玄語

玄音の弟玄です。日々感じている事、考えている事を語っていきます。そんな弟玄が語る”玄語”です。よろしく。

死に向き合う

2012-08-29 20:04:29 | Weblog



自宅で死を迎える事を選択したおばあちゃんを一生懸命看病する小学生の女の子。
おばあちゃんに話しかけ、手を握り、水を上げ、一緒に時を過ごす日々。

死に触れる機会の少ない現代。
高齢化社会を迎えて、今後、病院以外の場所、施設や自宅で死を迎える人は増えていくという。
死がだんだんと身近になっていく時が来ているのでしょうか。
死と共にあった昔の日本に戻っているのでしょうか。

8月15日。
おばあちゃんは自宅で97歳でその生を終えられた。
一生懸命看病し切ったその女の子。
その葬儀の際のインタビュー。

「おばあちゃんに言いたい事は?」
ありがとうです
「おばあちゃんはどこに行ったとおもう?』
私たちの心の中

見事!
素晴らしい答えです。
今の子供達は凄いと素直に感じました。
どこか本当の事を内々にわかっているのかもしれません。

死は確実に誰にも起きる事。
死とどう向き合い、死をどう考えていくか。
そこから生きる事がハッキリしてくる。
死の曖昧さがあらゆる妙な生をうみだす。
今、社会全体が死について問われていると感じる。
が、ちゃんと死に向き合い、死をわかり始めた子供達の感覚に大きな希望を感じました。

とあるNHKの番組を見て感じた事でした。
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背景を考える

2012-08-27 12:51:45 | Weblog

(シリア・パルミラ遺跡・バール寺院/wikipediaより)


外面から内面へ、すなわち外面に向い外的事物を追求しようとする感性的人間の自然的方向を自己の内面に向って転回させ、厳密な苦行修練を通じて自己の内奥へ、より内奥へと内面化を推し進め、外面的要素を一つも余すところなく全人格をあげて悉く内化した時、いわば外面的人間として完全に死に切った瞬間、正にその時にこの死の底において、輝く神の姿に接しようとする独特の神秘道がそれであった。」(『イスラーム思想史』井筒俊彦著 中公文庫)

これは、迷走しがちな瞑想よりも、実践的な修行修練により、ある大いなる存在へと至る道を追い求めたシリアの神秘主義の記述である。さらに「愛」という観念に比類ない位地を認めていたのもこのシリア神秘主義であったといいます。こういった古代の文化的背景が今起きている事とどうつながっていくのか。古代のイスラーム思想史において、シリアの影響はとても大きかったといい、またイラクのバクダッドはその中心地であったといいます。なぜか西洋欧米を中心とした社会と顕著に対立する国に古代の思想哲学の中心地が多いというのはどういう事を意味するのでしょうか。

またシリアの代表的なパルミラ遺跡は元々パル神を祀る神殿で、このパル神はフェニキアの神様でもあったバール神と同じだとされています。このバール神こそ、旧約聖書において異教の神として叩かれていた神様であり、常に現西洋社会との対立項として描かれている神様です。どうもこういった古代からの文化的背景が、今起きている事の無意識のレベルで影響しているのではないかと想える節がある。日本においては神話はただの寓話的にしか捉えられていないが、海外では大真面目にその神話の潜在意識的影響を研究しているのであり、民族的な思想の傾向はこういった神話から分かる事が多いといいます。

グローバルスタンダードという名の下、何か客観的な共通項のもとに世界の標準的な事が構築されているかのように錯覚するけれども、今のグローバルスタンダードは欧米社会のスタンダードが元となっており、その思想的背景は聖書を中心としたユダヤ教・キリスト教にあるわけです。欧米諸国が対立国としているイランやシリアがその流れに汲みしないのも、当然と言えば当然なのです。思想・宗教等の文化的背景がまるで違うのであり、神話のレベルから神様同士の対立が続いているのです。

