玄語

玄音の弟玄です。日々感じている事、考えている事を語っていきます。そんな弟玄が語る”玄語”です。よろしく。

ムハンマド〜コーランにみる言葉の威力

2018-11-04 16:24:34 | Weblog
(「天使ジブリールから啓示を受けるムハンマド」wikipediaより)

ムハンマド。日本ではマホメットと言われるイスラム教の開祖。

彼が現れる以前のアラビア人は懐疑的な物質主義者であり、非物質的な超感覚的事象には関心すら示さず、何でも眼で見た上でなければ承知しない民族であったという。そんなアラビア人の中から誕生したムハンマド。その彼にある啓示がおり、唯一神であるアッラーの言葉をコーランとして現し、世界宗教となっていく道のりは決して平坦ではなかったようです。

何よりも眼で見たものしか信用しない当時のアラビア人です。自身そのアラビア人だからこそ、その気質を自己の事としてわかっていたからこそ、ムハンマドの天才性は逆説的に発揮していく事になる。そのコーランを論理的に捉えようとすると、あまりに退屈でほとんどの人は読み続ける事はできないでしょう。しかし別の側面から捉えると様相が変わってきます。その事を以下の様に端的にまとめられています。以下、『イスラーム思想史』(井筒俊彦著 中公文庫)より抜粋。

「コーランはどんな経典にもまして、著しく視覚的であり、聴覚的経典である。 コーランは隅から隅まで視覚的なイマージュに満ちている。そして同時にコーランは、誦すればたちまち高らかに錚々と鳴渡る不思議な響きを蔵している。かくも玄妙な響きは何処から発して来るのであろうか。回教徒にとっては、コーランそのものが最大な奇蹟であった。」

「人はよく、それまで多神教と偶像崇拝の巣窟であったあのアラビアに、厳格な一神教を唱えるムハンマドの教えが、なぜあれ程迅速に拡がって行ったのかと驚くが、これはコーランが著しい聴覚的魅力をもっていたと同時に、またその描写的側面において直接視覚に訴えて来る生々しいイマージュに満ちた経典であることによって、少なくとも一部は説明がつく。」

「当時のアラビア人は何でも自分の眼で視てからでなくては信用しなかった。彼らに向かって抽象的に神の存在や、神の偉大さを説いて見たところで、一向利き目はなかったのである。だから、コーランにおいてはアッラーはまず何にもまして「生ける」神であることが強調され、アッラーはあたかも人々の目前にありありと見えるかの如く描かれている。そこでは神は人間と同じように手もあり足もあり、顔もあり、顔には勿論目も耳も口も、更には口には舌もあって人々に話しかける。彼は人間が善い事をすれば喜んでこれを愛し、悪い事をすれば烈火の如く怒る。一口にいえば極めて人間的な神である。そして、この人間的な神は空一杯にひろがる大きな玉座にどっかりと腰を下ろしているのである。」

「このようにして、本来ならば眼に見えぬはずの神の威力まで、眼に見える現れた形において捉えられ、説明されている。「アッラーはあらゆる事に対して能力をもち給う」とだけ言っても、アラビア人は少しもアッラーの偉大な力を感じはしなかった。故にコーランでは、この言葉には必ず具体的な説明がついている。それは時には空を流れる雲であり、乾き死んだ地を蘇生させる雨であり、また時には地を走る動物、空行く鳥、満天の星、月の運行、太陽の出没であった。即ち、何でも眼に見える物が神の力の具体的な現れとして説かれた。」

ここで起きている事はムハンマドにより直接経験された事、もしくは啓示によるイメージが言葉にされていくプロセスであり、その直接経験により現された言葉の説得力であり、さらにその言葉が人に伝わるように様々に工夫されているという事実である。

自分の経験していることを如何に言葉にして現していくか。それが人にわかりにくい事であればあるほど、様々な側面からの工夫が必要である。啓示の宗教とも言われるイスラム教は実に言葉の宗教でもあり、その言葉がどのようにして世界を巡って行ったかの歴史的出来事でもあり、その中心軸にあるのは、マホメットの啓示と経験であり、その経験が言葉にされていくプロセスでもある。今、この歴史的な現象について正しく学ぶ事は、新しい経験をしている人間にとっては本当に重要になってると感じ、自分も改めて学び直しています。
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本居宣長〜その表現について

