玄語

玄音の弟玄です。日々感じている事、考えている事を語っていきます。そんな弟玄が語る”玄語”です。よろしく。

「思いやり」の社会を創る

2020-05-23 17:17:13 | Weblog


世界は良くなっているのだろうか。
いや、誰もがそうは感じていないでしょう。何か世界が行き着くとこまで行ってしまい、ふとした瞬間に、ぽっと湧き出てきたのが、コロナウイルスであり、それがこの世界を根底から変えようとしているのではないかと考えてしまう今の時。ここから人類はどうしていくのか。管理社会の強化なのか、それとも人々がお互いを思いやり、助け合う社会なのか。

こういうことを考えるにうってつけの本が『ゼロから考える経済学』である。著者はジェンダー論を人類史的な視点から考察されている有名なリーアン・アイスラーである。この本はリーマンショックのあった2009年に書かれたものであり、ジェンダー論の著書が経済学の本を書くという意外とも感じるが、これが今こそ、読み直したい優れた著作なのである。これからの未来を、どう創っていくのかの土台となる基本図書と言ってもいいと自分は考えてます。

この本のキーワードは一言でいうと「思いやり」です。そう、あらゆる仕事を「思いやり」を土台にして行うということ。それは仕事の仕方や組織運営、さらには経済社会においてでもある。一見、そんなあまい考えでは、この厳しい社会は乗り越えていけないと考えるでしょう。しかし実際の事例において、見事に「思いやり」中心にした仕事で、業績を上げた例をたくさん出されております。今、現在ここで取り上げられた事例がどうなっているかはわかりません。しかし、書かれた2009年から11年経った2020年の今ほど、よりここで書かれたことを求める人は多いのが実感です。自分自身はこの本に共感する人とこれから仕事をしていきたいし、ここで書かれている経済社会を実現してみたい。

どんな事が書かれているかは実際に本に当たってもらいたいけど、ここでは巻末で環境ジャーナリストの枝廣淳子さんという方の解説がとても端的に示されているので引用させて頂きます。

「本書は、目の前の問題に右往左往するのではなく、経済システムという構造を変えなくてはならない現在の社会に対し、そのためには、「経済システムだけに焦点を合わせていてはいけない。もっと深く踏み込む必要がある」と説き、社会には二種類の基本的なシステムがあることを教えてくれる。トップダウン型の管理による「支配のシステム」と、互いに尊敬し合い、思いやる関係を支援する「パートナーシップのシステム」だ。これらは異なるメンタルモデルに基づく異なる構造であり、したがって異なるパターンを生み、異なる事象をもたらす。

本書には、支配のシステムからパートナシップのシステムへの転換をはかりつつある事例も登場する。北欧のフィンランドのパートナーシップ教育のメリットや、パートナーシップのシステムに基づく思いやりの経営方針によって社員の離職率を大きく低下し、多額の費用を節約しているいくつもの企業、思いやりへの投資の利益率はとても高いものを示す調査や、そういった知見と実証に基づいて展開されているカナダの「健康な赤ちゃん、健康な子ども」というプログラムなど、読んでいるだけでワクワクしてくる。そう、変えれば変わるのだ。

このままの経済システムでは地球も私たちも破綻は避けられないとしたら、経済システムを変えるために、私たち一人ひとりに何ができるのだろう?

著者は「国内外の指導者たちが行動するのを待つのではなく、経済システムについての会話を変えることだ」という。「自由」や「民主主義」という言葉が新たな政治モデルの導入に役立つように、「思いやり」という言葉を会話に含めることが、新しい経済システムの導入の第一歩となる、と。何とわくわくすることではないか。

理論的な背景や歴史、現状をわかりやすく説明しつつ、氷山の一角の下に潜む最も大きな「取り組むべきもの」を明らかにし、すでに展開している試みをその枠組み上に位置づけながら、私たち一人ひとりが何を考え、何をすればよいかを考えるための導きと励ましを送り続けてくれる本書を、私はきっとこれから何度も読み返すことになるだろう」(『ゼロから考える経済学』 英治出版 解説より)