現実起きる事は様々な背景があります。
そういった歴史、文化的な背景までも含めて、今起きているが何なのか、より深く理解する事が何よりも重要だと考えます。
中東の問題は本当に根深いです。





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報道とは…

2012-08-26 17:44:36 | Weblog

(パルミラ遺跡:wikipediaより)


毎日の報道。
シリア、韓国、中国。
そのまま報道されているままを聞いていても、どこかおかしさを感じてしまうのは自分だけだろうか。

シリアについて、日本の報道機関が全て反体制側からの情報に基づいてる事が当たり前になっているが、国交があり、大使館まである国の政府筋からの情報よりも反体制側からの情報を多く報道する事に、何か意図を感じてしまう。日本の女性ジャーナリストが殺されてしまった事は大変心苦しいが、何か狙われていたようにも感じてしまうし、反体制派というけれど、ほとんどがサウジアラビアやエジプト等の外国人が多いという事実から、これは果たして内戦なのか…。外から現シリア体制を転覆させようとする勢力の存在を感じます。どちらにしても早く収束して、平和な日々を取り戻してほしい。

また韓国や中国の報道。
中国の反日デモのおかしさは明らかにテレビを意識してのパフォーマンスに見えるし、実際、中国人の経営するお店が破壊されているというので、一体何の抗議デモなのかさっぱりわからない。どうもこういう外交問題が起きてくると、必ず煽動する勢力が現れるらしく、それはマニュアル化されているとの新聞記事もありました。普通の中国国民は極めて冷静であり、一部の扇動者によるパフォーマンスに近い事が分かってきてるようです。それがテレビで報道されると全てがそうなっているかのように見えてくるから、メディアの影響力を痛感します。

どこかおかしいと感じたらそのままにしないで、きちんと調べる事も必要です。
日本はちゃんと調べると必ずその道の専門家がおり、そういう人による書物が必ずあります。これはこの国の凄い所です。
一番大事な事は真実を知る事であり、今程、冷静に物事みる力を試されている時はないと感じます。


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新次玄

2012-08-23 09:56:41 | Weblog



いよいよ玄音の新企画が9月17日から始まります。
イベント名は”新次玄”。
まったく新しい次元をひらく音へのチャレンジの気持ちをこめて、ネーミングをつけました。

このイベントは世界中でコンサート活動をされているいだきしん先生の音響チームのI-sonicさんとの交流が元でイベントを創る事になりました。ちなみにいだきしん氏については氏が開講されている講座で私が学んでいるので、氏の事を先生と呼んでおります。

このI-sonicさんはいだきしんコンサート、特に高句麗伝説というシンセサイザーを中心としたコンサートの音響をされているチームで、内面に響く音を表現するために、独自のスピーカーや機材を開発されているエンジニアチームでもあります。元は野外コンサートやクラブサウンドで絶大な支持を受ける田口製作所のエンジニアチーム。その高句麗伝説ではシンセサイザーだけでなく、和太鼓、笙、サックス、クラリネット、ギター、そして詩の朗読といった電子音と生音の融合が一つのポイントとなっており、その完璧なサウンド創りにはいつも目を見張るものがあり、いつも感動しております。



以前プロサウンドという専門誌に掲載された記事です。
正直、内容がマニアックすぎて、さっぱりわかりません(笑)

今回、”新次玄”において、I-sonicさんと一緒にイベントが作れる事は大変光栄な事であり、と同時に新しい音づくりへのチャレンジの気持ちがわいてきます。今回は玄音としてはタンザニアのンゴマにジャンベ、そしてイリンバを使用します。イリンバは生音からエフェクトまで、多彩に表現する予定です。また楽団でお馴染みのギタリストのワタナベアキオにも参加してもらい、いつもよりもフリーな感覚で演奏していく予定です。ンゴマという太鼓はジャンベの様にカンカンなる太鼓ではなく、何とも微妙な音域の音が鳴っていて、自分で叩いても気付かない音をライブ録音などで確認する事があります。普通の感覚では捉えられない音が鳴っているようで、その不思議な音色がンゴマの魅力となっています。そういった音がよりハッキリと表現できると、今までにないパフォーマンスができるとワクワクしております。