2018-11-03 16:26:28 | Weblog


本居宣長。

宣長が成されてきた仕事について、いくらか思いつくままに。

まず宣長が伝えてくれる仕事の取り組みとして大事なのは古典などの文献においては、直にその書物に当たる事という事です。特に和歌の分野において。宣長は和歌においては新古今和歌集が心と言葉と事が一つとなって現されている頂点としています。ただ面白いのは、その新古今和歌集を真似てもダメで、その新古今和歌集を現した人たちが熟読していた万葉集・古今集・後撰集の三代集に直接あたりなさいと言います。これはある思想や学問において、その到達していった学問の背景やプロセスを考えていく事が、本当の意味で理解していく上で大事な事と同じです。

当時は公家を中心とした解釈が盛んであり、そこから何々流というものが生まれ、その流派の秘儀がわからないと和歌は詠めないとか、理解できないといったことが常識になっていたようです。そういう風潮に対して宣長は、そんなバカな話があるか、和歌は直接読んでそこで心がどう動くかが和歌において最も大事な事であり、何々流の師匠の教えを受けないとわからないなんてことはないと断言しています。そこにあるのは独立独歩の精神であり、独学の精神であり、独立した個人が堂々と和歌の世界に向き合う自律した精神です。ある意味、パンクやハードコアの世界でいうDIY(Do It Yourself)精神をそのまま体現されているようで、時の権威に動じない強さと自分でやるという独立した強さを宣長から感じるのです。

また、古事記伝を探求するにあたって、本当に多くの文献に宣長はあたっています。それは学問とはほど遠い、霊的なものから、トンデモ系まで、かなり広範囲のものにもあたっていた節があります。それは神の世界を記す古事記についての探求ですから、当然神様だとか、伝説だとか、宗教的なものには触れざるをえないでしょう。しかし、宣長はそういう世界をわかっていたはずなのに、あえてそういう胡散臭い表現をしない、むしろ排除しているように感じるのです。古事記に書かれている言葉をそのままに読む。そしてその言葉が他の古代の文献にどのように使われていたかの語源学的な探求に終始している。

こういった姿勢が自分にはとても面白く感じられるのです。というのも、古事記に関わる本においては解釈本があまりに多く、しかもそれは学問的な事を通り越して、むしろ霊的な世界の解釈本として秘儀だとか、秘密としての方が多く出ているからです。それは宣長の弟子と自称していた平田篤胤の影響などが大きそうですが、宣長自身はそういう世界をわかっていてもあえて表現しないで、表現していたと考えられるのです。

わかっていてもあえて直接的には表現しない。それは表現すると解釈や対象化が起きるのを見抜いていたからではないか。宣長が痛烈に批判していた漢意(からごころ)というのは、何でも対象化して解釈する姿勢のことです。だから宣長は自身の学問の姿勢としては、インプットとしては古典でも何でも直接その文献にあたる、アウトプットとしてはわかっていてもあえて表現しない事で、解釈や対象化がなるたけ起きないように、心がけていたのではないでしょうか。

古事記伝そのものは古事記の解釈本です。が、そこで成そうとしてたのは古事記の言葉をそのままわかるための語源学的なアプローチであり、巷にあふれる解釈本とはその質も分量も桁違いです。こういった一貫した姿勢で仕事をしてくれた事が、曖昧模糊としてしまう古事記の様な世界を、変に汚す事なく、ありのままの姿で現してくれた。もちろん、こういったある意味、余計を排除した学問の取り組みとその表現は、医師として人間に向かい合っていた事と無関係ではないはずです。

余計を排除する。その余計を生まないためにあえて表現しないという、表現がある。この事、今のような時代だからこそよく考えなくてはいけない事ではないでしょうか。
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エチオピアとシリアの情勢によせて

2018-10-29 19:24:26 | Weblog
最近の国際情勢においては、ある方向性一辺倒で、報道の取り上げ方や、そこからの影響など、いろんな方向から考えても、うんざりする事ばかりである。しかし、そんな中でも、エチオピアの女性初の大統領の誕生や、シリアの国立博物館の6年ぶりの開館には、今までにない希望を感じます。