解説の枝廣さんも書かれてるように、何度も読み返す価値のある本です。特に今のような状況にあってこそ、根本的にこれからの社会をどう創っていくのかのヒントが満載です。しかもその背景にあるのはやはり女性の存在です。さすがに『聖杯と剣』や『聖なる快楽』を書かれた著書ゆえの、歴史的背景からくる考察はあまりに深く、的確であり、同時に見逃されてきたことです。この本がどれほどの位置づけで、評価されているのかあまり多くを知るわけではありませんが、少し過小評価されてるという印象があります。

もう世界は変わらざるをえないのです。そのことをこの度のコロナ禍ははっきりと示しているといえるでしょう。ではどう変わるのか、いや、どう変えていくのか、そのことをこの「思いやり」という言葉で、人が人として真っ当に生きれる社会、さらに言うならば、女性が女性として安心して生きていける社会を創るための考えが、この本にはハッキリと示されています。

これらの事は男性にとっても実は生きやすい社会であることを忘れてはならないとおもいます。
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原理原則

2020-05-23 16:21:58 | Weblog
日々、目まぐるしく情勢が変化している昨今。
何が本当で、何が真っ当なのか。それぞれがそれぞれの立場で解釈を織り交ぜてモノを言い合ってる状況。こういう時こそ、原理原則に戻ることが大事だと感じています。

ある施策を国民全体に強いる場合は、法治国家である限りは法的根拠が必要であり、その施策に対する科学的根拠を示すことが求められます。細かいことは言えることではないけれど、今のコロナウイルス感染症に対して、その根拠となるPCR検査は遺伝子検査といいますが、そのコロナウイルスとされる病原性遺伝子の根拠となっている遺伝子情報が、仮にもし間違っていたり、曖昧な情報であった場合、遺伝子の特定が果たしてできるのであろうかと、考えることもできます。前提となる情報が間違っている場合、その結果も当然、事実と異なることになります。今、果たして、その前提となる数々の情報の正確性は確実に担保されているのでしょうか。

今、自粛要請解除の動きが進んではいるものの、適切な人との距離をとることや、イベントなどの開催に対しては法的強制力はないが、自粛要請の継続が言われています。これらの根拠となっているのは症状の出ない人がウイルスを感染させる可能性ということです。これ、本当なのでしょうか。PCR検査で陽性とされる遺伝子が実はもともと誰もが持っている常在菌などの遺伝子であって、それは病気などで免疫力が落ちてる人に現れているということはないのでしょうか。

またある知見によるとコロナウイルスは血圧に関わる酵素にくっつき、そこから肺に侵入して悪さをするといい、日本人にはこの酵素が実は多く、その酵素が多いことで高血圧の人が多いといいます。そういう体質ゆえ、その酵素の働きを抑える食事が昔からされており、それが世界と比較して割と感染者や死亡者数が抑えられている要因ではないかといいます。その食事とは海藻類や麹菌など、腸内に良いとされるものや、大豆関係の食事です。岩手県が今だに感染者が出ていないのも、食文化の点から考えることができるのかもしれません。

ネットやテレビなどには玉石混交、様々な情報が日々更新されており、何が本当なのかわけが分からなくなります。なので、自分は先に書いた原理原則を大事にし、つまりは情報の発信者がどういう立場で、どういう人なのか明確な人の情報以外は信用していません。さらには発信者が科学的知見でモノをいえる立場にある人であること、さらには論理的に表現されていることを重視しております。とはいえ、誰もが経験したことのない状況に置かれているのは皆同じで、次々に正しいとされる知見も変化せざるえを得ないでしょう。

とにかく冷静に、そして原理原則からモノを考えること。こういう事は今だから大事なのではなく、実はずっと大事なことなのです。それはこれからも変わりません。
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