今回は第一回目。
会場も渋谷のHESOと大変小さなお店。
正直、とにかくやっちまおう!というノリで始まってます。
全てが始まってみないとわからないのですが、成る様に成っていく感覚だけはあります。

まったく新しい音の経験ができたならば、きっと来てくれた人にも新しい次元が開かれていくことと想います。
この新しい次元の音の経験はいだきしんコンサートでいつも経験させてもらっている事なので、この経験を活かして、表現力をどんどん磨いて行く所存でございますって、何か決意表明みたいになってきたけど(笑)、実際そういう事です。

そんなわけで、9月17日、オープンが17時、スタート18時で、2ドリンク付き2500円のチャージとなります。
是非お越し下さい。お待ちしております!

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国家構想

2012-08-22 09:50:44 | Weblog
 

やはり西郷隆盛が面白い。
あまりにも自分が歴史に無知だったからかもしれません。
歴史というのは不思議なもんで、突然ある時代、ある人に興味が沸いてくるのです。
そこで多くを学ぶのです。
今ようやく明治維新について少しずつ理解しはじめ、何よりも西郷隆盛がなぜ最後にあのような終わりを迎えたのかの疑問があり、少しずつその答えを自分なりに分かりはじめてきました。

西郷隆盛を語るのに欠かせない勝海舟。
勝海舟の語りがまた気持ち良い。
江戸っ子の切れ味あるその語り。明治志士であろうとも、駄目な奴は片っ端から子供扱いし、もっと勉強しろというその大人っぷり。
今の時代、求められているのはこういう本当の大人。いい歳こいて、お前バカか!と言いたくなる連中がなんと多い事。まだ若輩の自分はハッキリと言えませんけが。。
と同時に子供は子供で早熟すぎちゃって、そこらじゅうに10代でおばちゃん、おっさんがたくさん蔓延っている、恐ろしさ。最近は小学生にもおばちゃんの姿を垣間みて、戦慄する。。。
子供を消費対象にしちゃったから、図にのるんであって、これも全ては大人が悪いわな。

西郷隆盛と勝海舟。
江戸から明治へ。
それは封建国家から近代国家への国造りという大事業をそれこそ命を賭けて成し遂げた大人達。
しかし、どうも大政奉還後の新政府に対して、この二人は全く納得せず、全く別の構想があったように感じる。
その辺りは簡単な話ではないけど、どうもこの二人に共通する事で、ある影響からその行為や言動を探ると別の方向が見えてくる事実に出くわした。それは何と、キリスト教の影響という事。この辺りは今、探究中です。

西郷隆盛の敬天愛人の思想はキリスト教とあまりに合致する事は昔から言われている事だし、勝海舟の事を書いた江藤淳氏も、勝海舟の国家構想は幕府をも朝廷をも超越した国家を構想しようとし、その背景には国家を越える価値の存在を感じていたはずだとする意見を述べられています。この国家を越える価値の存在をキリスト教にみていた可能性を感じます。

どちらにしても想像を遥かに超える国家構想を持っていた事は間違いなく、それが現実の時勢の流れに合わなかったという事がわかってくる。このキリスト教の影響も、ただ洗礼を受けて信仰するというレベルではなく、もっと思想的に捉え、咀嚼した上で自身の思想に昇華していった節が伺える。本当に考え、実行する人、真の大人の姿をこの二人にみ、今新たに感動するのです。

それにしても、本は本当に瞬間の出会いです。
気になってる事を書いてくれてる本との出会いは最高の喜びです。
ただ、そういう本に出会ってもいつも買えるという訳でもなく、、後々から買いに行くという事がよくあります。。
今日もそういう日になってまして。。これは古本では絶対だめです!古本との出会いに次はありません!出会っちゃったら絶対に買うべし!古本の鉄則。次あると思って買いに行って出会える可能性は限りなく低いのです、古本の不思議。


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