(AFPBB Newsより)
閣僚半数に女性起用のエチオピア、史上初の女性大統領を全会一致で選出

エチオピアには2001年11月10日に首都アジスアベバで開催された、NPO高麗とエチオピア政府の共同主催の”いだきしん エチオピアコンサート「天命」”への参加で訪れました。メスケル広場というアジスアベバの中心の広場で開催されたこのコンサートは主催者発表で11万人の人が訪れ、いだきしん氏の即興演奏といだき氏により撮影されたエチオピア全土の映像が同時に流れ、またエチオピア国立舞踊団とのコラボレーションのパフォーマンスもあり、まさに人類発祥の地と言われるエチオピアに相応しい荘厳なコンサートでした。

人類発祥の地と言われる所以は発掘されたルーシーと言われる女性の人骨が現段階では最も古い人骨とされているからである。そのエチオピアにおいて、女性の大統領が誕生したというのは、何か人類史的なものを感じます。エチオピアでの大きなイベント事の多くはトラブルだらけで、場合によっては暴徒化し、警察や軍が出る事もあるといいますが、自分もこのコンサートに参加して驚いたのは、現地のエチオピアの人たちは本当に穏やかにこのコンサートを楽しみ、何よりも日本から来た我々を大歓迎してくださると共に、敬意を表してくれる方が本当に多かったのが印象的でした。エチオピアの人たちのもつ本質とその歴史性、精神性を音楽と映像でありのままに表現されたコンサートはエチオピアの人たちのプライドを呼び起こし、そのことがジワジワと醸成していき、だんだんと芽が出始めているのかもしれない、もしそういう影響があり、現象化しているのだとしたら、こんなに嬉しい事はありません。


(AFPBB Newsより)
シリア首都の国立博物館、6年ぶり開館 ISが破壊の像も修復し公開

またシリアにおいては、よくぞここまで持ちこたえてくれたという想いと、そしてその復興が少しずつなされている事が本当に嬉しいです。2015年にはパルミラ遺跡も破壊されてしまい、そのパルミラの博物館の館長が殺されてしまいましたが、そのパルミラの遺跡のライオンの像が復元され、今回展示されたことは、パルミラにおいて最も重要な文化財は事前に隠し、まさに歴史を守ったパルミラの館長の魂に報いるものであり、シリアの復活に相応しい。シリアは古代において思想、宗教、文化の要の地であり、特に自分はイスラム思想において最も重要な一人とされるイブン・アラビーの最後の地とされるダマスカスにとても惹かれています。存在一性論という神秘主義と存在論を一つにした、ある意味、人類でも稀に見る境地に到達した思想家の存在の痕跡が残るシリアです。まだまだシリアの現実は大変であり、国際情勢的にも落ち着いたとはいえません。しかし、今回のニュースの様に、文化的なことの復活を世界に大きくアピールすることは、世界だけでなく、シリア国内においてもとても大事なことと感じます。精神性を重んじる人たちは必ず復活し、復興を成し遂げる。その事を実証してくれたのは、何と日本人であり、その日本から多くを学びたいと、シリア人の多くが捉えているというから驚きです。日本人も今忘れてしまっているこういった精神性を取り戻す事が急務であることは言うまでもありませんが。
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全体

2018-10-13 10:57:16 | Weblog


全体。

体が全てということ。
全体という世界がどこかにあるのではなく、今ここにある体が全てということ。
その体が何を感じ、どう動くかが全てということ。
ひとりひとり違う体。感じること違う体。どう動くかも違う体。

何をわかっているかで動きが変わる。
何に気付いているかで動きのスピードも変わる。
関心、配慮、一貫性。

全て体でやっている。
全て体で起こっている。

大変な時代、危機的な時代の今。
だからこそ大事なのは体。今この瞬間瞬間、働く体をわかること。

世界とはひとりひとりの体のこと。
世界をわかる唯一の手がかりはこの体。
だから世界を良くするとは、
世界を平和にするとは、
ただ自分の体をどうするかだけなのかもしれない。

もっとも難しい問題の答えは、実は
もっとも身近なところに答えがあるのかもしれない。
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本居宣長〜医者として〜

2018-10-08 14:04:23 | Weblog
 

本居宣長。

古事記や源氏物語、和歌などのいわゆる国学の大家として知られているけれど、その本職としては医者、それも啞科の医者で現代でいうなれば小児科医。とはいえ、子供だけでなく婦人から老人など、全ての人を診る今でいう総合診療医のようであったようです。

