今、言葉がとても重要な時代に入っていると感じる。
インターネットは映像など視覚のインパクトが強いけれど、やはり言葉の世界である。
今、その言葉自体が問題になっている。
繋がりがなくなってきているから絆が声高に叫ばれ、その意味する所は言葉の意味の共有が出来ていない事態に陥っているということ。
要は言葉が伝わらないのである。
言葉とはその意味を伝える以上の遥かな何かでもある。だから直接人と会って発した言葉ならその意味がわかり、理解しあえることであっても、ネットなどの言葉だけだと、受け手の捉えている言葉の意味の範囲での理解となり、実はその本意が伝わっていないことが多い。
また政治家のように質問に対して、答えているようで、その内容には全く答えておらず、関係ない事柄をとうとうと述べる場面をよくみるけれども、このやりとりをずっと続けると思考は停止してしまい、これがずっと続くと分裂病のようになっていくと精神分析の分野からいわれている。
また子供は親からの言葉をそのまま受け止めるけど、美味しいと感じていないのに美味しいと言ったり、怒っているのに許していると言うことなど、言葉の意味と実際の感情が違う状態で言葉を発せられる状態にさらされると間違いなく自閉症や分裂気質になっていくという。
今子供の事件が子供だけでなくその親からのことでも多く起きているけど、どうも言葉の事が大きな問題として背景にあるような気がしてならない。
本当かどうかわからない、疑心暗鬼な状態がはびこっている今、何よりも大事なのは言葉を真っ当にする事であろう。
好きなら好き。美味しいなら美味しい。間違っていると感じているなら間違っているという。なぜそう感じるのかの言葉を受けとめ合う。間違ってもいい、間違ったなら直せば良い。嘘はダメ。嘘も方便ということもあるけど、根本は嘘はだめということから始めなくては何もはじまらない。
ちょっとしたことだが、あまりにも重要なことが蔑ろにされている。
危機に気付いていないことが最大の危機。
復興とはある意味、言葉の復興、再生以外にありえないのではないかと感じます。
インターネットは映像など視覚のインパクトが強いけれど、やはり言葉の世界である。
今、その言葉自体が問題になっている。
繋がりがなくなってきているから絆が声高に叫ばれ、その意味する所は言葉の意味の共有が出来ていない事態に陥っているということ。
要は言葉が伝わらないのである。
言葉とはその意味を伝える以上の遥かな何かでもある。だから直接人と会って発した言葉ならその意味がわかり、理解しあえることであっても、ネットなどの言葉だけだと、受け手の捉えている言葉の意味の範囲での理解となり、実はその本意が伝わっていないことが多い。
また政治家のように質問に対して、答えているようで、その内容には全く答えておらず、関係ない事柄をとうとうと述べる場面をよくみるけれども、このやりとりをずっと続けると思考は停止してしまい、これがずっと続くと分裂病のようになっていくと精神分析の分野からいわれている。
また子供は親からの言葉をそのまま受け止めるけど、美味しいと感じていないのに美味しいと言ったり、怒っているのに許していると言うことなど、言葉の意味と実際の感情が違う状態で言葉を発せられる状態にさらされると間違いなく自閉症や分裂気質になっていくという。
今子供の事件が子供だけでなくその親からのことでも多く起きているけど、どうも言葉の事が大きな問題として背景にあるような気がしてならない。
本当かどうかわからない、疑心暗鬼な状態がはびこっている今、何よりも大事なのは言葉を真っ当にする事であろう。
好きなら好き。美味しいなら美味しい。間違っていると感じているなら間違っているという。なぜそう感じるのかの言葉を受けとめ合う。間違ってもいい、間違ったなら直せば良い。嘘はダメ。嘘も方便ということもあるけど、根本は嘘はだめということから始めなくては何もはじまらない。
ちょっとしたことだが、あまりにも重要なことが蔑ろにされている。
危機に気付いていないことが最大の危機。
復興とはある意味、言葉の復興、再生以外にありえないのではないかと感じます。