玄語

玄音の弟玄です。日々感じている事、考えている事を語っていきます。そんな弟玄が語る”玄語”です。よろしく。

雑感:人間性、愛

2016-03-28 11:05:28 | Weblog
一見すると普通に日常が過ぎているようだが、最近起こる事故や事件を考えると、今の時代、行きつく所まで来てしまっているのではないかと感じざるを得ない。

信頼する人が信頼するに足りないことが露呈したり、一見普通の顔した奴がとんでもない事件を起こしていたり。そしてとにかく事故が多い。いつも国道246号線を走っているが、想像を絶する事故が立て続けに起きている。道路を走っていても極端な運転する人が多いことから、明らかに気が荒れているのがわかる。本当に危険。電車の人身事故は毎日どこかで起きている。

もう誰もがどうしようもない状態にきているのを感知してはいても、どうしていいか分からないから、無関心にならざるを得ず、それが本当に感知すらしない、無機質な人間になってしまっているのではないか。人間の姿をしていて人間でなくなってしまっているというか。

世界に目を向ければ、ヨーロッパで頻発するテロ。何が本当なのか、錯綜とする情報に増すのは不安だけ。むしろ不安を煽るために情報が流されているかのようにも感じる。しかしそんな中で、シリアのパルミラ遺跡を政府軍がISから奪還したというニュースは本当にホッとした。古代から続く大切な精神、文化が守られたと感じる。想定されていたよりも破壊の被害は少なかった事がわかり、シリアの象徴が守られたことは本当に良かった。歴史や精神性を守ることはどこか人間性を守ることに通ずると感じる。

人間性を取り戻す。その人間性の根幹は愛。ある心理療法家による愛の定義は「愛とは自分自身、あるいは他者の精神的成長を培うために、自己を広げようとする意志である」とか「愛は受け手が与え手となり、与え手が受け手となる相互的な現象である」とあり、さらには「本当に聞くこと、心を他者に集中することは、常に愛の現れである」ともある。断片的だが、非人間的な人間を生まないために、いや、人間が真っ当な人間となるために、一番大事なことは愛のことであると、この言葉から気づかされる。愛が要である。知ってるようで実は本質的な意味での愛を知っている人はあまりいない。だから今のような状態になっているのではないか。愛について考えることから、成長や救済は始まる、ともその心理療法家は伝えてくれている。
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本物の職人さん

2016-03-13 10:52:11 | Weblog



前にも書いたことあるのだが、うちの近くに40年近くやっておられる時計屋さんがあります。
見かけはお世辞にもキレイとはいえない佇まい。名前も○○修理センター。ネーミングもレトロ感満載。近所の人にとっては時計の電池交換くらいしか利用しない人もいるでしょう。

しかしです。この時計屋さん。
実はスイスの某高級時計、特にアンティークと言われる時計の修理やオーバーホールにおいては知る人ぞ知る、腕のたつ職人として有名な時計屋さんなのです。大手百貨店で請け負った高級時計の修理。メーカーでも対処できないものが続々とやってきているそうです。最近聞いた話では北は北海道から南は沖縄、そして海を飛び越えてニューヨークから修理の依頼がきているのだとか。

本当にすごい職人さんなのですが、我々にとってはいつも同じ場所で同じように作業している馴染みのおじさんです。気さくな人柄から、いつも誰かが立ち寄って、おしゃべり。聞くところによると、警察官も何かあったらここに聞きにくるとか。

そんなおじさんも今月で79歳。現役です!
腕もさることながら、その人生も映画にしてもいいくらいのエピソード満載です。
若い頃は銀座で働いていたこともあって、何やら相当、国のVIPの方々の時計も修理したのだとか。当時は修理したものを直接渡しに出向いたそうで、究極は東京のど真ん中にある堀に囲まれたロイヤル中のロイヤルな中に住まわれるロイヤルな方の時計の修理もされたとか。

そんな実績のある方ですが、なんて事のない住宅街の中にひっそりとあるなんて事のない時計屋さんにしか見えない、このギャップの面白さ。当然インターネットなどやりません。ホームページもありません。検索しても出てきません。それもちょっと驚きでした。

これほどの人が検索で出て来ない。この現実。
インターネットは確かに便利ですが、そこにひっかからない現実がある。ネットだけの情報はあくまでも現実の一部であること。そのことをこの時計屋さんの存在から痛感します。本物は表に出てきていない。そうとも感じます。けれども知っている人は必ず知っているというのも世の常です。

事実、この時計屋のおじさんの存在は某高級時計に属している年配の職人や指導者からは当然知られていて、ある病床についていた職人さんは若いお弟子さんに、修理で困ったらここを訪ねてみなさい、しかしそこを紹介した私のことは一切言うなと口止めされた上で本当に困った時に訪ねてきたそうです。おじさんはだいたい誰に紹介されたかはわかったといいますが、見事にその問題は解決したそうです。何とも映画のようなエピソードです!

そんなおじさんも職人になって来年で65年!
80歳までやれば一応は人にやったと言えるかなあ~なんて言ってました。。恐れ入ります。。
ちなみに、ちょっとやらしい話ですが、オーバーホールなどの費用は信じられないくらいの安さです。

そんな我が街の時計屋さん。
今日もおじさんは誰かとおしゃべり。
いつもの光景。
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