくり、社会ができ、世界が出来ていったこと。その信仰を持つという特別性により、世界は一部の特別な人たちで動くようになったとみることもできます。というよりもその影響力の凄まじさを感じます。仮に異端派とされた人たちが正統となり、世界を作っていったならどうなっていたのでしょうか。誰でもがイエスのような人間になれるという考えはどこか東洋的な発想に似ているとも感じます。

とにかくキリスト教の歴史は深い。あまりにも種々様々なことが議論されており、これほどまでに世界に影響を与えた、もしくは世界を作っていったその背景をもっと考えていきたい。今は異端とされてしまった福音書に興味が湧いています。
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高句麗伝説コンサート〜実存〜

2022-05-08 13:21:40 | コンサート


いよいよ来たる5月13日に三鷹市公会堂にて高句麗伝説コンサートが開催されます。
未だに先が見通せない世界情勢の中での開催です。とにかく今必要なのは現実を超えた知見、認識、経験である。管理社会、同調社会、体制の強化、そして戦争。もうどうにもならない所まで世界はきてしまっている。何か奇跡のような事が起きない限り、この世界情勢は変わらないかもしれません。

だからこそ、の、この度の高句麗伝説コンサートです。演奏者、詩人のお二人は私自身が想像もつかない感性をお持ちで、その認識されている感覚を演奏者は音で、詩人は言葉にして表現されます。その表現は客観的なこととかを超えたある意味、自分がわかっていることの表現。言い換えればそれは実存の表現でもあります。

実存といえば、あくまでも自己の主体性が大事と、それまでの客観性を重視され始めた哲学の方向をまるっきりかえてしまったのはキルケゴール。このキルケゴールからの影響によりハイデガーもヤスパースもその存在の哲学を展開されています。自己を超えたある何かという存在。その存在を現実的に存在させる、現象させる実存としての自己。その自己の主体性。どこまでも自己の主体を現せる人によってしかできない表現がある。その表現はある意味奇跡。ある準備はしてもなされる表現は今、ここでのこと。だから即興演奏。

今回の高句麗伝説コンサートにあたって、今世界で起きていることを、自分のこととして理解するために、様々な出会いや経験を必然のごとくに経験されている演奏者と詩人のお二人。演奏者はいだきしん氏。詩人は高麗恵子氏。三鷹は高麗氏由来の歴史的な地でもあります。この度の高句麗伝説コンサートでどのような表現がなされるのか。エレキ・アナログ、様々な楽器を駆使され、どの音が誰にどのように響くのか、その音の中で詠まれる詩は誰の魂に響き、そして音も言葉も空間を通してどのように世界に響いていくのか。その先にあるのは奇跡なのか、もしくは一人ひとりの実存の目覚めか。

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"高句麗伝説"
2022年5月13日(金)
三鷹市公会堂 光のホール
東京都三鷹市野崎1-1-1
PM5:50開場 PM6:30開演
PM8:00終演予定
出演:高麗恵子(詩の朗読)・いだきしん(即興演奏・映像)
全席自由 10,000円
主催:特定非営利活動法人高麗
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大事な時、機会。心よりオススメします。
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抜け出し口〜理解〜

2022-05-01 10:41:20 | コンサート


「‥‥‥
 私は、日々、一瞬一瞬多くの生命と私の生命の内部で出会い、交流、開放を繰り返し生きています。
 即興演奏会では、私の生命の内部で出会うお一人お一人の生命は、傷つき悲しみに満ちていることもあり、息も途絶えそうな苦しみがあり、身体の不自由感、痛みをそのまま感じることもあり、希望や愛を懸命に探し、生み出そうとしていることもあります。
 やがて、即興演奏が進んでいく過程で、個々の生命が私の生命の内部でひとつに溶け合い、永遠の生命を得ようと再生を繰り返していることを感じます。そして更に、空間と出会い、溶け合い、宇宙空間に広がり、生命の光に包まれ、演奏は終わります。
 皆様に、大いなる幸福と気概、そして至福がもたらされることを祈ります。
ありがとうございます。」