そのことを国学者だけでなく医者としての本居宣長を総合的に研究した『本居宣長〜済世の医心〜』(髙橋正夫著 講談社学術文庫)より、備忘録的に抜粋します。

まず、宣長が医者として学び始めた時代背景ですが、当時の医学の中心はもちろん東洋医学。とはいえその時代背景的には伝統的漢方医学の到達点と言われる李朱医学に対して、復古医学(古医方)の擡頭があり、それに加えて、蘭方(オランダ)医学の輸入と進展があり、それを体現する人達、すなわち山脇東洋吉益東洞前野良沢杉田玄白といった人達の思想や学説が激しくぶつかり合っていた時代だったようです。

その様な中で宣長がどんな学びをしていたのか、大変興味があります。彼の日記などにどのような本を読み、学んでいたのかが克明に書かれているそうで、その総数は百四十九種にも及ぶ医書名が記載されているそうです。その中から、重要な医書としていくらか紹介します。

まず五大医書とされる
素問(そもん)』
霊枢(れいすう)』
難経(なんぎょう)』
金匱要略(きんきようりゃく)』
甲乙経(こうおつきょう)』

それから李朱医学東垣(とうえん)十書と言われる、
内外傷弁惑(べんわく)論
脾胃論
局方発揮
『㴑洄(そかい)集』
『脈決』
湯液本草(とうえきほんぞう)』
蘭室(らんしつ)秘蔵
格致(かくち)余論
此事難知(しじなんち)』
『外科精義』

さらに『薛己(せつき)十六種』(「薛立斎医書十六種」)として、
『婦人良方』
『保嬰撮要(ほえいさつよう)』
明医雑著
『内科摘要』
『外科枢要』
『小児直訣(じきけつ)』
原機啓微(けいび)』
女科撮要
『癩瘍(らいよう)機要』
正体類要
『小児痘診(とうしん)』
『保嬰精要』
口歯類要
『保嬰全鏡録』
『傷寒全鏡録』

その他にも、
『医方大成』
『医宗必読』
『衛生易簡方(いかんぽう)』
『救急方』
『食医必鑑』
『臓器本草』
『法生(ほつしょう)堂経験方』
『仲景傷寒論』
病源候論
名医類按
嬰童百問
『全幼心鑑』
『梅師集験方(しゅうげんぽう)』
『寿世保元(じゅせいほうげん)』
傷寒槌方(ついほう)』
『朱子集験方(しゅうげんぽう)』
『小児要訣』
『斗門方』
『鍼灸聚英』
『丹渓怪痾単』

などなど。今では手に入らないものも多いのではないでしょうか。

啞科と言われる由来は自分の症状を正しく言えない子どもに対して、当時つけられた医科名のようで、宣長は自分で自身の状態を表現できない人を助けるために、というよりも人の状態を察する事が出来た故に小児科として開業したのかもしれないと考えると面白い。その事が古事記研究や和歌論にいたる言葉の探求と実は関わりがあるとするならば、どこか人の本質や病の本質に気付いていたのかもしれないとも考えられます。古事記において、古語(ふること)をわかること、正しく神のことなどをわかること、また和歌により自分の心をありのままに表現する事を提唱していたことは、医師として数々の患者に向き合い、そして治癒していった経験が統合され、そこから人間にとっての健康、人間にとって何が必要な事なのかの実証と実践だったのかもしれません。
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海の底

2018-10-07 10:16:20 | Weblog
前回に引き続き、井筒先生との対談本の中からの紹介。

ユング派心理学者のジェイムズ・ヒルマン氏と共に河合隼雄氏が対談に参加されていて、その河合隼雄氏の昔話に対する分析から以下のように語られているのが大変興味をひきました。

まず前提として以下のように語られます。
「メタフォリカル(隠喩的)に言うと、西洋人の”目”は意識のなかにありますが、東洋人の”目”は、いわば無意識のなかにあるとさえ言います。」

そして昔話が例として引用されます。
「昔話のなかに、主人公が海底の国を訪ねる話が洋の東西を問わずにありますが、そのときに、西洋の物語は陸地の方から見た話として語られるのに対して、日本の物語は海底の方から見た話として語られるというのです。つまり日本人は海の底からものごとをみてるというわけです。」(井筒俊彦著作集 別巻 中央公論社)

この海の底は無意識のメタファーとも言えます。無意識から見る感覚。その例えとしての昔話では主人公は海の底に行き、そこで物語を展開させていく日本人の感覚は改めて考えると本当に不思議です。海の底には何があるのでしょうか。

