やはり西郷隆盛が面白い。
あまりにも自分が歴史に無知だったからかもしれません。
歴史というのは不思議なもんで、突然ある時代、ある人に興味が沸いてくるのです。
そこで多くを学ぶのです。
今ようやく明治維新について少しずつ理解しはじめ、何よりも西郷隆盛がなぜ最後にあのような終わりを迎えたのかの疑問があり、少しずつその答えを自分なりに分かりはじめてきました。
西郷隆盛を語るのに欠かせない勝海舟。
勝海舟の語りがまた気持ち良い。
江戸っ子の切れ味あるその語り。明治志士であろうとも、駄目な奴は片っ端から子供扱いし、もっと勉強しろというその大人っぷり。
今の時代、求められているのはこういう本当の大人。いい歳こいて、お前バカか!と言いたくなる連中がなんと多い事。まだ若輩の自分はハッキリと言えませんけが。。
と同時に子供は子供で早熟すぎちゃって、そこらじゅうに10代でおばちゃん、おっさんがたくさん蔓延っている、恐ろしさ。最近は小学生にもおばちゃんの姿を垣間みて、戦慄する。。。
子供を消費対象にしちゃったから、図にのるんであって、これも全ては大人が悪いわな。
西郷隆盛と勝海舟。
江戸から明治へ。
それは封建国家から近代国家への国造りという大事業をそれこそ命を賭けて成し遂げた大人達。
しかし、どうも大政奉還後の新政府に対して、この二人は全く納得せず、全く別の構想があったように感じる。
その辺りは簡単な話ではないけど、どうもこの二人に共通する事で、ある影響からその行為や言動を探ると別の方向が見えてくる事実に出くわした。それは何と、キリスト教の影響という事。この辺りは今、探究中です。
西郷隆盛の敬天愛人の思想はキリスト教とあまりに合致する事は昔から言われている事だし、勝海舟の事を書いた江藤淳氏も、勝海舟の国家構想は幕府をも朝廷をも超越した国家を構想しようとし、その背景には国家を越える価値の存在を感じていたはずだとする意見を述べられています。この国家を越える価値の存在をキリスト教にみていた可能性を感じます。
どちらにしても想像を遥かに超える国家構想を持っていた事は間違いなく、それが現実の時勢の流れに合わなかったという事がわかってくる。このキリスト教の影響も、ただ洗礼を受けて信仰するというレベルではなく、もっと思想的に捉え、咀嚼した上で自身の思想に昇華していった節が伺える。本当に考え、実行する人、真の大人の姿をこの二人にみ、今新たに感動するのです。
それにしても、本は本当に瞬間の出会いです。
気になってる事を書いてくれてる本との出会いは最高の喜びです。
ただ、そういう本に出会ってもいつも買えるという訳でもなく、、後々から買いに行くという事がよくあります。。
今日もそういう日になってまして。。これは古本では絶対だめです!古本との出会いに次はありません!出会っちゃったら絶対に買うべし!古本の鉄則。次あると思って買いに行って出会える可能性は限りなく低いのです、古本の不思議。