未だに収束を見せない戦時下の状況の中、何が本当の抜け出し口になるのか、考えない人はいないとおもいます。当事国でなくても、どこかで戦時下にあるということが、人々の心身を蝕んでいく現実。さらには日本においては2年前から続くこの状況下をどう決着つけていくかの青写真すら示せず、そのこと自体が人々をすさまじいストレス下においている。

どれだけの人が苦しみ、亡くなられているのだろう。
とにかく大事なことは心身やられないことである。必要な栄養を取り、身体を動かし、しっかり眠り、時には現実を超えるような経験をすることである。

毎度、タイトルの通り、抜け出し口の一つの経験として”いだきしんコンサート”をオススメしています。上記のメッセージは1996年にスペインの聖地”サンティアゴ・デ・コンポステラ”大聖堂などで開催された”時空超越-未来創造-”と題されたコンサートCD内に記載されてるメッセージの一部抜粋です。コンサートで何が行なわれているのか、演奏者ご自身が表現されている言葉です。どのコンサートでも毎回、即興であり、メッセージの経験が起きているのです。この状況下において、演奏者に自分を受け容れてもらう経験、生命一つになる経験、そして宇宙に広がっていくような広い経験をすることは、今の状況を超える経験となっていくはずです。どのような経験もそうですが、まずは肯定的にとらえ、積極的に受け容れることなくして、その経験を正しく認識できることはありません。今のこの時、この状況下、何よりも一人一人が良い状態で生きていることが世界に波及していく。そのきっかけとして、このコンサートを是非経験してみてください。コンサートの経験の理解を深めていくこともこれから大事なことです。これは正に自分に問われていることです。心よりオススメします。

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いだきしんコンサート
ーDivine Agesー
2022年5月18日(水) 電力ホール(仙台)
2022年5月22日(日) 京都コンサートホール
2022年5月30日(月) 渋谷区文化総合センター大和田
2022年5月31日(火) 三鷹市芸術文化センター 風のホール
2022年6月7日(火) 盛岡市民文化ホール 小ホール
2022年6月15日(水) 三鷹市芸術文化センター 風のホール
2022年6月16日(木) 三鷹市芸術文化センター 風のホール
2022年6月23日(木) 電力ホール(仙台)
2022年6月29日(水) 渋谷区文化総合センター大和田
2022年6月30日(木) 府中の森芸術劇場 ウィーンホール
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今、このコンサートは”IDAKI SHIN Official Site”というサイトにて、ライブストリーミングでの参加、さらにはオンデマンドで後日、期間内なら何度でも視聴が可能(有料)です。私も全ての参加はかなわないので、ライブストリーミングやオンデマンドでの経験が貴重な時となっています。

常にコンサートで表現される新しい潮流。このコンサートで現わされている新しい潮流こそが希望です。その潮流をとにかくつかむこと。それはいつどこで何が催されているかをわかることから、できたら直接経験すること。さらにそこで発信された言葉、メッセージをつかむ事で、今起きている潮流が理解でき始めてきます。それによって何度状況が変わり、状態が変化したかしれません。今こそこの新しい潮流が必要と考えます。正に今の世界にこそ必要な新しい潮流。その新しい潮流が世界へと伝播していくことこそが、閉塞された状況を開くと信じています。

是非、心に留めておいて、出来たらこのコンサートに参加してみてください。
このサイトもどのような方がなされているのか、よくわかるサイトとなっているので、こちらもチェックしてみてください。
IDAKI SHIN Official Site

一辺倒な情報ばかりで、全体的に同調させる風潮の今。
何が本当で、誰が正しいことを伝えているのか。
今の時ほど、感性豊かに、本当のことを見極める正しい感覚を鍛えること程、重要なことはありません。
このコンサートは間違いなく、感性が鍛えられ、育まれる経験となるはずです。
是非、経験してみたください。心よりオススメします。
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イエス・キリスト

2022-04-03 10:39:14 | Weblog

イエス・キリスト(wikipediaより)

現代世界の動きを理解するにはキリスト教の理解なくして、理解することはできない。それが直接キリスト教を信仰していない国や人であっても、その影響は計り知れない。

キリスト教はキリスト・イエスを神の子、もしくは神が受肉した存在として、その人生でおきた出来事全てを受け入れることで成立すると考えられる。ではそのイエスとはどういう存在なのか。それを旧約聖書に出てくる預言者との比較で次のように語られている。