科学的には昨今では深海の調査が少しずつ進み、未知の魚や古代魚がたくさん見つかっているようです。もしかしたら公にすることができない、全く未知の生物が発見されているのかもしれません。沖縄近海には海の底に沈んでしまっている遺跡が発見されているし、プラトンにより記述されたアトランティス大陸はいまでもどこかの海の底にあるのかもしれません。海の底に住む地底人のような存在を予測する説もあるくらい、未知の空間、海の底。

この海の底は全く見えない世界でもあり、それが無意識の世界とも重なっていきます。海の底を考える事は人間の無意識を考える事にもつながり、海の底のことが語られることは、人間が意識的にも無意識に押し込んできたある何かが開放されていくことにもつながるのかもしれません。

実際、この対談の最後の方でユングが語った事として、
「”神々は病に転身した。そして(病人たちの)病気を通じて帰ってきた”と」

と語られています。ここでいう病とは精神系の疾患のことです。神々は無意識の世界に引っ込み、時おり顔を出すとも。

海の底、無意識、そして神々の存在。意識、無意識という言葉で現される人間の深遠なる内面の世界。昔話として当たり前に語る日本人こそ、この深遠なる世界を感覚的にわかる、稀有な存在なのかもしれません。深海探査機を世界でも稀なる技術をもって作ってしまう日本人。海の底にやたらに惹かれるのには何か深遠なる理由があるのかもしれません。

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中心と焦点

2018-10-06 11:08:38 | Weblog


井筒俊彦先生の対談本がとにかく面白い。

一流の学者同士の対話に興奮させられます。何より相手のもっている深い教養を対話によって引き出す井筒先生の話の持って生き方は、言葉の探求者の実践を目の当たりにしているようで、多くを学びます。

いくつか心に残った話として、ユング系の心理学者で『魂のコード』の著者であるジェイムズ・ヒルマン氏とユング系心理学者の河合隼雄氏と井筒先生の三人の対談において、ヒルマン氏が日本の庭園に行って深く感銘をうけ、そこで気づいた中心と焦点の違いについて、こんな話をしています。

「日本の庭は、ヨーロッパの造形的な庭園のような中心をもっていないようですね。庭中のどこに立っても、たちまちそこに、新しい焦点が現出する。至るところに注視の焦点があり、別の展望が開けています。ところが、俯瞰的全望が、全体の景観が、一望にできるような場所はどこにもない。”中心”はどちらかといえば抽象的、客観的、、つまり、デカルト的世界に、いわゆる”外在”するものです。ですが、焦点は展望的視野の中に我々(感覚主体)を巻き込み、組み入れ、したがって我々は庭の一部になります。しかも視点はいつも自在に移動しますからね。」(井筒俊彦著作集 別巻 中央公論社)

ここに指摘されていることは西洋的な視点と東洋的な視点として理解することができます。西洋の、特に心理学や哲学の分野において、東洋思想に自分の思想の展望を見る人はユングを含めて、多くおられます。逆に河合隼雄氏や井筒先生は東洋人である我々が西洋の思想を理解する事は言葉にならない体験や理念的な事を言葉や概念化するためには必要であると述べられています。

この”中心”と”焦点”の話はそれにしてもこれからの時代においてはとても示唆的です。ヨーロッパの庭園は中心を設定して、その中心に合わせて庭園の部分部分をつくっていきます。日本の庭園は全体で一つであり、全体が中心なのです。このことを時代的な事として考えていくと、今までの時代はどこかに中心があり、それをわかり、外さない事が大事とされてきました。中心に合わせていくという事です。しかしこれからの時代は個々が中心となり、個々がそれぞれのいる世界で全体でひとつである働きを展開させていくことが望まれています。これらのことを庭の例えを使って、”中心”と”焦点”という言葉で表現されていることをこの対談で知り、腑に落ちてきました。この対談は1983年に行われたものです。がこの対談で話されている事は普遍的なことでもあり、未来的でもあり、今に活きる貴重な言葉に満ち溢れていました。真の学者ここにあり。

何よりもこういった話を魂の心理学者と言われるヒルマン氏がしていることが重要です。21世紀は知性・科学の時代というよりも、実は魂の時代になるのではないかと自分は考えています。だから一人一人の中心に在るとされる魂のことをわかること、ましてその魂に働きかける根源的な存在が現れ出ているともいわれる今の時代です。真の言葉、真理、真実こそが魂を成長させる、そのことを実感するこの対談です。
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新しい軸へ