「預言者のなかには、神に文句を言って、「預言者になるのは嫌です」という者もいるけれど、神は許してくれなくて、「いや、お前が母の胎の中にいたときから預言者に定めていたんだ」とか言いますけれども、それは言葉のあやで、実際には、青年だったり中年だったり、とにかく人生の途中で預言者に選ばれる。あるとき、神の言葉が聞こえてくるという現象が起こる。それが預言者。

「イエス・キリストはそういうふうに理解されない。「あるとき、神の言葉が聞こえました」ではなく、初めから、神の計画によって生まれた特別な存在、と考えられることになる。預言者ではないんですね。
 
では、イエスの役目は何かというと、人びとに、神の言葉をじかにのべることである。預言者と似ているけれど、預言者は聞いたことを話すでしょう。イエスは聞くのでなしに、自分が話す。ここが違う。自分の頭にあることを、自然に話している。ふるまいは預言者なんだけれども、預言者ではない。そこが、神の子だと考えられる。

「で、神の「子」とはどういう意味かというと、親と分離している。イエスはイエスで完結した存在。独立の人格なわけですよ。けれど、この完結した人間存在が百パーセント、神の意思と合致している。つまりそれは、神の意思だとも見なければならない。こういう状態なんですね。
」(『ふしぎなキリスト教』橋爪大三郎×大澤真幸著 講談社現代新書より抜粋)

引用した文章は社会学者の橋爪さんと、同じく社会学者の大澤さんの対話によるキリスト教の講義で、大澤さんの問いに橋爪さんが答えるという形式で理解を深めていくスタイルで、この著書はキリスト教徒で神学部出身の作家の佐藤優さんもその内容を認めている好著です。

預言者とイエス・キリストの違いに対して、ものすごく腑に落ちる説明です。
神の声を聞いて話すのではなく、自分が話す。そのことが神の意思と合致している。でも神ではない。イエスはイエスとしての人格がはっきりとある。こういう現象が人間存在で起きたということ。

このことはこの出来事一回限りのことなのだろうか。哲学の存在論なんかで取り上げられる現存在という状態もこういうイエスのような状態を表現しているようにも捉えられる。そういう存在になる過程を探求しているともいえる。

神ではない。自分は自分。でもその意思は神と合致している。
ではそういう状態は何よって実証されるのであろうか。
おそらく、それはその後、歴史が動いたどうかであろうとおもう。

イエス・キリストが現れ、それから2000年にも及ぶ現代まで、その影響はずっとあり続けている。ではこれから2000年先はどうなっているのだろうか。この神の意思に合致する人間存在は現れることはないのだろうか。それはわからない。現れているのかもしれない。それは実は一人ではないのかもしれない。もし神の意思に合致する人間存在が多く存在しているとするならば、世界はある時、凄まじく早く、あるいは一挙に変化するのかもしれない。ないとはいえないことである。

世界は今、本当に過渡期にある。もちろん望むのは平和である。誰もが平和で落ち着いた人生を生きられることである。世界を変えるにはどうしたらいいのか。そういうことを考える元のこととして、この現代社会に影響し続けているキリスト教のこと、さらにはイエス・キリストの存在を考えてみることは大事なことと考えてます。さらに理解を深めていきます。
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抜け出し口 今のこの時

2022-03-05 18:22:35 | コンサート


「 愛と平和のいのり
THE PRAY FOR LOVE AND PEACE

生きとし いけるものの痛み かなしみ
 希望への祈りとして ここに捧ぐ」


2022年2月が過ぎ、世界がこんなに大変なことになるとは、誰が予想したでしょう。
何においても、どのような事情があろうとも、戦争はあってはならないことである。
しかし、今回のことで、世界が今だ戦争状態にあることが、日本人として目を覚まさせられました。

日本は島国ということもあり、第二次大戦以降、小さな紛争ですらほとんど経験したこともなく、どこか軍事行為に関しては誰もが他人事であったと言わざるをえません。「戦争とは相手にわが意志を強要するために行う力の行使である」と定義したクラウゼヴィッツの言葉が今ほど嫌という程わかることはありません。