2018-09-26 20:31:46 | Weblog
歴史の必然。

ある状態へと至る、その過程が歴史とも言える。
ある時は同時に。ある時は何年もの時を経て。

始まりと終わり、次への展開、美しくとも全てをハッキリさせていくキレのある色。イエス・キリストの存在。それを記す聖書。

濃くなれば濃くなるほど情熱たぎる激しくとも情け深い要の色。ムハンマド。マホメット。コーランの存在。

流れ流れ、まわりまわり、あたたかくも安心させていく循環の色。シャカ。お釈迦様。数々の仏典。

時を経て、今現れ出はじめている、合わせ合わせ、全てを統べ上げていく全く新しい調和の色。ニュータイプ。未だ言葉にならず。新しい軸。

それぞれをわかることで、”すべて”いくその色のことがわかっていける。

今、起きていること、これから起きていく事、すべて同時、そして瞬間瞬間のこと。

閃めきも啓示も思索による発見もすべて瞬間で同時。

新しい軸の歴史はじまる。
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「タハーフト(崩落)」

2018-09-20 19:22:37 | Weblog


「タハーフト」。
この言葉はアラビア語で、英語で言うとdestructionが当てられる。いわゆる「破壊」の意味であるが、本来の意味はもっと深い。

「原来、アラビア語の「タハーフト」は、たんに何かを破壊する、あるいは何かが破壊されることではなくて、表面的には完璧な自己整合性をもって立っているかのごとく見えるシステム(物質的であれ、理念的であれ)が、己れの深部に秘めている矛盾、非整合性が暴露されることによって、内部から崩壊することを意味する。一つの構造体が、自分自身の内臓する自己矛盾の故に、自然に、必然的に、崩れ落ちていくことだ。現代的な言い方をすれば、自己解体というような表現に当る。」(『イスラーム思想2』岩波書店)

これは中世のイスラム思想家ガザーリーの著書である『哲学の崩落』におけるその題名の「崩落」について、井筒俊彦氏が解説している文である。「タハーフト」という語には「破壊」というよりも、自己が抱える矛盾により、自己解体せざるを得ない、もしくは自滅していくということが明らかにされている。

己れの秘めている矛盾、非整合性を解決することがなければ、カタチあるものであろうとなかろうと崩落していくことが語られているが、何か、今のこの国、社会、世界そのものの事を語っているかのようである。誰もがおかしいと気づいているのに、誰もがその矛盾や筋の通らない非整合性に気づいているのに、当事者達が解決する動きを見せない。いや解決する動きを表面上見せかけてるだけで、実際は何も取り組んでいないことが明かされ続けている昨今である。

こんな事をずっと続けていては必ず「タハーフト」していかざるをえない。おりしも、今日、ある方向性が確定した。本当にこれで良いのだろうか。仮に近い将来「タハーフト」したとしても、自分はその先を見据えて、今から新しい道を創っていくという道を選択する以外にない。今がどうであろうと、先を創っていく道を選択するという決意である。今までもやってきていることはあるけれど、より強固に、ハッキリさせていくよりなく。いよいよ大変な時に入った。「タハーフト」の時に入ったのかもしれない。

引用したイスラムの思想家達の強靭な精神力と探求力、思索力。その思想は中世キリスト教にも絶大な影響を与えたと言われ、その後の宗教、哲学、学問を変えたとも言われ、それはそのまま世界を変えたとも言える。世界を変えた始まりは一人の人間の深い思索であり、その生き方や行動であることを、このイスラムの思想家達から学びます。啓示と思索が入り混じるイスラム思想の在り方。その本質に実はこれからの事のヒントがある気がしています。
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2018-09-15 10:23:48 | Weblog


暑い夏も過ぎ、秋らしい空気にどこかホッとしています。
時おり吹くひんやりした風が心地よく、冬生まれの自分にとってはこの秋から冬にかけての独特な匂いがたまらなく好きですね。

この数ヶ月、変化があまりに大きく、またいろんな所に行ってきました。
今度あらためて書きますが、兼ねてからずっと行きたいと思っていた本居宣長の地である松阪へ行く事ができました。この旅は兄玄が名古屋や伊勢神宮で開催されるワークショップに参加するのに同行する形で行ってきました。名古屋や伊勢では日中は全くの別行動だったので、行きたいところに行く事ができました。