力の行使は権力者、為政者によってなされる。しかし結局、被害を被り、犠牲を払うのは一般市民である。しかけた側も、しかけられた側も、一般市民においては両者とも犠牲者である。ましてグローバル経済、ネット社会が進んだ21世紀においては、戦争状態は分断、断絶を生み、時間が進むほど、その犠牲は大きくなる。とにかく一分一秒でも早くこの状況がおさまることを願ってなりません。

この状況下で何が抜け出し口になるかはわかりません。簡単にこれをすれば解決するという単純なものでもありません。でも何とか抜け出し口に繋がる動きを求めてやまないのは誰もが同じ気持ちでしょう。自分はやはり最近常に紹介しているいだきしんコンサートにその抜け出し口の糸口を見出したい。上のメッセージは1990年の湾岸戦争時に、愛と平和への祈りを願い、音源化されたCDのメッセージです。世界で戦争が起きる度に聞き直し、メッセージのように祈りを捧いできました。今もその気持ちは同じですが、この3月、4月にはコンサートの開催があります。どうにもならないことでも、必ず抜け出し口を見つけ、抜け出してこられたからこそ、コンサートを開催続けてこられたいだきしんコンサートです。今、最も必要なコンサートです。

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"いだきしんコンサート

2022年3月8日(火) 府中の森芸術劇場 ウィーンホール
2022年3月11日(金) 三鷹市公会堂 光のホール
2022年3月15日(火) 電力ホール(仙台)
2022年4月13日(水) 府中の森芸術劇場 どりーむホール
2022年4月19日(火) 電力ホール(仙台)
2022年4月23日(土) 京都コンサートホール
2022年4月26日(火) 三鷹市芸術文化センター 風のホール
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今、このコンサートは”IDAKI SHIN Official Site”というサイトにて、ライブストリーミングでの参加、さらにはオンデマンドで後日、期間内なら何度でも視聴が可能(有料)です。私も全ての参加はかなわないので、ライブストリーミングやオンデマンドでの経験が貴重な時となっています。

どのような状況においても希望を失ってはいけません。常にコンサートで表現される新しい潮流。このコンサートで現わされている新しい潮流こそが希望なのです。その潮流をとにかくつかむこと。それはいつどこで何が催されているかをわかることから、できたら直接経験すること。さらにそこで発信された言葉、メッセージをつかむ事で、今起きている潮流が理解でき始めてきます。それによって何度状況が変わり、状態が変化したかしれません。今こそこの新しい潮流が必要と考えます。正に今の世界にこそ必要な新しい潮流。その新しい潮流が世界へと伝播していくことこそが、閉塞された状況を開くと信じています。

是非、心に留めておいて、出来たらこのコンサートに参加してみてください。
このサイトもどのような方がなされているのか、よくわかるサイトとなっているので、こちらもチェックしてみてください。
IDAKI SHIN Official Site

まさかと思うような世界の状況。
これ以上の犠牲が払われないことを願います。
愛と平和の祈りが、今の当事国だけでなく、真に全世界の抜け出し口となることを祈って、ここに上記のコンサートを紹介いたします。
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”ヒポクラテスの言葉”

2022-01-22 14:44:27 | Weblog
(”ヒポクラテス”wikipediaより)
(野口晴哉氏 全生社HPより)

ふと気になって、紐解いた本。
野口晴哉氏の『碧眼ところどころ』。

荘子のことで何か書いておられたなと思って、紐解いたのだが、ページをめくるうちに”ヒポクラテスの言葉”という文章に出会い、読み解くうちに、これはとても大事な事が書かれているとピンときました。

今のご時世、”医者”という存在にどれだけ翻弄されているかは、誰もが感じていることでしょう。
人の身体を診ることにかけては随一の存在といわれた野口晴哉氏。その晴哉氏が基本に返るようにして、医聖と言われたヒポクラテスについて書かれた文章(昭和18年に書かれた)は、医者とはどういう存在なのか、改めて考えさせられます。曰く

「ヒポクラテスは近代医術の宗祖である。彼の説いた原則の要約は次の如くだ。

一、事実以外に権威はない
二、事実は正確な観察によって得らる
三、推論は事実からのみ為し得る

人世は短く、技術は長い。機会は急に移り易く、経験は誤り多く、判断は下し難い。だから彼は、医学的思索を推測から引きはなして、正確な観察と常識の方向に向けかえさせる為に努め、そしてこう言った。