名古屋では古事記の最古の写本を保存する真福寺(大須観音)、日本の歴史の真相に関わるとされる説を最近目にした為に行ってきた八事興正寺、お釈迦さんのご遺骨が安置され、どの宗派にも属さない全仏教徒の為の寺院を謳う日泰寺、そして先祖のお墓がある八事霊園へ行ってきました。

伊勢の日は伊勢神宮の外宮で兄玄と別れ、そのまま松阪へ。真っ先に向かったのが本居宣長のお墓。本居宣長のお墓は二つあって、一つは世間常識に則った形でのお寺にあるお墓で、もう一つは山の中にひっそりあるお墓です。この山の中のお墓を”おくつき”といって奥津城、奥津宮などと書きます。この奥津城に行ってきました。ちょうど大阪に多大な被害を出した台風が過ぎて数日後だったのもあって、山の中は大荒れでした。この事は今度書きます。奥津城はひっそりとした山の中で、どこか神社の奥宮のような佇まいでした。とても気持ちの良い空間です。

下山した後は本居宣長記念館に行き、宣長直筆の多くの書物を直接目にしてきました。ここで初めて知ったのは、宣長は出雲大社への関心が高く、実際叶わなかったけど、ずっと行きたい場所だったとのこと。国学の大成者として有名な本居宣長は小児科医でもあり、女性や子供に対して大変配慮のある方だったそうです。医者として現実に病気をみていたことと、古事記や和歌を中心に言葉を探求していた事は深く関係していそうです。このあたりの事も今度書いていきます。

宣長記念館の横には鈴屋(すずのや)と言われる宣長の邸宅があり、今そのまま再現されています。鈴が大変好きな方だったようで、いつも鈴の音が響いていたことから鈴屋と言われるようになったそうです。鈴の字を名前に宿す自分としてはさらなる興味を覚えます。それから宣長神社に行き、そこから時間が迫ってきたので伊勢へと向かいます。

伊勢へと向かう道中、何かに導かれるように気になり訪れたのが伊勢神宮に奉祀していた斎王の御所である斎宮です。斎王とは伊勢神宮や賀茂神社において巫女として神に仕えた女性のことです。近年発掘が進み、今では斎宮歴史博物館や斎宮の御所の再現がなされ、とても清々しい場所でした。なかなか注目度が低いようで、ガイドをされていた地元の方はもっともっと斎宮のことを知ってほしいと願っておられました。古代の国において、神の啓示を受けたり、そのメッセージを受けていたとされる斎王の存在。今考えられているよりも、もっともっと重要な存在だったのではないかと感じています。

それから伊勢神宮の外宮である豊受大神宮に行ってきました。初めて訪ずれる場所で、何か重要な地である印象を受けました。外宮の方が伊勢神宮としては重要であるという説もあると聞きます。そうではなくて、内宮を見張るために作られたという全く違う歴史の説もあります。歴史の真相は本当にわかりにくい。様々な説があり、様々な立場があるけれども、真相は必ず一つにいきつくのではないかと考えます。歴史の真相が明らかになっていくことは、人の意識も変わっていくので、このことに関わる動きの重要性はどれだけ言っても足りないくらいです。

そして伊勢神宮内宮へと向かう途中、これも前から行きたかった猿田彦神社を見つけ、行ってきました。神話で天皇の行く道を導いたとされる猿田彦。未来を開く、先を切り開く神様で、今の自分にとってはとても重要な働きの神様で、心から参拝しました。

いよいよ待ち合わせ場所である伊勢神宮の内宮へ到着。待ち合わせ時間には少しあるので、内宮にも参拝してきました。結界のように流れる五十鈴川を渡り、清らかな神域に入ります。ここを大事にしてきた日本人の魂の歴史を感じます。しかし、同時に現実、ここにきている人たちの雰囲気になんともやりきれない想いにかられたのも正直なところ。世俗的すぎるというのか、どこかのテーマパークにきている感覚でいわゆる観光的すぎる人の雰囲気はとにかくうるさいです。昔の人は伊勢詣や熊野詣ではそれこそ人生かけて参拝したといいます。今は車ですぐにこれる安易さからか、その本質的な意味がうすまっている気がします。

そして兄玄と無事に合流し、帰路へと向かいました。

いろいろ感じた名古屋から松阪、伊勢の旅です。
これからの日本のこと、自分の人生のこと、歴史のこと。これから感じたことを色々と書いていきます。
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