「知ることと、他人が知っていることを信ずる事とは別な事である。知ることは学問だが、他人の知っていることを単に信ずるのは無学と同じだ」と。

 昭和の今日に於ても、治療行為にたづさはる者にとって必要なのは、矢張りこのことである。我々の為しつつあるところの治療行為というものを、知的に開拓するには、どうしても重んぜねばならぬ至言である。〜(中略)

凡そ医術の知識を確実に習得して、医家たらんには須らく次のことが必要である。

一、天性
二、訓練
三、習学
四、幼少よりの教育
五、医術に対する研究欲
六、時日

 天性にして之に適合せずば、一切の議論は要なきことである。もし天性さえ之に適すれば、術は自ら容易に習得され得ると、ヒポクラテスは言う。

 勘に基づかぬ医学教育は、天性を無視して八百屋や官吏に適する人々を、記憶試験さえ通れば、医者にしてしまう。一旦医者の資格を得たものは、成功すれば政治家や何かに化けるが、失敗している間は、いつまでも医者になっている。天性を欠いた医者にかかって迷惑なのは、患者のみではない筈だ。

 ヒポクラテスは医術を芸術として扱い、しかも自然順応をもって、その為すところとしている。類似は類似を癒すという簡単な彼の言葉のうちに、血と汗のにじむものを見るものは、懐ろ手をして学問を習った人々ではなく、知ることと、他人の知ることを信ずることとは違うことを知る人々のみである。

 今頃ヒポクラテスを持ち出すのは古いという人もあるが、そういう人々にこそヒポクラテスは説きたがっている。

「俺はいつだって生きている。そして言う、治療は芸術だ」と。」(『碧眼ところどころ』野口晴哉著 全生社刊)


全てが腑に落ちる見事な表現です。特に腑に落ちたのは、天性に基づかなくても、試験を通れば”医者”にはなれるということの指摘。今、世に君臨している”医者”という資格をもっている方々が、本当に天性があるのかどうか、あまりに疑わしい。

さらに、自分で習得するいう意味での”知る”ということと、他人の知ることを”信ずる”ことは違うという指摘。ネット社会の今、この他人の知ることを”信ずる”表現がいかに多いことか。それがさらにどんどん出回り、いつしか、実態とかけ離れた状況がどんどん出来上がっていっている。

どうにもならない混乱した状況において、最も大事なこと。

それは、今一度、全ての基本に返ること、である。

このことを、野口晴哉氏のヒポクラテスに寄せる言葉から、改めて気づくことができました。そして、これからの時代を担う若い世代に対して、この天性を見抜き、育んでいくことが、どれだけ大事なことであるかも、先に生きる我々にとって肝に銘じることであると強く認識しました。

人間としての真っ当なこと。
それは時代を超えている。
そして、いつでも気づいたときがはじまりなのである。

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コンサートの経験

2022-01-15 11:08:50 | コンサート


今の社会。
人の目、監視の目、目、目、目。
そこら中に目があり、見張られてる。
それは生きた人の目だけでなく、それ以上にセンサーという目が、ありとあらゆるところにあり、いつでもどこでも誰かに、何かに見られている。
目、目、目。

何という社会でしょう。
見られている自分。見られている自分を見ている自分自身の目。
常に目を気にさせる異常な社会。

目から逃れること。

コンサートの経験。
だから必要なのです。
コンサートの場は、その時、その場の今、今、今の表現。瞬間瞬間の連続。
音の空間に身をよせ、心をよせ、ひたりきる時、そこには空間も時間も何もない。
そして自分がどこにいるのか、自分は誰なのか、何もかもなくなる。
でもそこには確かに自分はいる。

この瞬間。目はなくなっている。人の目、センサーの目はなくなっている。
心の、内面の奥深く感じている自分は何によっても見られることはない。
この経験がどれだけ、今を生きるひとりひとりには必要なことか。

外からの目はより強化されている。
だからこそ、外から見ることのできない、心こそ、内面こそ、強化する意味でも豊かに豊かにしていくこと。その経験こそが現代を生きる上で、何にもやられない強さを得ることができるのかもしれません。何にもやられない自分になること。

コンサートの経験。コンサートの場。
目を超えた空間。目を超えた場。
生きる力を取り戻す場。
その経験。
いざ。

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魂の糧〜高句麗伝説コンサート〜

2022-01-08 15:37:39 | コンサート


「”ー髙句麗ー埋もれた魂の復活 新しい時代の胎動”

 高句麗は、西暦668年に亡ぶまでの約800年間繁栄した国です。私は、この高句麗の歴史を「生体感応」によって、ピアノで即興演奏しました。
 初代の王、朱蒙(のちに東明王と云われました)の生まれた、光に満ちた背景、戦い、一貫してアジアの強国として栄光を放ち、いまだに語りつくせぬ文化、すぐれた高句麗人の気質等が私の身体を通り、指の先から鍵盤に伝わり、音になって表現されてゆきました。
 現代人である我々が、今、どうしても取り戻さなければならない、人間としての魂を伝えていると思います。そういう意味では高句麗という国は滅ぼされてはいけなかったのですが…。
 この激動の時代、たった一度きりの我々一人一人の人生の大切な「糧」を高句麗の歴史は伝えていると思います。」(CD”高句麗”メッセージ)



2022年初めの高句麗伝説コンサートがいよいよ1月13日に新宿文化センターで開催されます。毎年1月のこの時期に開催されるこのコンサートは音楽、詩、映像の即興演奏による圧巻のパフォーマンスです。音楽はいだきしん氏によるアナログ・デジタルシンセサイザーから笛、サックス、太鼓、古代高句麗琴など様々な楽器を駆使しての即興演奏。詩は高麗恵子氏によりその時その場で表現される音やエネルギーを即興で詩として言葉で表現されます。映像はその音と詩の表現に見事にマッチした映像やグラフィックを駆使した即興のパフォーマンスで、時に壮大なSF映画を観ているような凄みがあります。

今回、この高句麗伝説コンサートにあたり、ふと思い出したのが、上記のCD”高句麗”のコンサートメッセージです。このCDはいだきしん氏による1988年7月に音楽の友ホールでのコンサートライブ録音で、今だにその音の激しさは語りぐさになっているほどです。CD発売当初からしばらくはその音の激しさゆえ、聞けない人が多かったといいます。が、今はその激しさもどこか心地よく、そして余計なモノを払うかのような激しさが今の時代に合ってきていると感じます。時代が追いついたというのでしょうか。上のメッセージも、正に今の時代を見据えてのことのような表現に驚きを覚えます。

それから34年たった今、その高句麗の表現は様々な展開を見せ、”世界伝説”という次元での表現となっています。今、混迷する世界、日本において最も必要なのは真っ当な人間としての”魂”。”魂”と表現されることで実現するのは正義であり、真理であり、愛です。世界の歴史はこの”魂”の現れと亡びの攻防ともいえます。世界の歴史の中で”魂”が実現した国があったとしたのなら、この高句麗こそが正にその存在だったといえるのではないでしょうか。コロナ禍中にある今、何がこの世界を真っ当にし、拓いていけるのか。”魂”の復活以外ないといえるでしょう。そしてその”魂”は世界に伝播します。しなくては世界は真っ当にならないかもしれません。そして何より一人の”魂”の輝きから全ては始まるのです。

いよいよ始まる、世界伝説、高句麗伝説コンサート。
心よりおすすめいたします。

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高句麗伝説

2022年1月13日(木)
新宿文化センター 大ホール
東京都新宿区新宿6-14-1
PM5:50開場 PM6:30開演
PM8:00終演予定
出演:高麗恵子(詩の朗読)・いだきしん(即興演奏・映像)
全席自由 10,000円
主催:特定非営利活動法人高麗
チケット予約
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抜け出し口 新春

2022-01-02 10:04:05 | コンサート


”生命讃”

生命の悲鳴と光に包まれて生まれた

音達です。

つい不可能に思ってしまう

絶望的事柄にも

希望の光はある、と

やさしく語りかけてくれる一時に……

世界の創造的出会いに、

心からありがとうと言える

一日のはじまりに……



新しい年が始まりました。
今年はどのような一年になるでしょうか。

希望に満ちた年始め、と気持ちは新しくあります。が、現実は大変厳しい状況が続いています。
マスクをするのが当たり前の社会になっていますが、これは感染症対策というよりも、どこか、自由に言葉を発せない息苦しい社会であることの象徴に感じているのは自分だけでしょうか。
さらに、小さな小さな子供達も小さなマスクをする姿が目につきます。自分には何か言いたい事をぐっとこらえて、我慢しているように見えてしまいます。

このような閉塞された状況が当たり前になっている今、本当の抜け出し口はどこにあるのでしょうか。当たり前を疑うこと。そのためにはどこか抜け出た経験が必要です。全体的にすっぽりと受容される経験が必要です。

自分はその抜け出し口として、受容される経験の場としていだきしんコンサートをお伝えしています。上に掲げた文章は氏による1992年に発売された『生命讃』という、とても優しい音に包まれたCDに掲載されたものです。もう30年近く前の表現ですが、まさに今、最も必要な経験が表現されているとおもいます。人間の事を考え、探求された先に見出されたピアノの表現です。氏はあまり知られてないかもしれないけれど、社会福祉で今は当たり前になっている数々の制度を作り上げた方でもあり、社会福祉においてカウンセリングなどの専門家でもあります。人間性を取り戻すとはどういう事なのか。コンサートの場においてその答えが表現されている。是非、一度経験されてみて下さい。

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"いだきしんコンサート

2022年1月2日(日) ロームシアター京都 サウスホール
2022年1月6日(木) 府中の森芸術劇場 どりーむホール
2022年1月19日(水) 府中の森芸術劇場 ウィーンホール
2022年1月20日(木) 府中の森芸術劇場 ウィーンホール
2022年1月21日(金) 府中の森芸術劇場 ウィーンホール
2022年1月30日(日) 電力ホール(仙台)
2022年2月2日(水) 府中の森芸術劇場 ウィーンホール
2022年2月3日(木) 府中の森芸術劇場 ウィーンホール
2022年2月8日(火) 府中の森芸術劇場 ウィーンホール
2022年2月9日(水) 府中の森芸術劇場 ウィーンホール
2022年2月12日(土) 京都コンサートホール
2022年2月20日(日) 電力ホール(仙台)
2022年2月24日(木) 府中の森芸術劇場 ウィーンホール
2022年3月3日(木)京都コンサートホール 
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生命が活きるために、今、この瞬間瞬間、心身共々癒されること。受容されること。その経験を共にすることで、今を癒し、今から未来へと共に歩み、時には引っ張り、状態を変化させるべくなされるピアノのコンサートです。

新しい年もたくさんのコンサートが開催されています。今が苦しい方はどれか一回でもいい、参加されてはいかがでしょうか。もちろん直接会場に行けないような状態の方もいらっしゃるでしょう。今、このコンサートは”IDAKI SHIN Official Site”というサイトにて、ライブストリーミングでの参加、さらにはオンデマンドで後日、期間内なら何度でも視聴が可能(有料)です。私も全ての参加はかなわないので、ライブストリーミングやオンデマンドでの経験が貴重な時となっています。

本当に大事な事は希望あることです。
このコンサートで現わされている新しい潮流が希望なのです。その潮流をとにかくつかむこと。それはいつどこで何が催されているかをわかることから、できたら直接経験すること。さらにそこで発信された言葉、メッセージをつかむ事で、今起きている潮流が理解でき始めてきます。それによって何度状況が変わり、状態が変化したかしれません。今、大きな変化の渦中でもありますが、この潮流をモノにし、何とか今の逼迫した、苦しい状態を抜け出していきたい。それは私自身、個人においても、また社会においても、そして全世界においても同じであると言えます。新しい潮流をつかむ以外にこの閉塞された状況を超える事はまずできないでしょう。

是非、心に留めておいて、出来たらこのコンサートに参加してみてください。
新しいウェブサイトもどのような方がなされているのか、よくわかるサイトとなっているので、こちらもチェックしてみてください。
IDAKI SHIN Official Site

新しい年も大変な状況は変わりません。
本当に大変な今の”世界”をより良くするために。
困難な状況から抜け出していくために。
そして世界を変えるのは、たった一人の気づきと変化からです。
全て、心よりオススメ致します。
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